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・ 【Aさん宅では御馳走が山のように振舞われました】
去年のクルーズ旅行で知り合って、図々しくも本日お邪魔しましたのに貴重な北海島エビ、佐呂間産のホタテ、今の時期だけのサクラマスが並びました
(サクラマスはヤマメの一部が海出て戻ってきたもので、普通のヤマメとは味が違って大きくて脂がのってます、色も鮭類と同じでピンク色してました)
とても僕だけで食べきれる量ではありません、少し残してしまいまして申し訳ございません、今回の北海道旅最大のグルメとなり、Aさんの歓待に大感激でした
・ 【お宅はばら御殿のようでした】
これだけの手入れを考えると手間ひま惜しまずにやってると思います、バラは春秋の本州と違って寒冷地の為に年1回しか咲かないようです
(庭にはバラだけでなく小鳥やエゾリスもやってきます、珍しいお宅の紹介が地元も新聞にも掲載されておりました)
居間のガラス越しに見る小動物の姿に感激でした、僕も伊豆の寝室の前に餌箱を置きますと朝からシジュカラやアカゲラなどがやって来て楽しいですね
・ 【ガレージまでバラに囲まれてました】
昨年も伺ったので家は迷わないと思いましたが迷いました、あの時は先導役としてご主人がいましたので後ろをつけば良かったのでした
近くに居ると思いますが分かりません、ママに住所を送って貰うとバラの家というだけで分かりました
(住宅街の中でバラのお屋敷は近所に異彩を放ってました)
話をお聞きして、Aさんも僕と同じように若かりし頃は新聞少年だったようです、お互いの苦労話に昔を思い出しました
Aさんは遠軽で今はなき北海タイムスを配り、僕は北見で朝日新聞でしたから同じ旭川から大雪山を回ってくる石北線の
新聞を乗せた蒸気機関車が積雪で遅れた時は直接駅に出向いて仕分けしたに違いないと思いました
(昔の苦労話は共通の話題として僕も記憶が蘇りました)
・ 【北見の丘には立派な植物園がありました】
バナナも実っていてしかも無料でした、僕はここの木陰を利用して眠りました、庭掃除のおじさんに見られていましたが、眠いので仕方ありません
(お仕事の邪魔にならない場所で寝ます)
・ 【60年前の昔はなかった建物でした】
市が管理してますからきれいな公園になっていました、僕は横浜から来ましたがそこの北中で学びましたと話したら
ここは昔は何もなかったですね、結核の病院やお墓ぐらいしかなかったと思いますと話してくれました
・ 【北見北中の建物は建て替えられていました】
僕の母校はモダンな建物に代わってました、昔は何もない丘に2階建ての四角い校舎が立っていただけでした
(下には広大なグラウンドがあって先には地平線が延びていた記憶ですが、あり得ない記憶だと判明しました)
・ 【60年前は中学の周りは何もなかったのです】
住宅街は北中の周りの丘を住宅街に変えておりました、昔北見は海無町だったですが合併で面積は大きく成って海あり市になりました
(スコアの付け方が分からないカーリングが盛んな北見市なのです)
・ 【お墓だけは昔のとおりにありました】
市街を見下ろす位置に今でも現存していました、市街はふもとの川を越えて広がり、町も大きく変貌していました
今日も暑かったですが、午前中に石垣の草抜きに精を出したあとは水やりでした、水やりの軽労働でも十分汗が出ました
これで庭掃除は一巡したかと思えば庭本体の雑草が目立つようになって僕の努力は吹き飛びました、明日はまた草刈り機を振るう必要があります
(夏草の伸びる時期は仕方ありません)
午前中温泉に入って汗を流しますが、風呂と言うより水浴びが主体の温泉でした、昼寝して目覚めれば15時を回っていました
(これでオリンピック中継を見れば寝不足の明日を迎えに来る事になります)
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