しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

陸別の道の駅にやってきました、廃線ですが駅舎は立派な道の駅になってます

2024年08月01日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅

・             【自動車メーカーの耐寒試験が行われる場所でもあります】

廃線なのに立派な駅舎と思ったら道の駅になっていました

夏場に来たら分かりませんが、オーロラも見えるし星空もきれいです、弟が日産に勤めていた時代に耐寒試験で陸別に出張で来ていました

(陸別は内陸部にあって盆地なのです、放射冷却が進む所と聞きました)

過去の温度的には僕が生まれた旭川のー41度が最低温度ですが、これは僕が生まれる前の1902年の古い記録だと思います、今は陸別辺りが最も寒い所だと思います

・           【かなたまで畑が広がってます】

何の作物か分かりませんが、広大な畑が広がってました、ここも十勝北部の大地なのです

(お隣の足寄が日本で一番広い町と言われてます)

今は高速は伸びてませんが、工事は真っ最中で数々のダンプとすれ違います、やがて本別、足寄、陸別、北見、網走を

結ぶオフォーツク道が完成する筈です

(鉄路に代わって高速道が整備されますが、何時までも無料であって貰いたいと願います)

・         【廃線になった銀河線の遺構が保存されてました】

こ線橋や列車も動態保存されてまして本当に少し走る気配です、今日は平日なのでトロッコなども駅舎に格納されていました

(ふるさと銀河線の池田から北見まで長い鉄道が通ってました、駅舎は道の駅になってますし、車両やトロッコも

 動ける状態です、イベントがあると実際に動かしている見たいです)

何処でも鉄道ファンは多いです、僕は北見で新聞配達をやってましたので旭川から送られてくる新聞が雪で遅れると駅に新聞配達店から

直行して仕分け作業をやってました

(勿論この時は蒸気機関車でした、日常でしたから全く感激しませんでした、今でも感動で懐かしく思う事もありません)

・          【本当に列車がやって来そうな気配です】

ホームもそのまま列車が滑り込みそうです、廃線になってしまいましたがイベントなどで電車は走るようです

(陸別駅は駅舎が道の駅になっていて駅舎も立派です、お土産は保存の効くものしかありません、お弁当位あるかなと探しましたがありませんでした)

・        【遠くではトロッコ鉄道の線路もありました】

これも実働するはずです、昔のふるさと銀河線(ふるさとぎんがせん)は、北海道中川郡池田町(十勝支庁)の池田駅から

北見市(網走支庁)の北見駅に至る北海道ちほく高原鉄道が運営していた鉄道路線 。旧国鉄特定地方交通線の池北線(ちほくせん)を引き継いだ路線で 、2006年4月21日に廃止された

(新幹線が開業するとそれまでの本線がなくなりローカル化が進みます、最後には廃線が待ってるのでした)

旧国鉄も知らない人が多くなって来ました、全国には廃線マニアでなく廃線駅舎マニアという人達もいまして鉄道ファンは分化してます

(廃線で崩れ行く駅舎だけを写真にとる趣味の人が居ます)

北海道は廃線の多い所で脚光を浴びずに自然に埋もれていく駅舎があるのです

伊豆は昨晩お湿り程度の雨が降ったようです、朝一番の水やりはやりませんが、もっと降ってくれねばと言うのが畑をやってる人の願いです

(今育ってるのは暑さに強いオクラかゴーヤ位と言います)

オクラは生で刻んで食べるものと思ってましたら、皆さんは茹でていました、僕は少数派なのです

金木犀は成長が早いです、洗濯物干しように結んでいた紐がめり込んで抜けなくなっております、木の成長も早いのですが

枝が隣家の生垣に絡んで来ました、枝を切ろうにも手鋸がなまくらになって刃が枝に入って行きません、手鋸は2,3本あるのですが

どれも似たような状態です、今日は決意して新品を購入する事にしましてどんどん切り進んで切り枝をフェンスの外の崖にポイです

(少し隣家の生垣と空間が出来ました、本日も予定外の作業にシャツ迄汗で濡らしました、これからシャワー&洗濯に入ります)

夕方昨晩の雨が効いたのか、それほど暑くない何時もの伊豆に戻りました、これが続いて貰いたいです

 


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