拝啓 陸の孤島から

いいことがあってこその 笑顔じゃなくて
笑顔でいりゃいいこと あると思えたら それがいいことの 序章です

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2006年01月29日 22時27分58秒 | お仕事の話
今日は部活が休みなので、久々の完全オフです。



<弱音>ただ、いざ休みになるとどこかに出かけるというわけでもなく、
部屋の掃除して、溜めていたビデオを見て、ちょっと散歩して……、
そんな記憶の片隅にも残らないようなことをしつつ休みは暮れてゆきます。


この場でこんな事を言ってもしょうがないのですが、
部活にはかなりのプライベイト時間を捧げております。

時間的な制約ももちろん生じるのですが、
大体昼過ぎには終わるので遊べないことはないし、飲みにも行けます。
正直、精神的な面でシンドイなあというのが本音です。
陳腐な言葉ですが、「心のゆとり」がないんですね。
遊んでいても飲んでいても「明日も部活だしなあ・・・」と思うと、
周りに対して申し訳ないと思うほど冷めてしまう自分がいます。


しかし、ここまで身も心も捧げても、
見返りという点ではほとんど何もないです。
金銭面では言うに及ばず、生徒にも果たして感謝されているのやら。
よしんば感謝されていたとしても、それもつくもが異動すればすぐに忘れられる・・・。
残るのは、年齢を重ねて友達が少なくなった自分だけです。


自分は教師に向いてないのかもなあ、と思うことはよくあります。
その中でも特に向いていないんじゃないかと思うのは、
生徒に対して「情」が移りすぎるという点です。
「情」が移ると言うと良い話のように思えますが、
教育のプロである以上、教育でお金をもらっている以上、
「情」をかけてはならない場面だってあるはずなのです。
冷たく突き放して挫折を味わわせたり、
人に頼らず自分で問題を解決させなければならない時だって必ずあるはずです。

でも、ダメなんですね。
辛そうな顔してたらひたすらに慰めようとしてしまう。
少しぐらいのわがままは聞いてしまう。
要するに「甘い」んですね。
これが親が我が子に対してのものならそれはそれでいいのかもしれないけれど、
職業人としてこれでいいのか、とよく自問自答します。
(つくもは親バカだろうなあ・・・と最近よく痛感します)
部活にしてみたってべったりくっついてりゃいいってもんじゃなくて、
時には自分たちだけで考えさせたり、
部活をやれるということは周囲に感謝すべきことなんだっていうのもわからせないといけないし。

そこまで「情」を傾けても、生徒のためになっていない。
つまりは自分の自己満足で、「優しい教師」を演じては、
その自分の姿に安心を求めているのだろうなあ、と思っては、
そこまでわかっていて自分を変えることのできない自分に腹が立ちます。

そして、そんな自問自答は思春期のうちに解消すべきだろうに、
30も見えてきたこの時期になってもまだそんなこと言っている自分が、
思春期真っ盛りの生徒に能書きを垂れているのを客観的に見るのは滑稽ですらあります。

今年掲げた目標は「余り考えすぎない」。
この目標はどうやら一月もたずに破れさりそうです。(苦笑)



ま、それでも、頼りない自分をどうにかこうにか信頼して、
種と水を蒔き続けるしかないんでしょうね。</弱音>


出会いの数だけ別れは増える
それでも希望に胸は震える
十字路に出くわすたび
迷いもするだろうけど                Mr.Children「くるみ」


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