昭和38年4月生まれ、3人兄弟の3男
兄2人は近所にも同じ年の兄弟がいて金魚の糞のように兄たちのグループについていった。
いつもいじめられて(いじられて)いた。
兄は友達の前で「こいつ殴ってもなかないぞ」といって殴られて笑われていたらしい。
鬼ごっこの鬼にされ、誰一人見つけることができずに探していると。兄達は他の公園で野球
をやっていた、みつけて走ってちかよっていくと「せいじがきたー」といって皆で逃げて
いった。それでもいじめられている自覚はなく。おかげで? 強い人間になれたと思う?
母は厳しく、兄達2人は良く家から閉め出されていた、ところが私は閉め出されたとき、
夕日に向かって歩いていったらしく。(どうもそのころから放浪癖があったらしい)
それからは閉め出しは無くなった。
小学校では必ずクラスにいる落ち着きのない子供で、今でいうADHD(注意欠陥多動性障害)
にあたる。理科、算数だけはできたが、30分と机の前にすわってられない、
いわゆる学習障害があった。 通知表にはいつも「落ち着きが無い」「理屈っぽい」
と書かれていた。
小学校の時から永久機関を考えたりしていた、国語でこけて市立中学受験を失敗、
公立中学に進学、授業は殆ど寝ていた。 起きていると落ち着きがなく椅子の2本の足
を立たせてバランスをとって急にバランスを崩して倒れたり、質問がうるさかったり
していたので 先生にも黙認されていた。寝ていない時は本を読んでいればおとなしくしてた。
眠っていたも不思議と理科とか算数の授業は耳には入っており(催眠学習?)
不意にあてられても答えられることが多かった。これも黙認されていた理由の一つで
あったと思う。
特に理科の授業は中一の最初から寝ていて3年間同じ先生で一度も起きていたことはなかった、
中3の最後の授業で起きていたら「お前が起きているとやりにくい目障りだから寝ろ」
と言われて結局寝てしまった。今思うととても理解があったのだかその先生の理科の成績は
常に5だった。
常に算数と物理は成績が良く、英語と国語がめちゃくちゃだった。 中3の担任は国語の先生
だったがそこそこ理解があった。 高校入試の12月からスランプになり。数学の成績が急に
悪くなった 冬休みには一切勉強はせず、太宰治にはまってしまって、冬休みに太宰の本を
10冊ほどを何度も何度も読んだ。休み明けの学力テストは3年間の中で一番悪かった、
受験の一週間前に何かが抜けて頭がクリアになった。
受験の当日、問題がすらすらと解け、10回ほど見直すことができ、時間が余った。
結果は満点。
高校に進学してカルチャーショックだった、寝ていると叱られるし、授業の内容が解ら
なくて質問すると「予習がしていないからだ」と叱られる。
周りの人間に聞いても、授業の内容はわかっていない。皆「勉強していない」というから
信用していたら、テストで402人中401番だった。 皆かくれて家で勉強していたのだ!
当時の自分としては驚くべきことだった!
教師に後から知らされたのだが、入試は愛知県でもトップで最初のテストが最下位の次
だったので職員会議にかけられ、替え玉受験ではないかと筆跡まで調べられたらしい。
高校では叱られてばかりで、親も呼び出され「変な思想がるのではないか」と責められて、
胃を悪くして吐いていた。 (可哀想な母親!)
でも学習障害は性格?だからしかたないんだよね~
調度太宰にはまっていた時期でもあり。自己嫌悪が増していった。 そこからニーチェ
やサルトルの実存主義を知り、「暗い」自分を前に出せるようになりやや明るくなった、
周りの人間には「暗くなった」と言われた。
成績は3年間変わることなく最下位周辺をうろうろしていた。
NHKの番組でカールセーガンの「コスモス」という番組があり、物理に魅せられた。
「相対性理論」に対して「絶対生理論」
http://www.geocities.jp/ddwts503/zettai.html
なるものを考え、興奮して物理の先生にもっていったが全く相手にされなかった。
この理論は欠陥はあるものの今でも正しいと信じている。
つづく!
兄2人は近所にも同じ年の兄弟がいて金魚の糞のように兄たちのグループについていった。
いつもいじめられて(いじられて)いた。
兄は友達の前で「こいつ殴ってもなかないぞ」といって殴られて笑われていたらしい。
鬼ごっこの鬼にされ、誰一人見つけることができずに探していると。兄達は他の公園で野球
をやっていた、みつけて走ってちかよっていくと「せいじがきたー」といって皆で逃げて
いった。それでもいじめられている自覚はなく。おかげで? 強い人間になれたと思う?
母は厳しく、兄達2人は良く家から閉め出されていた、ところが私は閉め出されたとき、
夕日に向かって歩いていったらしく。(どうもそのころから放浪癖があったらしい)
それからは閉め出しは無くなった。
小学校では必ずクラスにいる落ち着きのない子供で、今でいうADHD(注意欠陥多動性障害)
にあたる。理科、算数だけはできたが、30分と机の前にすわってられない、
いわゆる学習障害があった。 通知表にはいつも「落ち着きが無い」「理屈っぽい」
と書かれていた。
小学校の時から永久機関を考えたりしていた、国語でこけて市立中学受験を失敗、
公立中学に進学、授業は殆ど寝ていた。 起きていると落ち着きがなく椅子の2本の足
を立たせてバランスをとって急にバランスを崩して倒れたり、質問がうるさかったり
していたので 先生にも黙認されていた。寝ていない時は本を読んでいればおとなしくしてた。
眠っていたも不思議と理科とか算数の授業は耳には入っており(催眠学習?)
不意にあてられても答えられることが多かった。これも黙認されていた理由の一つで
あったと思う。
特に理科の授業は中一の最初から寝ていて3年間同じ先生で一度も起きていたことはなかった、
中3の最後の授業で起きていたら「お前が起きているとやりにくい目障りだから寝ろ」
と言われて結局寝てしまった。今思うととても理解があったのだかその先生の理科の成績は
常に5だった。
常に算数と物理は成績が良く、英語と国語がめちゃくちゃだった。 中3の担任は国語の先生
だったがそこそこ理解があった。 高校入試の12月からスランプになり。数学の成績が急に
悪くなった 冬休みには一切勉強はせず、太宰治にはまってしまって、冬休みに太宰の本を
10冊ほどを何度も何度も読んだ。休み明けの学力テストは3年間の中で一番悪かった、
受験の一週間前に何かが抜けて頭がクリアになった。
受験の当日、問題がすらすらと解け、10回ほど見直すことができ、時間が余った。
結果は満点。
高校に進学してカルチャーショックだった、寝ていると叱られるし、授業の内容が解ら
なくて質問すると「予習がしていないからだ」と叱られる。
周りの人間に聞いても、授業の内容はわかっていない。皆「勉強していない」というから
信用していたら、テストで402人中401番だった。 皆かくれて家で勉強していたのだ!
当時の自分としては驚くべきことだった!
教師に後から知らされたのだが、入試は愛知県でもトップで最初のテストが最下位の次
だったので職員会議にかけられ、替え玉受験ではないかと筆跡まで調べられたらしい。
高校では叱られてばかりで、親も呼び出され「変な思想がるのではないか」と責められて、
胃を悪くして吐いていた。 (可哀想な母親!)
でも学習障害は性格?だからしかたないんだよね~
調度太宰にはまっていた時期でもあり。自己嫌悪が増していった。 そこからニーチェ
やサルトルの実存主義を知り、「暗い」自分を前に出せるようになりやや明るくなった、
周りの人間には「暗くなった」と言われた。
成績は3年間変わることなく最下位周辺をうろうろしていた。
NHKの番組でカールセーガンの「コスモス」という番組があり、物理に魅せられた。
「相対性理論」に対して「絶対生理論」
http://www.geocities.jp/ddwts503/zettai.html
なるものを考え、興奮して物理の先生にもっていったが全く相手にされなかった。
この理論は欠陥はあるものの今でも正しいと信じている。
つづく!