さとみん絵本の世界

さとみんおすすめの絵本や本(児童書が主)と、うずまいている日々の迷いや気づき!!

雲のてんらんかい

2006-01-14 | 読んでみて!
ぼんやりと空をながめたりぼーっとする時間が
いまの子どもたちにあるのかな
心配しなくてもそんなスキマの時間をやっぱり楽しんで
いるのでしょうか

この雲ばかり見開きいっぱいに描かれた絵本をみていると
ああこんな空あったな、あああの時の情景だ、と
懐かしくいろいろな想いを呼び覚ませてくれます

いなかで幼少を過ごした私は小学校3年くらいまでは
本当に空の上に人のような存在がいると信じていました
ほかの人からみたら すごいばか かもしれませんが
メルヘンいっぱいの子ども時代を過ごせた私は幸せだったと
今つくづく感じています
風船に手紙を書いて飛ばしたこともあります
雲はわたあめの味がすると思っていました

芝生のうえに寝ころがってずーっと空をみて
ともだちと雲がなんの形にみえるか言いあっていました

雲にはきちんとした名前がついています
それもなかなかおもしろいですが
伊勢さんがつけた名前もすてきです
<空の階段> <青のサンドイッチ> <雲のしっぽ> <光のプランクトン>など・・

私も自分勝手につけてみたくなりました


   伊勢英子:作&絵  講談社 

はっぴいさん

2006-01-11 | 子どもと読んだ本
はっぴいさんは
やまのうえのおおきないしのうえに
ときどきくるそうです
そしてこまったことやねがいごとをきいてくれるそうです

のろのろなぼくと、あわてんぼうのわたしが
はっぴいさんに会いに行きます

会えたかな?
会えなかったかな?

4年生のこどもたちは静かに聞いていました

どんなふうに感じたでしょうか

荒井良二さんの絵はヘタウマなちょっと粗いタッチですが
親しみを感じます
(きっと黄色がお好きでしょう)
そしてことば以外に細部の絵で伝えていることもたくさん
あるように思います

子どもたちには、あとでもう一度読んでみてね、と言います
わたしも含め、子どもたちもそれぞれ感じたことや発見したことは
違うでしょう(つまらなかったも含めて)

このふたりのねがいごとは・・・
のろのろなぼくは どうしたらのろのろじゃなくなるのか
あわてんぼうなわたしは どうしたらあわてなくなるのか
ききたかった
といいます

「きっと のろのろはなんでもていねいだからだと おもうわ」
「あわてるのは なんでもいっしょうけんめいだからだと おもうよ」
といってわらいあいます

黄色のいろがホッとあたたかく包んでくれるようです

この本を何度か読むといろいろと気づいたり発見したりします
漢字を使っていないことも意図していると思いました

はっぴいさんは こまったことやねがいごとをきいてくれる
といいますが、叶えてくれるとは言っていません

願いや祈りはそう強く思ったときに半分叶っている
とどこかで読んだ記憶があります
はっぴいさんはなにか大切なことを思い起こさせてくれたようです

わたしもなんだかあえたように思いました


   荒井良二:作&絵  偕成社



いのちのまつり「ヌチヌグスージ」

2006-01-10 | 子どもと読んだ本
 「ぼくってわたしってどこからきたの?」
 なんていう疑問はなにも哲学者だけの特権ではない。何にも難しいことを考えてなさそうな小学校3年くらいの男の子だって実は、思い悩んでいる!

 そんな疑問に明るくこたえてくれている本がこれだ。
 
 主人公のこうちゃんにいのちをくれたおかあさんやおとうさんの上にもまたおかあさんやおとうさんがいて、それぞれにいるから倍数になっていく。
 どんどんと倍数になっていくので途中で計算するのがいやになる。

 絵本はまんなかが折りたたみになっていて、こうちゃんにいのちをくれたご先祖さまの顔がぎっしり描かれている。

 うわ~すごい!

 たいていここで子どもたちは、自分につながるいのちの多さを視覚的にとらえることにびっくりする。

 こうちゃんにいのちのつながりを話してくれたオバアが
 「オバアにわかるのは、数えきれないご先祖さまが誰ひとり欠けても、ぼうやは、生まれてこなかった、と言うことさぁ~。だから、ぼうやのいのちは、ご先祖さまのいのちでもあるわけさぁ~ね」
 と言う。
 
 いろいろな宗教観などもあるかと思いますし、そんな教育すらできる題材ではあ ります。でも、自分がここに「いる」ことのすごさを、ユニークな絵と、沖縄の ほんのりする方言でさらりと表現しているところがかえって心に届きます。

 「ヌチヌグスージ」とは、沖縄の方言で‘いのちのお祝い‘‘いのちのお祭り‘
 という意味です。

       

   草場一尋:作 / 平安座資尚:絵  サンマーク出版