さとみん絵本の世界

さとみんおすすめの絵本や本(児童書が主)と、うずまいている日々の迷いや気づき!!

オフェリアと影の一座

2006-01-31 | 読んでみて!
1988年に岩波書店から発行されたミヒャエル・エンデの作品で、今絶版だそうです。絵はフリードリヒ・ヘッヘルマンという方です。
とても幻想的な美しい絵です。エンデの作らしい人間の心の奥底にある、また神の領域にまでいたる深い味わいを感じます。

オフェリアという名は両親が名女優になってもらいたい願望でつけられたものです。
しかしその期待には沿えず、一生プロンプターの仕事にささげました。
声や容姿その他に恵まれませんでしたが、声が小さいことが幸いに、舞台のボックスにもぐりこみ、役者さんのために尽くしました。舞台が好き、という気持ちは人一倍で、どんなセリフも自分のものとしていました。

☆ちなみにプロンプター(prompter)とは、俳優が演技中にセリフを間違えないように、観客から見えない位置からセリフを小声で教える役の人。後見。日本の劇場では築地小劇場がプロンプターボックスを最初に設けた。とあります。

こんな生き方は珍しくないかもしれません。
いえ、ほとんどが彼女とおなじではないでしょうか。
日の目をみてスターになるのはわずか。そのスターの影にはなんと多くの人の力があることでしょうか。身近な例を考えてみても納得します。
自分自身も何かのための力になっていることを実感することもあります。
つくづく影だなぁと思うこともしばしばです。
また、この私を支えてくれている多くの温かい気持ちや援助にも心が及びました。

このオフェリアさんはたくさんの影たちを受け入れ、
そしてそれは神の国で『ひかり』となりました。
この受け入れた影たちの存在とは?
この世で浮かばれなかった未浄化霊や強い思い?それとも彼女自身の影なのか。

影があってこその光であり、この二つは常に一体のものです。
神は影の存在と働きをよく御存知なのです。
でもそのことを時々忘れてしまい、わかってもらえない苦しみに締め付けられる事があります。でも影は光にもなれることをこの本は伝えています。

この本を読んで思い出したこと
「オペラ座の怪人」、「マローンおばさん」(エリナーファージョン)


  ミヒャエル・エンデ:作/ フリードリヒ・ヘッヘルマン:絵
  矢川 澄子:訳    岩波書店   

はじまりの記憶

2006-01-27 | 折り返した人生!
「はじまりの記憶」とは柳田邦男さんと伊勢英子さんのduoエッセー。(講談社)
12ものタイトルがあり、それぞれ年齢も育ちも違うおふたりがご自分の
原風景探しをしたものです。

わたしは読みながら、自分の記憶をたどっていました。
まさに今折り返し人生に立ち、思うところいっぱいです。

「身体感覚」というタイトルの柳田さんのある文章が今のわたしにぴったり!

『最近、ふと気づいたことがある。それは、8歳から12歳の頃の日常を忘却の彼方からたぐり寄せて回想日記を書いたなら、その日記に記される日々の営みは、それからとうに五十年を過ぎた現在の私の営みと、瓜二つとも言えるほどの相似形を成しているに違いないということだ。』

『過去は現在の中にある。そして、すべての過去に意味がある。』

このエッセーを読みつつ邦男ちゃんと英子ちゃんの小さな姿が脳裏をかすめ、ほほえましく
またせつない気持ちにもなりました。

そして、数々の子どもの頃の強烈な印象や出来事は、特別な意味を持って現在問いかけてきたり、
姿形を変えて違った印象になったりながら続いていくものだと思います。
だから過去をたぐり寄せてみることはたんなる感情的な懐古趣味ではありません。
過去を振り返ることは、ほんとうに新しい発見があります。
うろこが落ちることもしばしば・・・

子どものころは的確な言葉の表現方法を知らなかっただけで、
魂の部分ではたくさんの真理に敏感に感じていたんだろうと思います。
子どもを育てていてもそれは感じることだし、自分自身のことを考えてもつくづく思います。
でも的確な言葉の表現はなかなか難しいです。
言葉も含め、様々な表現方法を試すために生きていると考えてしまうくらいです。


昔子どもの頃、ビー玉を土に埋めるのが楽しかった、それも遊びでした。
今、その時埋めたビー玉を掘り返してみる時なのかもしれません。
その時よりふけた私と小さな女の子が対面する。そしてそのビー玉の違う輝きをみつけられるかもしれないし、
忘れていたビー玉がひょっこりでてくるかもしれません。

これはおもしろいことになりそう!!!

ふくろうくん

2006-01-23 | 子どもと読んだ本
シリアスな雰囲気とおもしろどころを押さえたお話が5話入っています
お人よしでとぼけたふくろうくんですが、ちょっと哲学的なところもあります
あ、でも少しずれているのだけど

お話をよんでもらうのが好きな子だったら、はまってしまうかも

わが子もこのふくろうくんは大好きでした
とくに「なみだのおちゃ」
かなしいことをアレコレ考えてなみだをポットにいれるのですが
あー、そうそうそれってかなしいことだよね、と思うことがらが
けっこうたのしい!
ストーブのうしろにおちてみつけられっこないスプーンとか
うたえなくなったうた とか。だってうたのことばをわすれたから
なんてちょっと笑ってしまう

ふくろうくんはかなしくてなみだがたまっているのに
読んでもらっている子どもたちはにこにこしてくる
それをねらっているか?ローベルは・・・

そしてこの訳がいいんじゃないかな、三木卓さんの。
別に翻訳の勉強したわけではないけど
英語とはちがうこの日本語の言い表しがふくろうくんにぴったりしている

たとえば

「ぼく こんばん なみだで おちゃを いれよっと。」といいました
ゆわかしを ひざのうえに おきました。
「さあて、ぼくはじめるよ。」

”Tonight I will make tear-water tea"he said.
He put the kettle on his lap."Now ",said Owl,"I will begin."

されからほかのお話では
「STRANGE BUMPS」が「こんもり おやま」となっています

なかなかいい!英語版はこの本を知ってからだいぶ後になって読みましたが
「訳がすごくいい」ことに気がつきました。

5話の題名だけ列挙します
  "OWL AT HOME"
1.THE GUEST
2.STRANGE BUMPS
3.TEAR-WATER TEA
4.UPSTAIRS AND DOWNSTAIRS
5.OWL AND THE MOON

 「ふくろうくん」
1.おきゃくさま
2.こんもりおやま
3.なみだのおちゃ
4.うえとした
5.おつきさま
                          

アーノルド ローベル:作 / 三木 卓:訳
  文化出版局

ちいさなとりよ

2006-01-20 | 読んでみて!
その とりは こどもたちが みつけたとき しんでいました。

という書き出しではじまります

やや小型で青とみどりの寒色系の地味な本です
絵とことばは別のページに書かれています

死んでいたことりを弔うお話ですが、
子どもの世界ではとても大事なイニシエーションです
たいていの子どもはそのような体験をするのではないでしょうか
それとも今は、全くこのような経験はないのでしょうか

大切にしていたペットをはじめ、たまたまみつけた動物や昆虫の死は
その人の人生の中での、生きることの意味を考えるための
大切なひとつの体験ではないか?と思います
ちいさないのちの終わりを悲しむことに加え
ちいさないのちの存在に対して敬虔な気持ちを持つことができると思います

この本では
あなをほり、とりをしだの葉につつみ土をかぶせ、花をそえます
みんなで鎮魂のためのうたを歌い、哀しみの気持ちに浸ります

わたしの子ども時代のいくつかのエピソードを思い出しました

学校の帰り道を歩いていたらとりが死んでいました
すずめでした
そのまま通り過ぎることはできませんでした(暇だった?)
海の近くに住んでいたので、砂浜までそのすずめを手のひらにのせて運びました
やわらかくて小さくてほんのりあたたかい感触でした
砂浜ではあなをほってうめました。貝殻を墓標にして・・・

金魚や飼っていた昆虫が死んだときもよくお墓をつくってうめました
またたぬきを旅先で轢いてしまい(わたしは運転していなかった)
道路脇の雑木林のなかに葬ったことや
ハムスターのお葬式をしたこともあります
 モーツァルトのレクイエムをバックにひまわりの種を添えて・・



これは地味な本ですが、
ちいさな死、ちいさないのちへの慈しみをあじわうことができます

   M.W.ブラウン・文 / R.シャーリップ・絵 / 与田準一・訳
   岩波子どもの本
   

大千世界の生き物たち

2006-01-19 | 読んでみて!
あの独特な怪しい雰囲気のスズキコージのWORLDです
はじめてこの本を図書館で見つけたときは「やった!たからもん」
とワクワクしました

この架空社の「大千世界の生き物たち」は復刊で
図書館で見つけたのは「大千世界のなかまたち」です
なかみは絵本にあるようなスズキ色ではなく、モノクロです

でもそのモノクロがまたこちらの創造を刺激していい!

どんななかまたち、生き物たちかというと

この世でもなくあの世のお化けでもなく幽霊でもない
なんとも親しみある隣人なのです
スズキ氏は子どものころからそのようなどんな図鑑にも資料にもない
気配のような「生き物たち」の存在を見てきたそうです

その一部であろう、71もの生き物がこの本に紹介されています

子どもと一緒にかなり盛り上がって読みました

その中でのベスト5はというと・・・
第5位 カガミル
    鏡にうつった人の姿に変える怪物
    でもそっくりまねできない部分があり、それを発見するのはむずかしい
    大きな鏡には7~8匹、小さな鏡には1匹いるという

第4位 ワイゾル
    大千世界の生き物たちを乗せる巨大旅客機型鳥
    どこにでも着陸でき、クワァとないて美しく飛び回るワイゾル鳥

第3位 スキママン
    本のすきまに入る込む本虫のような生き物
    読みたい本が出せないときは、スキママンが太っているからだそうだ
    そして本の種類によって性格があるらしい

第2位 センリョール
    机の引き出しに住みつく生き物
    引き出しが重たくなかなか開かないときは
    おでこに1本角を生やした
    小型牛センリョールがきっといる

第1位 マザー・パチコ
    堂々の第1位はこのマザーパチコ!!
    名前ととぼけた顔がうけた!
    洞のある木の奥に住んでいて、一ヶ月にひとり子どもがうまれるので
    ベッド用に小さい子のくつを利用している
    くつがないときは
    「マザーパチコに貸してあげてる」
    といえば怒られない!!


  スズキコージ:文と絵  架空社    

空がレースにみえるとき

2006-01-17 | 読んでみて!
なんときれいな題名!
空がレースにみえるときってどんなとき?

きれいなもやみたいな雲がかかっている空
それはビムロスの夜 うすむらさき色がかがやくとき

ビムロスの夜はどうなるの?

かわうそがうたい、かたつむりがすねて、木はおどり
草たちはクズベリージャムになってしまうの

ビムロスの夜にはどうしたらいいの?

うさぎやおさかなとしゃべってはいけないし
オレンジをみにつけちゃいけない
スパゲッティにはパイナップルソースをつけて食べるの

ほかにもいろんなルールがある

そんな意味のないルールをまことしやかに行う女の子の時代があった
私の子どもの時もハテナ?ルールがあったことを思い出した
意味なんてない、そうなっている、決まってるの、
そう決めたの!

このむらさきいろのビムロスの夜は
不思議なこころ踊るじかん

こんなむらさき色のもやった空のことをそう呼ぶなんてステキ!
この都会の空にもあるでしょうか?
もしそんな空を発見したら私も「ビムロスの夜」と言ってみよう
なんだか宝物がひとつ増えた気がする


水彩と色鉛筆、クレヨンで描かれたこの絵は寒色系で地味ですが
とてもきれい。原画を是非みたいものです

   エリノア・L・ホロウィッツ:文
   バーバラ・クーニー:絵
   白石かずこ:訳        ほるぷ出版 

おやすみなさいフランシス

2006-01-16 | 子どもと読んだ本
親になって大変な仕事のひとつに「寝かしつけ」があります
別にほっといて 寝るまで待とうわが子ども でもいいのですが
小さい子にはそうはいきません。
寝る前の儀式なるものが多少どの家庭にでもあるのでは、と思います

この本は外国の家庭であることがひと目でわかります
こんな小さい子なのにひとりで寝ています
 
初めてこれを読んだときは
なんてけなげな子だろうとかわいそうな気もしました

聞いていた子どもも
ひとりで寝てえらいね、と言っていました

おやすみのキッスをしてもなかなか寝られないフランシスは
おとうさんにおんぶ(piggy back)してもらったり
あいうえおのうた(alphabet)をつくったりします

ガウンがおおおとこ(giants)に見えたり天井のひびから何かでてくる気がしたり
(Maybe something will come out of that crack)
何かがカーテンをゆらしているとかんじたりする
(Maybe there is SOMETHING waiting ,very soft and quiet)

そんな子ども時代を思い出すとドキドキします

また親の立場に立ってみると、
子どもの寝たあとでテレビを見ながらケーキを食べる幸せも納得します
でもこの親はフランシスにケーキをひとくちあげるのです、怒らずに
スゴイなー

でもさすがのお父さんも
いいかげんにしてくれよ~
という目でみている絵はなんか笑ってしまいます

とにかくフランシスのかわいいようすはたまりません!  

日本語版は2色刷りですが、洋書版はカラーでとってもきれいです! 


ラッセル・ホーバン:作/ ガース・ウィリアムズ:絵
  松岡 享子:訳      福音館

シュレッダーで日記を・・・・あぁ

2006-01-16 | 折り返した人生!
衝撃的なタイトル!
でもご安心を!
決して何か特別な事件があったわけでも感情的になったわけでもありません

ただ日記をシュレッダーにかけて「さよなら~わたしの高校生-さよなら~わたしの青春!」としただけ

思い起こせば小学3年生。その頃から「日記」を書くことを覚え、かれこれ○十年
今じゃ「ブログ」などという公開日記が流行るご時世。
パソコンコンプレックスの私もブログで日記を書いてしまう今日この頃・・・
私も成長しました

ブログ日記は「わたくし日記」とは違う。よおおくわかっています、たぶん・・

わたくし日記はひたすら自分の内部に向かっています。でもブログは内部に向かうこと+外部とのつながりや発信、交信という広がりがあります。
たとえ書き込みがなくとも気持ちは他者と共にあります。

あの「青い時代」の日記を少し読みつつ手回しシュレッダーにかける作業
折り返し人生には不可欠です。
忘れていた人の名前も自己嫌悪の日々も血文字もさよなら~

夕あかりの国

2006-01-16 | 読んでみて!
足の不自由な男の子が
山高ぼうしをかぶった小さな不思議なおじさんと
夕ぐれの空をとびます

もう二度と歩くことはできないと知ってしまいました

「ぼくは、どこへもいけないんです。足がわるいから」
「そんなこと、へいきだよ。夕あかりの国では、なんでもないんだ」

夕あかりの国で出会うものたちはもうこの世にいない人たち
夕あかりの国ではなんでもできる
おいしいキャンデーの木で好きなのを食べたり
電車やバスを運転したりショベルカーを操作してみたり

この絵本を読みながら、「銀河鉄道の夜」を思い起こしました
この本を読みながら「マリアンヌの夢」を思い起こしました

夕あかりの国は「ないないの国」ともよばれている
原書ではなんと書いてあるのか気になります

夕方、だんだん暗くなって部屋の「色」がなくなってくるころは
本当に不思議な時間
私もわざと電灯を点けずにいることがよくあります
夕方の空の色とその世界にとけこんでいってしまいそうです

作者は「長くつ下のピッピ」や「やかまし村のこどもたち」のリンドグレーン!!!


  アストリッド・リンドグレーン:作
  マリット・テルンクヴィスト:絵
  石井登志子:訳           徳間書店  

すっきり、さっぱり

2006-01-15 | 折り返した人生!
ブログのカテゴリーに「折り返した人生」ってなんか変。
絵本の世界とあまりマッチングしない気もするが、
でも
人生折り返してきたからこそ
再び同じ本を読んで感じることや発見することがある。

折り返したと言うと、年齢バレますね。だいたいそんなところです。
でもーこの折り返しとはずーずーしいかもしれない。
だって平均年齢は生きる!という前提のもとだからね。
もしかしてとっくに折り返しているかもしれないし、実はまだまだ先かもしれないのだ!! 

とにかく○代を迎えたときから私の何かが変わってきたことはたしか
上大岡トメさんが「キッパリ」とか「スッキリ」などと本を出しましたが
私も自分の生きてきた人生を少し整理し、すっきりさっぱりしたいと思ってます

それには少々時間がかかります。
片づけ物をする、というのはあたりまえですが、どんなふうに片づけるかが
問題です。ただ捨てまくる、というのではないです。もちろん捨てまくる物もありますね。
使うかもーなんてとっておいた箱とか布のきれっぱしとか。

ドラマを録画したビデオテープや昔なつかしのカセットテープ、手紙やメモ、ちらしもたくさんでてくる。

本もたっくさんあります。読みたいと思うとすぐ買ってしまうのでどんどんふえてしまいます。
とくに手元に置かなくてもよい本は、BOOK OFF行き。

じつは今日BOOK OFFへ30冊くらいもっていきました。自転車にのせて・・・
でも買い取ってもらえたのは半分くらい。630円でした。 
読みたい本が650円で売ってましたがやめました。

今日のすっきりさっぱりでした!