さとみん絵本の世界

さとみんおすすめの絵本や本(児童書が主)と、うずまいている日々の迷いや気づき!!

へそのお

2006-05-31 | 子どもと読んだ本
  へそのおにつながった自分を想像したいとき

key word・・・へそ へそのお入れの箱 おかあさん 安心


 「なに これ。かいの ほしたのみたい」
 「へそのおよ。あなたが おなかの なかに いたときの いのちづな」
 「へぇ、そう」

 おかあさんには、ふたり目の赤ちゃんがおなかにいるようす。
ぼくは、桐の箱の中にある「へそのお」を見て、アレコレ思いをはせる。
宇宙までもね!

なんとかのへそ、というと、何かの中心を指すことばであるとか、
外国のへそのおを入れるおもしろい箱を想像してみたり、
アメリカの先生に英語で何ていうのか聞いたりする。

でも、ぼくがおかあさんにだっこされつつ、
おなかの中にいた時のことを想像してしあわせそうな顔をしているのが、
とってもかわいい。
どの子どももおかあさんとへそのおでつながって、
胎内で育まれて
誕生するのですね。

あたり前だけど、改めて
へぇーー、そぅ。

我が子に読んだあと、実際に箱の中にはいっている「へそのお」をみせた。

 なんか気持ち悪ーい

と言いつつも、興味深げにみていた。

うん、はっきり言って、はなくそのでっかい版みたい。
それが桐の箱に入っているから、変に特別っぽい。
でも、大事!

 中川ひろたか/作  石井聖岳/絵   PHP研究所


よい子への道

2006-05-29 | 折り返した人生!
 「よい子への道」 おかべ りか  福音館書店 1995年発行
 おおきなぽけっとで掲載したものに加筆した本

おおおっ!おもろい!
ネジが曲がってる。ネジがとれてるよ、おかべりかさん。
どんな風貌をしているのだろう、作者は?

もちろん、「いわゆるよい子」ではないのはだれでもわかる。
「○○ではやってはいけないこと」シリーズでは、こんなこと全然思いつかないことのオンパレード。やるねぇー。
すごいねぇー。
でもさぁー、やってみたい!

保健室でぬいぐるみとねたり、ハンモックでねたり、夜中に理科室にしのびこんでポップコーンをつくったり、ニワトリ小屋を豪華絢爛にしたり、ふろばでかんてんゼリーをつくったりなんて、サイコー。


そこでひとつ告白、というのか、懺悔といったらいいのか
わたしの子ども時代の数々のできごとは、まさにおかべ流「よい子」だった?!
かいつまんで・・・・
 ○ ひとーつ
せみを33匹つかまえて、部屋のなかで全部放したこと。それも人のうちの庭にしのびこんでつかまえたせみです。部屋に散らばったせみたちは、タンスのうらに隠れたりしました。怒られた記憶は幸いないです。覚えていないだけ?
 ○ ひとーつ
カエルのビン詰めをつくりました!!ひぇー~
ビンに一匹いれたんではなくて、ぎっしり。もうはいらないくらいぎゅうぎゅうに。おそろし・・・
 ○ ひとーつ
虫取り網でスズメをつかまえました。スズメのあまりに強い抵抗におどろき、すぐに逃がしましたが、その時の手の感触は今でもよーく覚えています。
 ○ ひとーつ
いたずら電話をしました。英語で!いえ、覚えたてのメチャメチャ英語で。
でもマジに応えてくれたのが印象的。相手は子どものいたずらとわかってそれにのってくれたユーモアあるオトナだったのか?ナゾです。
 ○ ひとーつ
空き家にともだちと忍び込んであそびました。すごいドキドキでおもしろかった。
なぜ入れたのか、これもナゾ。
 ○ ひとーつ
幼児の頃、魚屋さんごっこをしました。ほんものの「きんぎょ」を使って!
さばいたかって?忘れた。

ほんとにほんとに「よい子」だったわたしです。
よい子をささえてくれた両親や近所のおばさんたち、そして生き物たちに
こころから 
あ・り・が・と・う!!!!
まだまだありますけどね、よい子の歴史・・・

でも、おかべりかさんの「よい子」はもっとすごいからーー

で、ちょっと対照的なのが
「いいこってどんなこ?」という絵本、
ジーンモデシット/文 ロビン・スポワート/絵 もきかずこ/訳 冨山房 です。

いえ、一見すると
  あなたはそれでOK。どんなあなたでも大好きよ
というメッセージのようですが
わたしはとってもしっくりこないのです。あまのじゃくかもしれませんが。
居心地悪くて。
うさぎのぼうやがおかあさんに、こんなぼくでも好きなの?ときく話しですが
おこっているときも、ばかな事をしたときでも大好きよ、と応える母親。

 「でも、ぼくが ばかなことばっかりしてると、おかあさん 
  いやになっちゃよね」
 「どんなに おばかさんでも、バニーはおかあさんのたからもの」
 「びっくりするような おばかさんでも?
 「どんなに あきれるほどの おばかさんでもよ」

のくだりはどうだろう。おかべ流のおばかをやったときにこんなこと言えるひとは
神さましかいないと思う。いや、神も仏も「いいかげんいせんか?」言うのでは?
とりあえず理解せずに怒ってほしい、困ってほしい、
それがよい子の醍醐味だからね。
ま、楽しいよい子をするときって、おとなの反応なんか勘定にいれないけれど。

どんなあなたでもいいのよ、というスタンスは理想ですが、

  あなたはあなたらしくしていてくれるのが いちばんよ

といわれたらどうだろう。
え?わたしらしく?
そんなのこわいです。わたしらしさなんてよくわからない。決めつけないでほしい、と思ってしまう。
こんなわたしを変えたい なんて思うときってあると思う。

この二冊をいっしょに読むことをおすすめします。
もちろんうさぎのバニーのお母さんみたいに
なんでも平気で受け止められるおおらかさは理想ですが、現実は違うのよね。

かなしいかな、おとなは子どもではないから最低限の社会のルールを気にするし、
たてまえという鎧は、スムーズに生活するために必要なのです。
だからあんまり「おばか」では困りますー。
無理に理解あるよいおとなをがんばらなくても
「あなたのそのおばかはとってもイヤ」と言おう。

でも「おばかなよい子」は超楽しい。

ちなみにこの「よい子への道」子どもらに人気です!

あっ おちてくる ふってくる

2006-05-29 | 読んでみて!
画像が薄くてみえにくいですね。
実際この表紙の絵はトーンが軽く、うっすらしています。
あまり存在を主張していません。
そのせいでしょうか?

みつけた!!

という思いをいっぱいにさせてくれる本です。
こんなに生活の中から詩的なものを集めてくれた美しい本はめったにない、と思うのです。

し ・ か ・ も
作者は「どろんこハリー」でおなじみのジーン・ジオンとマーガレット・ブロイ・グレアムのご夫妻。
で、もっと驚いたことに、
1952年にコルデコット・オナー賞を受賞しているにもかかわらず、
邦訳されたのが2005年!
なぜ、こんなすてきな本が何十年もねむっていたのでしょう。
きっとまだねむり続けている宝本があるのだと思いますが・・・

「ALL FALLING DOWN」(原題)とは、おちてくるものに焦点をあてています。
そのおちてくるのもは、豊かさ、恵み、やさしさ、畏れ、であって、
宇宙レベルでもあるし、このちっぽけな自分のことでもあったりするのです。
ああ、そうだよね。はなびらは風に舞ったりしておちるよね。
それは枯れるんじゃなくて、風とたわむれているのね。

ほかにもたくさんのFALLINGするものがでてくる。
それらの豊かさに気づかされ、感謝の気持ちがわいてくる。

原文をとなりに載せてほしかったな。
みんなFALLING DOWN という表現なのでしょうか。

自然を表す日本語の美しさも感じます。「おちる」「ふる」のほかに
「おりる」とか「くずれる」でも言い表せるし、また、動詞を使わなければ
使わないなりの表現があります。

そして、このさいごがいいな。しあわせで。
このしあわせを素直に味わえる素直な自分がいます。

読んでみて!

わたしみたいにこんなに喜んでる人いるのでしょうか?
でも、こういう何気ない作品にグッとくるのです。


ちなみに、ネガティブ思考になりがちなわたしとしては、
最後にはからだがFALLING DOWNするのね。
でもでも・・・・
そのわたしを受け止めてくれる大地があるっていうふうにしたら
やすらぐかもしれない・・・・。


 ジーン・ジオン/作 マーガレット・ブロイ・グレアム/絵
 間崎ルリ子/訳    あすなろ書房

金をつむぐこびと-ルンペルシュティルツヒェン-

2006-05-18 | 子どもと読んだ本
 グリム童話です。
いろいろな訳者や絵描きが挿絵を描いています。
昔ばなしはだれのどんな訳で、or、再話で出会ったかによって印象が全然違ってしまいます。
子どもにはじめて読むときや紹介するときは、結構気を使います。
というか、いい加減にしたくないのです。
間違ってもかわいいだけののっぺりしたアニメだけは避けたいのです。
これはわたしの「美意識」だから遠慮しません。
下手に絵本を与えるくらいなら、絵なしで読み聞かせをしたほうがいいです。
むしろ昔ばなしはそのほうがかえってリアリティーがあるようにも思います。

この「ルンペルシュティルツヒェン」はバーナデットワッツによるものです。
わたしが始めてこの話にであったのは、挿絵がなかったか
あっても簡単な銅版画だったように思います。
だからこのように美しい絵があるとちょっと違和感があります。

気に入ったのがこびとです。
全身みどり色の衣装と赤いくつが不思議さと怪しさ
に充ちていてわたしの印象を裏切らないものです。
でも王さまがちょっと・・・・若くてやさしすぎるーーー

このおはなしは「なまえのちから」なるものと受けとっています。
なまえをあてたら子どもは取らないぞ、とこびとがおきさきさまに
約束をするのです。
おきさきさまは、使いのものがたまたま森で聞いた歌によってなまえを知ってしまいます。

 きょうはパンをやき
 あしたはさけづくり
 あさっては おきさきの子どもが 手に入る
 わたしのなまえは ルンペルシュティルツヘェン
 でもだあれもしらないことなのさ!

知らずに陽気に歌っているこびとに同情してしまうのは
わたしだけではないと思いますが・・・

だって王さまの身勝手な注文ーわらを金につむぐーをやってのけたのは
このこびとですからね。

さて
おきさきさまがなまえを当ててしまうと
こびとは
からだをまっぷたつに引き裂いて地面の下へ消えてしまいます。

日本のはなしで「だいくとおにろく」がありますが
おなじような内容です。

   なまえのちから

はあると思います。
言霊というのでしょうか。
位の高いひとの名は決して口にだしてはいけない、というのを聞いたことがありますし
仮に名まえを言うときには
たとえばC.Sルイスの「馬と少年」では
「ティスロック王 御代とこしえに!」といいます。

スズキコージやおぼまこと でもこの話しの挿絵があります。
どうせならずらっと並べてみるのもおもしろいでしょう。

  バーナデット・ワッツ/絵 佐々木田鶴子/訳 西村書店

ふしぎなバイオリン

2006-05-17 | 子どもと読んだ本
クェンティン・ブレイクの作品。1968年発行岩波こどもの本シリーズです。
私のは、近くの図書館でリサイクル本として拾ってきた掘り出し物です。
この汚れ加減が本好きのこころをくすぐるのです。
インターネットで調べてみると、今手に入りにくいようです。
復刻ブームが静かに進行しているので、これもはいるかもしれないですね。
「さとみん絵本の世界」で紹介されたから!?

原題は「PATORICK」。
クェンティン・ブレイクってだれ?
と思う人も、ロアルド・ダールの「マチルダは小さな大天才」とか
「チャーリーとチョコレート工場」といえばきっとわかるでしょう。

さてこのおはなし
パトリックというわかものが、なけなしのお金を払って買ったバイオリンが
とびきりすてきな代物だったのです。
パトリックがバイオリンをひくと、さかなたちがとびまわったり、リンゴの木に
アイスクリームやおかしが実り、とりの羽がカラフルになるのです。
馬車で通りがかった哀しみに暮れていた夫婦も、元気で笑ってしあわせになります。
子どもはどの場面が好きかって?
もちろんおいしい物のなる木がでてくるところ。
誰でも一度は子どもの頃夢みたのではないかしら。
アップルパイやチョコレートケーキ、クッキーにくだもの、
バタートーストやパフェにアイスクリームがたわわに実っている不思議な木。
いくら食べてもおこられない。

ま、主題はお菓子にあるのでなく、バイオリンの音色にあるのですけど。
ことば巧みに語られるより、しあわせな絵のほうがよりやさしく伝わることもあるかもしれない。


でも本当に音楽ってこんな「ちから」があると思います。
そして
パトリックというわかものは案外身近にいるのかもしれません。


 クェンティン・ブレイク/作&絵  谷川俊太郎/訳  岩波こどもの本

りんご /THE APPLE TREE

2006-05-16 | 読んでみて!
 この作品はあのアナグマで有名な「わすれられないおくりもの」のスーザン・バーレイのものです。
この作家の絵はすごく印象が深く、文は他の人が書いているのにスーザンの?と間違えることもあります。
で、この「りんご」は文と絵両方ともスーザン・バーレイによるものです。

時に、かわいくメルヘンちっくな絵が居心地悪いときがあります。
んーー、かわいくてすてきなんだけど・・・受け付けない気分の時があります。
やさしすぎると逃げたくなるあまのじゃくな性格なのかもしれません。

でも、でも、とてもへこんでいるときにこの「りんご」はおもわず頬がやわらぎます。
なんでもないフツーのお話しが、そっとこちらに寄り添ってくれているようです。
りんごの話しは他にも有名なのが、チェコのエドアルド・ペチシカの「りんごのき」があります。
これも季節の移ろいとともにりんごが実る静かな話し。

この「りんご」もそうです。
だれかが捨てたりんごの芯をリスが植えて、こぐまやへび、きつねたちに見守られて育っていく。
そして何年もかかって立派な木に成長し、赤いおいしそうな実が動物たちに届けられる、というもの。
そのりんごの届き方がグッと和まされる!!
癒される!!
独特のやさしいタッチと色がなんともいいのです。
ああ、原画がみたいーーーー
わたしのところにもりんごがプレゼントされたような気持ちになりました。(すなおなわたし)
お月さまにまでりんごが贈られるのはちょっとメルヘンすぎるように思うけど。

ちょっと元気がないときや懐疑的になっているときにこの「りんご」はいかが?

三木卓の訳の横に英語で本文が載っているのがこれまた楽しい。
メルヘンにおぼれすぎるのを制御する効果もあります。


  スーザン・バーレイ/作&絵  三木卓/訳  かまくら春秋社

羊の毛刈りショー

2006-05-10 | うずまきな日々
 今年のG・Wゴールデンウィークは海外に出かける人がすごく多かったそうだ。
んーー、私には関係ないことだ。一度くらい子どもたちを海外に連れて行ってあげたい気持ちはやまやまなのだけど。の問題!?

うちの近くに区立の動物園がある。そこにはカンガルーやレッサーパンダもペンギンもいる結構ミニながら充実した動物園だ。
そこで毎年G・Wに羊の毛刈りをやっていると、一年前のG・W明けに係りのお姉さんに聞いた。
それから一年、とても楽しみに待ったのだ。
午前の回には寝坊をしていかれなかったので、午後の回に行った。
いつもは「ふれあいひろば」となっているところが舞台になるようで、きれいに空いていた。
私は15分くらい前から円形の囲みの手すりのところに場所をとってじっと待った。
絶対他の子どもには譲らんよ~~、としっかりと場所を陣取っていたのだ。
我が子も連れて行ったよ。

いよいよ始まる、という時になると、どんどん人がふえていった。
午前中に刈られた羊くんは寒々とした哀れなすがた。
毛刈り担当のおじさんが入ってくると、ひろばにいた羊くん、やぎ、にわとり、
かもたちが一斉に逃げ出した。
あ、わかってるんだーー
そして緊張のためか、うんちやおしっこをし始めた。
観衆にあいさつをしている人間たちを、かたまってじっとしている様子はおもしろかった。
そして、いつものように排泄物を処理する係りの人が、なにげに動物たちのところに掃きながら近づいて行った。そこですばやく(ほんとにすばやい動きだった)午後に刈られる羊を捕らえたのだ。
おみごと!
私はそれらの様子のわくわくしながら見ていた。

羊の毛刈りは、若かりし頃一人でニュージーランドに行って見て以来。
広ーい牧草に羊の大群。確か「誰か羊に乗りたいか?」と聞いたと思う。
乗ればよかったなー、と後悔している・・

この小さな動物園で行われた毛刈りだが・・・
てっきりバリカンでやるのかと思ったら、「はさみ」でやったのだ。
非合理的で生産性のないこの方法ができる人は今「ひとり」しかいないそうだ。
結構若いお兄さんだったのでびっくり。バリカンよりもはさみのほうが、良い毛が刈れるそうだ。
そうか、時間のかかる面倒なことってやっぱりほんとはいいんだ。
羊の気持ちはわからないが、バリカンでガアァーーーっとやるよりも、はさみでジョキジョキとやるほうが気持ちいいのでは?
お兄さんはみんなに見えるようにゆっくり回転しながら刈っていた。
飽きやすい観衆のためか、途中からバリカンで刈った。
茶色で立派に毛をつけていた羊くんは数分すると、スマートに変身していた。

1頭で子どものセーター4、5枚はできるそうだ。
私も羊毛の恩恵を被っている。紡いだり、羊毛細工をしたり織ったり。

ありがとう、羊!