今日は朝から突然寒く、思わずファンヒーターに灯油をいれました
いよいよそういうシーズンになったか・・と思っていたら実家では寒がりばーちゃんにあわせてコタツを出したそうで、それはいくらなんでも・・と思うのであります。
ちなちょは、りっくん達を預かっている間、2週間(実質7日間)保育園に通いました。
「一時預かり」で通ったので、実際にクラスに所属したわけではなく、一時預かり担当の先生と、臨時の加配の先生と一日を過ごしていたようです。
折りしも運動会前の保育園、みんなダンスの練習でビニールテープで作ったポンポンをもって音楽に合わせて踊るのに、ちなちょはいっしょにやりたくて先生のおっしゃるにはダンスをほぼ一通り、覚えてしまっていたそうです。
好きこそ物の上手なれってのはまさのこのことかもしれません
ちなちょは一日も嫌がることなく、楽しく園に通うことができました。
最終日、園長先生と立ち話、したんですけど、曰く、「どこに行っても加配さえつけば同じよ。心配しなさんな」だそうです。
こたろんの中での保育園選びの基準は・・
①幼稚園、私立の保育園は選択肢の外
②1クラスが30人にもなるような人数の多いところもダメ
③文字や英語や算数は教えてくれなくていいので、とにかくのびのび遊ばせてくれ、必要最低限の着席や生活習慣を教えてくれれば充分満足
結局①でなければいいってことですね
ありちが入園のときは幼稚園しか視野に入っていなくて、まだ診断はついていなかったものの言葉もまだうまく出ていなかったし、トイレの問題や行動の問題があって、それを受け入れてくれる園を探していくつも園長面接して歩き、「うちではちょっと・・」と断られた園もいくつかありました
最終的に入れていただけた園があったのですが、お父さんの仕事の都合で2ヶ月で退園し、ちなちょ出産のために実家に身を寄せた、そのとき預けた保育園を最終的に卒園することとなりました
ありちはこたろんの病気の都合もあり、全部で6箇所の保育園、幼稚園を渡り歩きました。
で、最終的には田舎のちっちゃい、の~~んびりムードが漂いまくりの保育園で2年を過ごしました。
その間に自閉症の診断もつきました。
こたろんは思うんです。
ありちがけっこうすんなり小学校へ順応していったのはこの園のおかげじゃないかって。
特別特色があるわけでもないけれど、すぐ近くの山に散歩にいってどんぐり拾ったり近くのりんご農家にりんご狩りにいったり、遠足のお弁当といえば「おにぎりとお茶のみ」
せかされたり、押し付けられたり、不必要に怒られたり、そういうことがほとんどなかったこの園での生活が、ありちの心を落ち着かせ、自分にちょっとの自信を与えてくれたんだと思います
だから、人数が少ないことにとってもこだわってたんです。
だけど、園長の、「加配がつけば」の言葉・・・・・・
それは、「ちなちょ」を見て、おっしゃった言葉なんです。
同じ自閉ちゃんでも、ありちとちなちょは性格が全然違うんです。
ちなちょはありちに比べて言葉はかなり遅れています。
だけど、それを補って余りある「明るさ」「物おじしなさ」の持ち主なんです。
いつもニコニコしていてご機嫌がよくて、楽しそうにしている、それがちなちょなんです。別な言葉で言うと、いい意味で『図太い』んですねえ
ありちは、もっとずっと繊細さのある子なんです。
・・・・・・と、すれば、ちなちょは案外どこに放り込んでも平気かもしれない・・・・?!
そんな思いで、今まで選択肢から外していた商店街にある保育園へ、園長先生との面接を申し込んで行ってきたんです。
そこは、ありちの学校からも近いし立地は最高なんですけど、園舎は狭い土地に建てて凸凹した変な建物だし、園庭も狭いし、何より定員「170名」絶対避けたいと思っていたんですが・・・・・(ありちのいた園は60名)
実際にお会いしてみたら、クラスはかなり少人数の「15名」加配の先生がきちんと勉強して、現在いる発達傷害のお子さんに対しての対応もバッチリ(写真の活用、集会で怖くなったら外で休ませてくれるなど)で、パニックがとっても減ったとのこと。
ちなちょの通う療育園へも見学にいらしているそうで、「ちゃんと勉強してくださっている」ことがとってもよくわかりました
百聞は一見にしかずとはまさにこのこと。印象や人聞きだけでは判断できないのですね。
ちなちょは園長室で多動なおのぼりさんを遺憾なく発揮し、「あらあらちなちょちゃん、そこはダメよ、怖いのよ(@@)」と園長先生が高いところに乗せればそれを求めて更に上へ
おかげで「加配の先生つけないと危ないわね、つけるように頼んでおきましょうね」と園長先生自ら仰ってくださいました
書類をいただいてきたので、申し込み指定日にちなちょを連れてもう一度いく予定です。
保育園は、小学校に続く大事な階段だと思うんです。
だからこそ、ちなちょが萎縮することなく、のびのび生活できる場であって欲しいと願わずにはいられないのです