うつな母ちゃん奮闘記

うつ病の私と高機能自閉症のありち、元気な女の子ちなちょとお父さんの生活日記

やりたいこと やるべきこと

2018-01-31 21:23:47 | 
お客さんがいらして、話をしてたんですね。

「やるべきことが〜」

って言葉がいっぱい出る方で。


やるべきこと〜

やるべきこと〜

やるべきこと〜


それだけ「やるべき」ことに縛られてたら、さぞ、苦しかろう、とおもいました。



やりたいことは、なんですか?



そう、質問したら、何て答えるんだろう?


そう、思いながら、お話、伺いました。


「やりたいこと」


聞かれたら、パッと、答えられますか?



案外、難しいことかもね。




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尊敬しろ!のうらがえし

2018-01-11 17:59:19 | 



寒いですねー。

週末に向けてますます寒くなるとか(´・_・`)






「尊敬しろ」

「感謝しろ」


って言われると、ますます反発したくなる。

反して

「少しは私に感謝しなさいよっ!」

って思うときもある。


なんだ?コレは?


そもそも、感謝される、尊敬される人ってどんな人~(・・?))


尊敬とか、感謝って、「しろ」って言われてするかって言ったら、しない。

「感謝しなきゃ!」

そう思うことはあっても、じゃあ、それで本当に感謝してるかって言ったら、そういうもんでもなさそう。

そういう気持ちは、自然に湧いてくるもので、「しろ!」って言われて、義務感でできるもんではなさそう(; ̄ェ ̄)

言われてするもんじゃないし、しなきゃ!と思ってできるものではないってことで。

尊敬される人って
「自分を尊敬しなさい」
って言わない。

感謝される人も、
「自分に感謝しなさい」
って言わない。

ほっといても、尊敬されるし、感謝されるし、尊敬したくなるし、感謝したくなるから。

要するに
「そういう人になれば」
言わなくたって、周りが勝手に尊敬も感謝もしてくれるってことかと。

「そういう人」は、
尊敬されたい、感謝されたい、とすら、思ってないかもしれないな。。

それどころか、
「そういう人」は、
本気で感謝することを、自分がしているかもしれない。

感謝の相手は、人だけでないだろうな。

「自分に感謝しろ」

っていうときは、自分に本当に自信が持てないとき。

誰かに感謝されることで、自分の行いの正しさを、肯定したい。
尊敬されることで、存在意義を、確かめたいかもしれない。


だまってても、そこにいるだけで、それでいいと思え、思われる人になるってことかなー?

と、突然思いついて書いてみた。


死ぬまでにそうなれたらスゴイかも(^◇^;)

なろうと思ったらなれないかもね(汗


とおいなぁ〜〜(・_・;
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宇宙に一人だけ

2014-01-29 11:51:53 | 
あったかいのか、寒いのか、よくわからないこの冬です(O_O)

昨夜、ちなちょの支援会議がありました。
この頃お疲れ加減で、膀胱炎やら口内炎やら、学校行けないやらのちなちょですが、どうやら原学級に行かれない様子を、学級担任の先生に伺いました。
一人のお子さんとのトラブルが引き金となったようで、先生も対応に困っていらしたか、いつも、すっごく元気な先生が波ぐんでおられました

相手のお子さんに「ちなちょに甘い!」と言われたそうで
それならと、ちなちょをワザとキツく叱って、「パニックになっちゃうでしょ?」と実演してみてくれたそうですが。。。それはちなちょがワガママと思われてしまうかもなぁ~、と思いつつ、先生方、本当に頑張ってくださっているので、突っ込みませんでしたが。

みんな平等ってなんだ?って話で、ちなちょがみんなと同じステージで同じにできるようにするっていうのは、当然ムリな話。
結局、どの子も同じでないから、それぞれに違うのが当然だよねってことで。


会議終わってから、色々考えたんですね。
みんなに共通で、平等に与えられてる、それは権利と私は思うけど「幸せになること」
どこの世界のどんな人も、大人も子供もいい子も悪い子も、頭いい、イマイチ、警察様のお世話になっちゃった、そういった全てを取り払って、みんな幸せになっていいと思う、というか、そういう意識でいたいと思う。

誰もが宇宙にたった一人の大切な存在だと。


ありちが小さいとき、自閉症を思い悩んだとき、ありちに「幸せになっていいんだ」と言ったものです。
それは、ありちが、自分はバカで悪い子だって、泣いてたからだけど。
お母さんに虐待されてた生徒さんにも、そう伝えたこと、あります。泣き顔が、笑顔になるのね。
ちなちょのトラブル相手のお子さんは、きっと、大事にされたいんだろうと、そう思います。
先生は、その子もワガママだから、とおっしゃったけど、ワガママのウラに甘えたい気持ちがあるんじゃないかと、思います。

大げさ、極端かもしれない。
でも、クラスのみんな、大事だよって伝われば、また様子も違ってくるのではないかと、そう感じたのでありました。

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まあ、色々と

2014-01-24 09:30:06 | 
ちなちょが、昨日、今日と学校休んでいます。ありちは、基本が一日おき登校なので、昨日登校、今日休み

二人とも、お疲れモヨウ。
ホントは放り出してでも登校させたいところですが、そんなことしたら、予後悪くて欠席増えるうえに、親子ともに自虐方面に突っ走るのは経験済み。

ダメなときはスッパリダメなんですね。

そうは言っても、ありちはともかく、ちなちょがいると、一日身動き取れない母です。

今日あたりは、ちょっと気晴らしに友達のとこに行こうと画策していたのですが、諦めるしかないですね。


知り合いのピアノの先生で、音楽科の先輩Yさんから、特別養護老人ホームのボランティア演奏の依頼があったのは、昨年の暮れも押し迫った頃でした。
当初、クリスマスに、とのことでしたが、年明けで、となり、来週行ってきます。

老人ホームだと、懐メロ系かと思ったら、おいでになる方皆さん、青い山脈、りんごの唄だそうで、クラシックも入れて欲しいとのこと。

Yさんはバリバリ演奏できますが、こういう場所では初めての経験だそうで、何となく敬老会やらの演奏経験があるこたろんに白羽の矢を立ててくださったのでした。

そうは言っても、老人ホームでのライブに歌なしクラシックオンリーは無理であろう。。~(・・?))

自分は何年も声帯ポリープでマトモに歌えない(音域テノールになった)ので、歌って弾けてしゃべれる友達に更に助っ人を頼み、昨日になって、Yさん知り合いのパーカッション奏者(31歳、新婚、見た目かわいい)お兄ちゃんが加わり、総勢4人になりました(スゲー)

本番はこたろんちの電子ピアノほか機材の準備も必要で、プログラム組むあたりから、楽譜の準備、等々、ひとしきりやるわけです。



この頃、「牽引車」的な立場が多くなり、それは嫌いではなく、色々考えるのはとっても楽しいですヾ(@⌒ー⌒@)ノ。。。が。。。。疲労感のせいか、現在ポイ投げしたい心境と戦っており( ;´Д`)



やっぱり、自分の自尊心を埋めたくなるんですが、ついつい先に立ってやる方向に行くのだけど、途中で疲れて息切れしちゃうんです。
人の後くっついていけば、もっと楽チンにできるのに、しかもできる人はいるわけですから、お願いすればいいのに、先に立ちたくなっちゃう。

そうこうしてると、「こたろん先頭」が定番化するので、ますます自分の首絞める。

ようするに、人様に「よくできました」の評価を持ってかれることがイヤなんだわね。
で、自分がほめられたくて、先頭に立って自滅する。。。。わかってますが、そういう思考、行動パターンなんだと思います。

人様の評価を気にすることをしなくて良くなれば、もっと楽チンよね、きっと。

歌って弾けてしゃべれる友達は、そういう意味では実に前向きであり、楽しいことはみんなで楽しむ事が大好きな人。
すごいなー、と、尊敬してしまう。
自分の器の小ささを、痛感するのでありますよ

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ちなちょが

2013-09-08 22:06:00 | 
昨日、納骨して、ばーちゃん(母)の葬儀は一通り、終わりました。

その中で、とにかく怖くて怖くて、仕方なかったちなちょ。

お焼香も、お通夜も、とにかく「ナムナムしなさい」と言われて、それこそ決死の覚悟でばーちゃんの遺体の前にたち、「おばあちゃんありがとう、さようなら!」言ったが早いか脱兎のごとく、走り去り、車の中で過ごしていた。

通夜も、火葬場も、告別式も、車か別室。




ばーちゃんの遺影をもらってきたけど、黒い枠だと絶対まずいと、帰りに100均でとりあえず写真たてを買って帰った。
ばーちゃんが大好きなあま~い、インスタントコーヒーをお供えしたら、ちなちょはじっと、見入ってた。







夜、別件でグズグズしていたちなちょ。


突然、号泣して、「おばあちゃん死んじゃってさびしいよぉ」と泣いた。



あんまり接触もなかったから、怖いだけと思ってたら、そう言って、切なく泣いた。



自閉っ子は、人の気持ちはうまくよめないし、わからないことも多いけど、だから人を想う心がないんじゃない。

言葉や、表現が極端に下手くそだから、悲しさをうまく言葉にできないだけ。



そんなもどかしい思いを、まわりが汲み取ってあげる必要があるのだと、そう感じた。





昨日、今日も午前中は頑張れたけど、夕方からダウンです。

月曜日に亡くなって、告別式が金曜日。
昨日、土曜日まで納骨と片付け。

さすがに、疲れました。

火葬場があいてなくて、その上友引があってそうなったのだけど、ばーちゃん、ちょっとでも一緒に居たかったんだよ、とみんなで話しておりました。

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母 永眠

2013-09-04 23:16:34 | 
9/1に母が退院し、翌9/2 亡くなりました。

もう、いつそうなってもおかしくないということでしたが。

自宅に戻って嬉しそうだったとのこと。


69さいって、考えたらまだ、若いけど、いくつも病気を抱えた母、体重30キロしかなかったそう。

お化粧してもらって、とっても美人で、眠っています。


入院中、お見舞いに行って、髪をなでていると、何だか嬉しそうな、困ったような母と、そうしてなんとなく、落ち着く自分がいた。


今は、冷たく、横たわっているけど、髪をなでると、ずっとそうしていたい自分がいる。
どうしようもなく、離れ難くて、ずっと、いっしょにいたい。


明後日には、告別式で本当にお別れになるのだけど。。。


入院中も、亡くなってからも、髪をなでて、母をなぐさめているつもりでいた。

けれど、本当はそうやって、自分が甘えていたかったと、思う。

ずっと、甘えたかったなぁ、と思う。

母も、ずっと甘えたい人だった。





本当に、姿がなくなってしまうことが、怖い。


遺影は、まだありちが1歳のとき、ありちを抱っこした父と並んで撮った写真。

13年前だけど、まだ元気だったので、とてもきれいないい写真。


自分はダメだダメだと言い続ける人だけど、そんなことないじゃない。
ご近所の人が、泣きながら焼香にきてくれる。

全然、ダメじゃないじゃない?





ダメって、自分で言い続けて、もったいなかったよね、
自信もって、良かったんだよ。
バカだね。。。



ちょっとだけ、母と近づけたここしばらくだった。




やっぱりまだ、バイバイしたくない。。。そう、思う。



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何と言って欲しいのか

2013-08-14 23:38:24 | 
8/8にやっと旧居を不動産屋さんに返すことができ、今日は朝から引越しのご挨拶回りに10数軒の御宅を回ってきました。
9年間お世話になる間に地区の班長等順番でまわってきて、お陰さまで地区の皆さんととても親しくお付き合いさせて頂いていました。
引越しも車で5分程度の所ですが、地区を離れればお会いすることも少なくなるので、新居の住所と地図もお渡ししました。
あっちの御宅でひっかかり、こっちの御宅で縁側で話し、別なところでお茶を頂き…とっても有難いことです…>_<…
が、9:00過ぎに出かけたのに帰宅が15:00まわってしまいました(汗

相変わらず、お付き合いできたらいいな、と思いますが、なかなか難しいでしょうね。




さて、昨日も、母親のところへ行ってきました。
相変わらずの幻覚、幻聴、いつも誰かがのぞき見しているという被害妄想は相変わらず。
医師から、入院によるせん妄なのか、はたまた認知症なのか、投薬が必要なのかの判定のために精神科の医師に診てもらいます、と声をかけられた。

実際、内科的には大丈夫とのことなので、それが妥当な路線なのだろうと了解してきました。


母と話すと、いろんな妄想の中に、時々、自宅へ帰るとまた、妹はちに迷惑がかかる。きっとはちも怒っているに違いない、と言う。

こたろん自身も、そういう気持ちに取り付かれることは、今でも度々ある。

ただ、そういう思いのとき、自分の中に、「私を受け入れて、大事、必要と言って欲しい」という欲求があるのだけれど、その欲求に気付く前に「どうせ私なんか。。。。」という、いじけた気持ちが立ちはだかって本心を見えなくしてしまう。

いつも、親に気に入られるようにふるまわなければならない状況であったりすると「自分は自分でOK」でいいはずなのに、いつのまにか「自分であってはならない」というメッセージを取り込んで、それがその人の存在不安となっていくと、教えて頂いたことがある。

母親には「ばーちゃんは寝たきりでもいいからこうやって生きていてくれればそれでいい。それでみんな嬉しいよ」と声をかけた。
「そうか、よかった、安心した」彼女はそう言った。穏やかな表情になった。



しかし、私にしてみれば、母からマイナス感情をシャワーのように浴びせられ続け、ついに重度のうつ病にまで落とした張本人に、そこまで、それこそ我が子を大事に思うような感情など持ち合わせていない。
ただ、知識として、今、彼女に必要な言葉は何か、を選択しただけ。

うちの子達には「
障害があろうが、なかろうが、イイコでも悪いコでも、大事なお母さんの子供だよ」と言ってきた。
そして、やっぱり最初は知識でその言葉をひねり出した。
しかし、そう言ったからには行動を伴わせないとただのウソになってしまう。
だから、言葉と行動が一致するよう、常に気をつけていたと思う。
そうこうするうちに、言葉と自分の心が近づいて、本当に大事と思えるようになった。



さて、母親にもそう言ったからには、行動を一致させる必要がある。




が、今度は我が子じゃない。
母である…ちょっと前まで見舞いに行くことすら避けていた相手に、そんなことができるのだろうか?

しかも、実際に一緒に暮らすのは、実家にいる妹であり、父であり。。。


おそらく、母の心にある「愛情が欲しい」子供の部分を埋め合わせてあげる方が、母も単純にいじけた感情だけでなく、もっと素直になれて、話しもしやすくなるかもしれない。
仮に、認知症が継続しても、落ち着き加減に違いが出るかも?とも思う。


けれど、私にしても妹にしても、それぞれ母に対して複雑な感情があるのに、そんなことができるのか?はたまた、しなくちゃいけないわけ?と思わないでもない。


亡くなった祖父もたいがいな人格だったが、主治医に「普通のおじいちゃんと孫になれませんか?」と言われて「絶対無理」と思った。


どうするべきかはわかってる。
ただ、感情がついてこないのだ。


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ばーちゃん待って

2013-08-08 09:48:48 | 
夕べ夜中に、入院中の母親の様子が良くないと呼び出されて行きました。
酸素濃度が40まで下がって意識がハッキリしないと。


前回入院の後、退院したのですが、再び状態が悪く入院したのです。
入院当初もかなりしんどい状況でしたが、一度回復、しかし、認知症が降って降りたように現れ、話は10数年前の世界へ。


入院中のせん妄もあるので、早めに退院させて様子を見ようというところ。



昨日は折しも、精神科の受診で、医師に、母親をあのまま逝かせてしまうことはできない。少しでも、幸せな気持ちにしてあげたいと、そう話したところだった。

付き添っている間、お母さん、大事、大好き、これからいっしょに幸せになろうと、声をかけた。


妹はちも、やってきて、状態が落ち着いたところで病院を後にした。




後で、想う。





自分はどこまでもイイコちゃんだ。



本当の本心は別なところにあることに気付く。


ばーちゃんそのまま死なせるわけにいかない。心が不幸すぎるもの。

けど、私も、置いていかれたくない。
今、置いていかれることに、恐怖すら感じる。
だめ、おいてかないで、まだ、私とばーちゃんはこれから親子になるのに…


反面、認知症の心配。




今は夏休みで妹が動けるが、夏休みが終われば学校勤務のはちは出勤する。
その間をどうするか、考えなければいけない。

私が行けばいいだろう。
けれど、自信がない。


まだ、母親がすぐに、ということか、はたまた無事退院するかも不明。


何もハッキリしないのに、悩んでも仕方ない。



自分てなんなんだ…?

親に依存したいのに、結局、できない。
相手が病気だから?



違う。




甘えたいのに、甘えることをできずにきた、もう一人の子供の自分が、私にも、妹はちにも、そして母親にも…


みんなが抱えて出せずにいるのだ。。。

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あの頃

2013-05-31 23:40:22 | 
午後から、妹はちと、生徒さんのお母さん兼、ちなちょの同級生のお母さん兼、こたろん友達のTが荷造り手伝ってくれました。
Tには、明日運び出す食器棚の中身を段ボールに詰めてもらい、はちは大量の楽譜を「段ボールじゃ追いつかないo(`ω´ )o」とビニールテープでしばって自分の車に積み込み、「明日新居に届けてやるよ」とのこと。重くて車が沈み込んだってΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

玄関先まで荷物でいっぱいですが、はちもTも仕事が早い。
こたろんなんて、頭で考えるだけで疲れて先に進まない。
「そんなもん、考えるからいけねえ、先に身体動かせ( ̄Д ̄)ノ」とT。
仰る通りでございます。

お陰様でだいぶ仕事は進みましたが、おそらく一番働きの少なかった自分がへたばっております(~_~;)


ロスから帰国した頃、それからしばらくうつがひどくて、ありちを福井のおばあちゃんに預け、実家で過ごした数ヶ月の日記があります。

どれもこれも、自分は邪魔、生きてるのが罪ってことから、恨み言まで、我ながらスゲーと思うことが連なっておりました。

その恨み言も、辛い気持ちも、眠れぬ日々も、身体のつらさも、今、読み返せば、何で、どんな思考回路で考えればそうなるのか、ずいぶんわかるようになった。

心理療法を始めて、もう8年くらい経つ。
完治はしないが、ここまできた。
医師は、当初、ほとんど話さず、私の話を聞くだけだった。
けれど、不思議とその日医師の前で泣きながら話したことは、その後自分で何となく消化して、言えなかった不満を伝えるとか、やらなきゃと思ってもできないジレンマに折り合いをつけるとか、いろんな形で解決の糸口を探すようになった。


今日、ちなちょのお迎えに行ったら、以前に発達障害の本をお貸ししたお母さんが、「全部読み終わった、おかげで、まだまだ怒ってばっかりだけど、でもうちの子のこと、ずいぶんわかった」と仰った。
2年近く前にお貸しした本で、もう何を貸したのか忘れてたけど、役に立ったと言って喜んでくれたのが嬉しい。


自分はきっと、この先もたくさん悩んで、泣いて、でも立ち直るときもあって、生きて行くんだろうと思う。その中のどこかで、うつや疼痛や、いろんなしんどさがなくなるかもしれないし、ずっと引きずって行くのかもしれない。

いろんな人から教わったことを、今困ってる人にちょっと手助けできる時もある。

以前より、ずっと積極的に生きられる。
相変わらず、めんどくさいし、しんどい仕事を頭でシュミレーションして具合悪くて動けなくなるクセは今も変わらず。。。(~_~;)


でも、家を新築するという、大仕事に踏み切った自分に、すごく驚いている。

お父さん的にどうなんだ、ということはあったけど、医師が「そうは言ってもあなたが動かなければ実現しなかったことだ」と言ってもらい、無理やりな部分もあって、ちょっと罪悪感ではあるけれど、そう思うことにした。

何がどうしたって話でもないけれど、絶望しかなかった、不安と恐怖と出口のない悩みの中にいたことを思い、でも、おかげで今があると、そう思った今夜でした。

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今朝

2012-06-29 06:20:46 | 

6:00から玄関チャイムをピンポンうるさく鳴らすので「はいはいはい」と家の中を走っていったら、朝取れたての、ピカピカきゅうりを持ったじーちゃん。。。こたろん父であった。
「朝、めた飛んであるきゃー具合いいだ」朝行動するといい、と言ってやってきた。
前の畑のおじさんの車にもちょっとおすそ分けを置いてきた。

なんだか、有難くて涙が出た。

ばーちゃんが肺炎で入院してたけど、一度もお見舞いに行かなかった。

近寄れなかったから。




どうしたら乗り越えられる壁なのか。





きゅうりかじって、考えるか…


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