お天気のよい日が続いております。
こたろんちは、とにかくちなちょにやられっぱなしで親は二人とも悲鳴をあげている始末です
ありがたいことに、日中は一時預かり支援の予約が取れたので、ちなちょは10時から17時は施設でのびのび遊ばせていただいております。
しかし、「これだけ遊ばせれば大丈夫!!」と施設の方が太鼓判を押したにも関わらず、帰宅してもちなちょは元気
先日妹はちに台所の廊下側のドアノブを鍵つきに交換ちてもらったのだけど、開かないことに怒ったちなちょはガラスを割ってくれました
そんなことの繰り返しで、ちなちょをあずけたその足でホームセンターへ行き、「プラダン」というビニール素材のダンボールを購入。ドア一面にべたっと貼り付けてとりあえずこれ以上ガラスが割れるのを防いでおりますが・・・・何せ両面テープしか使えないので(借家ゆえ)いつはがれるか、はがされるか・・・時間の問題です。
とにかく、家中のドアも扉も引き出しも、全てに鍵のかかる家に住みたい・・・それが今の願望です。
施設の人に「だれか言えの中の構造化を指導してくれるような人はいないものか?」と話してみましたが、よほどに自閉症のスペシャリストでなければむりだろうと・・・長野は福祉遅れすぎっ!!と断言されました。
今度「PECS」という絵カードを使った会話の方法をし施設でもためしていきたいとのことで、自分の意思が伝えられない、または指示がわからない、そういうストレスが少しでも減ればパニックもへらせるしね、という話をしてきました。
ただ、今後小学校入学にむけて、ちなちょはますます体力つけるし、きっと「帯で(毎日同じ時間帯で)ここを利用するようになると思うよ。」と施設の方。
これからますます大変になるんだろうかぁ~
ちなちょみたいに小さな多動っ子を預かれる施設ってあんまりないみたいで・・・
もう一箇所登録して見学してきましたが、そこは障害者に特化していないので、お年寄りの方が多いのですね。。。ちなちょ・・・・絶対むりっ!
そのうち「飛び乗って」「骨折」なんて話になりかねないし、あの人口密度はムリだわ・・・・と、そちらは断念してきました。
そんなこんなで親は疲弊。
お父さんは「かぜがなおらない・・なんでだ」とだるそう~~にしており、そこまで治らないのはストレスだろうな・・・と思うけどね。
やっぱりね、家の中で安心できませんから、疲れます。
こたろんとの衝突も増えますし・・・・・けど、その割に号泣することはあっても「うつ落ち」しない自分、医師に「思ったことをぶつけるようにしているからでしょうね。だまってガマンしたらきっとうつになりますよ。」と指摘され、ナルホドナルホドと思う。
けど、言われるのはお父さんなので、ますます風邪が治らないのかもしれませんが・・
と。。。。。。すっごく長い前置きですが。。。
昨日、ありちが変でした。
「洗濯物、自分のたたんで」と言っただけであたまをかきむしってなくんだよ
何がいけなくてそんな状況なのか、自分でもわからないらしかった。
夕方、ちなちょをお迎えに行くときに、ありちが「インラインスケート」をやりたいと言っていると、じゃあみんなで公園に行こうということになった。
ちなちょはそれこそ「さんざん!」遊んできたそうだけど、まだまだエネルギーあるのね。公園でもバリバリあそんでおり、そのうちありちの後をついていっしょにみんなで歩き始めた。
ありちも久しぶりでヨタヨタしてたけど、段々上手になります
ちなちょが「ありち、がんばれ、ありち、すべって」とかわいく応援すると、「ちーちゃん、ありち、かっこいい?」とか言いながらすべり、途中疲れてありちがひっくりかえるとちなちょもとなりでひっくりかえる。
すっかり疲れ果てた親だけど、こんな場面はとっても嬉しくなってしまいます
「もうやめよう」という親をふりきり全部で4周くらいしたでしょうか?
滑り終わったありちは「疲れたけどすっげーーーーーすっきりした」と。
連休に入ってから、ちなちょ騒動でくたびれた親が動かないからありちもすっかり運動不足だったんだな
おかげさまか、「宿題全部やっちゃう!」と11時過ぎまでがんばって、この連休のプリントすべて終了させました
重度のお子さんだと一日に何キロも歩かせるとか聞いたことありますが、運動って大事だね、と思った次第でした。
ありちの学校の新学期が始まりました。
昨夜はクラス替えのあった学年の父兄の保護者会があり、新年度クラス役員を決めました。
クラス替え後のこの日、3年生のときにしたのですが、保護者のみなさんの前でありちについて、自閉症のことについてお話させていただいています。
お友だちあってのありちです。
知っておいていただいたほうがトラブルが減るし、あってもそれなりのご理解をいただくことができます。
昨日一日必死で文書にまとめ、みなさんにお話しさせていただきました。
今朝は、激しい頭痛と倦怠感です。
下をむくと背中の筋があちこちひきつれます。
われながらがんばったと・・・・・いや、もっと早く準備すればこんなしんどい思いもなかったかもしれませんが、結局ぎりぎりでないと何もまとまらない自分です(^^;
クラスがかわり、友だちもかわり、担任の先生もかわりました。
それだけ接する人も多くなるので、その分たくさんの人に知っていただけるのだと前向き思考でいきたいところです。
今朝は、ヨタヨタの母・・・・・・子どもたちの準備ができるかしら・・・・?と、傾いたままの首でかんがえます(笑)
雨が降っても暖かい、そんな昨日でありました。
もう3月も中盤ですから、春なのね。
この季節の変わり目・・・どうも子供達がおかしくなる気がします。
自分もなんだか疲れて疲れて一日がしんどいだけで終わっていくのですが、子供達は朝から動かない・・・
ちなちょなんぞはソファに転がして服まで着替えさせて起きたと思うと満足にゴハン食べずに座布団かぶって寝てるし
別に寝不足ではないはず。
けど、ものすごい機嫌が悪く、しかも悪知恵ついて、母が意にそぐわないこと言うと「こぼすぅ?」と近くのコップだ皿だを指差して言うもんだからこたろんブッチギレ
思わず手があがる。
するともう手がつけられない号泣で、地面にはりついて「ねんねするぅ~。・゜゜ '゜(*/□\*) '゜゜゜・。うわぁ~ん」
と大暴れ(--;
お父さんが出張でいないので、ありちも学校へ行かねばならず、むりやり抱っこで玄関へ連れていき、クツをはかせては脱ぐの繰り返しの後、車に乗せる。
ご機嫌とりに自販機によってココアを買おうと思ったらもう暖かいのでココアがない。
「ココアのむぅ~。・゜゜ '゜(*/□\*) '゜゜゜・。うわぁ~ん」
代わりにちなちょが好きそうと「プリンシェイク」で誤魔化しをはかったら「ココア、おいしかったね。ココア、ない。ココア、もうおしまい?。・゜゜ '゜(*/□\*) '゜゜゜・。うわぁ~ん」
保育園について先生に引き渡す。
お迎えにいくと「来たとたんにストーブの前に転がって15分ほど眠ってしまいました。」
だそうで。
翌朝、つまり昨日も朝はそんな感じ。
違ったのはもう自販機は墓穴をほるのでやめようと通過したら「プリン、のむぅ?のまない?もう、ない。。・゜゜ '゜(*/□\*) '゜゜゜・。うわぁ~ん」
なんで昨日の話を蒸し返す
とにかく聞いてしまったらおしまいと、無言で保育園へ。
昨日もやはり眠ってしまったそうで、やっぱりどうにも調子が悪いんだろうね。
そんなことを繰り返ししている母も、昨日は涙目で保育園に行くハメになり、帰りにクラスの子に「おばちゃんどうしたのぉ?」とお声がけされてしまいました
ありちは今日で終業式です。
彼とも一昨日の晩、ネコも食わぬくだらぬことでケンカになり、母が悪いのに母が意地っ張りに転じ・・・・ありちは実に切なくなってしまいました。
夜中にあやまって「もうおしまいにしよう。」とね。
今朝はどうかなあ?
平和な朝が欲しい母。
ありち、4年生最後の一日ですから、ちゃんと学校いけるといいです。
今度はクラス替えですから。
担任様も今度ばかりは代わるでしょうね。
いつも思う。
「やっと話が通じるようになったのに!」
なんでクラス替えだなんだしてくれるのさっ!
ってね。
ちなちょ、夜中に何度も「ふえっふえっ」とうなっていたので・・・・また不機嫌じゃないといいなぁ
祈る想いです。
大雪でございます
今日は野こえ山こえ久しぶりの通院だというのに、どうやって行こうか(経路)なやんでしまいます・・・・キャンセルするにおは薬ないし
先日「親の会」がありまして、新しくおいでくださった元保育士さんでしょうか・・・(保育園勤務だったと言っていた)の悩み事の中に出てきた言葉。
「発達障害か個性の範囲か、小学校に行って勉強についていかれるかどうかで判断しましょう。」と医師が言ったのだけど、K式の結果も85点でボーダーだったしでいっしょに結果を聞きに行った旦那が「オレは何しにきたんだ!」とえらくオカンムリであるという話。
旦那さん、子供が嫌いなうえ、わが子が集団の中で活動できないのを見るのがいやだから保育園の行事には一切でないとか。。
さて、この「個性の範囲です。」
実はありちの療育に最初に携わったのは福井のおばあちゃん。
こたろんが激うつ時代にありちを預かり、保育園に入れてくださったのだけど、どうやらうまく過ごすことができなかったのでしょう、福井の発達専門医を訪ねてくださり、医師は「個性の範囲ですから、」と言ってくださったとか・・・・・
医師としたら、実に親切に相手を思いやった気持ちで言ってくださったこの言葉・・・・・・しかし、この一言が実は大きな誤解を呼ぶのです。
「個性の範囲=正常」
素人は、どうしたってそう思います。
いかに、子供が保育園で困った行動があろうが、家で、自分が子供の扱いに困っていようが「個性」と言われれば「普通だけど変わってる」くらいなところでそれが「障害」の症状とは誰も思わない。
いや、思いたくないのが人情というもの・・
最終的にありちを「高機能自閉症」と診断した医師に、(先の保育士さんのところと同じ医師)「個性の範囲と言われましたが・・」と進言したところ、「ちょっと個性ってわけにはいかないわね^^;」とおっしゃったのを覚えていますが、こたろんとて「個性」と信じてやまなかったけど、でも、「個性じゃなくて障害です。」ということになると俄然意識はかわって、やはり接し方、生活の仕方に工夫が必要であることをおおいに納得したものでした・・・・工夫してるかどうかは別だけど
「障害そのものがその子の個性」という考え方もありますよね。
こたろんもそう思います。
けれど、その障害の内容を単純に「個性」と呼んでしまうことで、親や先生、周辺の意識がガラリと違ってしまうのもこれまた事実。
「個性」と言う言葉に身を寄せて、なんとか「普通」と思いたい、それも事実。
けど、その言葉の陰で、たしかに「個性の範囲」くらいの軽度発達障害であっても一番困っているのは必要な援助が受けられない「子供自身」で、そこにしがみついてしまうと周辺の人も大変になる・・・・そんなことを感じ取りました。
おばあちゃんも今でこそ一番の理解者ですが、一時期は「個性の範囲」の診断に引っ張りまわされてしまった感がありました。
本来は「言葉」でなく、子供の「姿」を見て育てるべきでしょうが、そこは人間ですからすがれるところがあればそちらに流れるというもの。
「個性の範囲です」・・・・・・あまりにも曖昧で悩ませる言葉、あんまり診断に使ってほしくないなぁ~・・・と思うのだけど、どうなんでしょう?
でも、ありちには「自閉症も含めてありちです」と言ってる。
それは、やっぱり「障害も個性の一部。自分の一部。自分を構成する一部。」として受け入れていく必要があるし、親もそうして子供の障害を受け入れていくほうが楽であろうと、あらためて思った親の会でした。
本日大雪の長野です。
春の雪は落ちてくる様子さえ重そうです。
昨夜はちなちょのクラスの親睦会しました。
こたろんが幹事でしたが、いかんせん動くのが遅く、9人程度の小さな会となりましたが、年度途中から入られたお子さんのお母さんがいらしてくださってよかったです
先週、小学校の支援学級の参観日がありました。
本当は支援級お得意の「カフェ」でコーヒーとクッキーが出る予定でしたが、あいにく胃腸風邪が大流行で飲食を伴うイベントはできなくなったとか・・・残念・・・
支援級は知的障害者学級と情緒障害者学級の合同発表、そのあと各クラスで、ということでした。
合同発表は個人個人の今年の成果を発表するもので、九九をがんばった子はプロジェクターで映し出された問題をその場で答えを出していったり、音読の子はたぬきの糸車を読んでくれたり、最後に合奏があり、ありちが張り切ってハンドベルをふっていました。
ありちの個人発表は・・・・・・ダジャレの嵐でなんだかよくわかんなかったです
各学級に戻り、子供達が「翼をください」を歌う、先生が子供達に送る歌を歌うなど、ありましたが、「最後にみんなで翼をくださいを歌いましょう。ボクは、やっとひけるようになったギターで伴奏します。」と、肩掛けがなかったらしく、荷造り紐で肩にかけ、弾き始めたそのギター・・・・・・・・・全然チューニングしてないうえ、先生もやっとこなのでまあすごい音で・・・・
非常に熱い先生なので、気持ちはわかるけど無理はやめようよ・・・と思いましたが、そういう頑張る姿もまた子供達にはよいのかなぁ?などと、思いました。
今年度、6年生が4人巣立つ支援級です。
うち、3人はおそらく高機能で一人は本当に典型的な自閉のお子さん。基本的に指示待ちのお子さんですが、当初はいつもうつむいておどおどしていたのが、この2年くらいでまっすぐ、前を見るようになってよかったな^^と思っていました。
6年生は、途中入級でそれまで学校にこられなくなっていたお子さんが多く、それがためにまだまだ落ち着きなく、また攻撃的なお子さんもいたり。。。。原級でしんどい思いをしてきたんだろうことは、当日のお母さん方の言葉から聞こえてきました。
ハッキリ言ってしまえば、ありちが学校に行かれなくなった第一原因であり、そのお子さん達を見るこたろんの気持ちは非常に複雑です。
けれど、いつも指示待ちのお子さんといっしょに校内で見かけ、「ありちくんのお母さんこんにちは、おい、○○、ありちくんのお母さんだぞ、こんにちはって言えよ。」と促す姿を見て、悪いやつじゃないよな、うん。そう思っていました。
参観日の日、また、「おい、○○、ありちくんのお母さん、っていいなよ。」言われたとおり、「ありちくんのお母さん。」そういうと、「あいしてる」「あいしてる」オウム返しでそう言わせたのを聞いて、一瞬、ハラワタが煮えくり返る思いがしました。
そして、言わされた子のお母さんをみて、おだやかにだまっていらっしゃるので、こたろんもそこで、何も言うことはしませんでした。
3人は地元の中学へ、言わされた彼は、養護学校へ進みます。
これまで、お子さんのことで相当気をもんでいらしたお母さんですが、ここ数年落ち着かれて、お子さんを責めることもなくなってきていました。
これで養護に行けば彼らと接触することもなくなるので、ここでわざわざ荒立てる必要も感じなかったのかもしれないし、そうでないところで彼らに感謝していることもあるのかもしれない。
6年生の子達は、自分がどうして支援級にいるほうが楽なのか、その理由を自分では知らないのだろうと思う。
いろんな意味で、私がここで騒いではいけないと思った。
担任の先生も、「○○、お前はいい男なんだよな。△△、お前、やさしいんだよな。」と、それぞれを認めた言葉をかけているのだし・・・
だから、ありちのことも含め、「いろいろありましが、一年ありがとうございました。」と、それ以上は何もいわず、心の中にしまって帰ってきました。
いつか、どの子もみんな、自分のことがわかる日がくるかもしれない。
状況に違いはあるけど、みんな大事な仲間だってことを、わかってくれるように願うしかできないね。
「アリチノオカアサン、アイシテル」
この言葉が本当に気分悪く突き刺さった・・・・
担任の先生は、気がついていたのだろうか?
先日うけたありちのWISKの検査結果が出ました。
医師の説明を忘れないうちに記事にしてしまおうと思います
IQそのものはほぼ平均値であり、とくに記憶に関する部分では平均値に10に対して14と高いこと。
しかし、同じ記憶でも、25436と言われた数字をそのまま繰り返すことはできても、逆からとなるとできる桁数がぐっとさがる。
頭の中で記憶を操作することが苦手であるとのこと。
算数の計算を紙に書いたものはできても頭の中でどんどん計算していくといったことは苦手ということなのだそう。
「はだし」って何?の質問に「足をすっぽんぽんにして歩く」と答えさらに「すっぽんぽんてなに?」と聞かれると、靴下を実際にぬいで「こういう意味です」と言ってみせた。
動作を「言語化」できなかったと報告に書かれているのを見て、ありちの日ごろの行動を思い巡らし、今まで彼はふざけているのだと思っていたけれど、実はそうでなく、言葉で表現できなかったのだとわかった。
動作性という項目の中で、上のお手本を見ながら同じ記号を書き込んでいくという「目」と「手」を同時進行させる検査について、「ふたつの感覚を同時に使うことは困難」ということが示された。
「黒板を見ながらノートに写す」はまさにこれにあたるもので、普段ありちがノートをとるという作業は皆無だし、連絡帳もカタカナで書いてある。
医師は「ありちが自分で編み出した苦手克服法だろう」と言っていた。
検査の中でもうまくいかないと頭をかきむしるといった動作がみられたそうだが、総じて「SOS]を発信できないとのこと。
これについて「いえるようになんらかの形で訓練すればいいのか、別な方法をとったほうがいいのか?」の問いに医師は、「訓練ではなく困ったことを書いたカードを準備するのがいいと思います」との答え。
訓練してできるようになることと、そうでないことがあるということなんだろうね。
ありちは「記憶に頼って生活している」医師はそう言った。
言葉の意味、耳からの文章理解のよわさを過去の記憶に頼ってカバーしているのだそう。
まだまだ書くことはあるのだけど、とりあえず、こんな感じでした。
私たちにとって普通のことが普通でない世界に彼は生きていることをあらためて実感。
ちなちょはもっと、違うのかもしれない。
親でさえ、理解するのが難しいこの障害、人様にわかってもらうのは至難の業だわ・・
そして、WISKの結果表。
そんなにフクザツじゃないけど、素人には理解しにくいのよね
今日の目標は「ステージにたどりつく」ことかと思いますが(^^;
集団のなかで長時間発表を見ることは難しいので、自分の出番の直前に遊戯室に来る予定。
『お母さん、みつからないでくださいね。そっちにいっちゃうから。』
加配の先生にしっかり言われましたが、運動会でカメラ持って近づきすぎてばれた母であります(--;
さて、⑤です。
今回のケース会議でのこちらとしての主張は、学校長に受け入れられました。
一昨日、ありちはやっぱり学校へ行かれませんでしたが、その日、支援の担任様から電話があり、
「職員会議で校長先生が学校としての方針を示す意見のプリントを職員に配ってくれました。オレも(この先生は自分を”オレ”という^^;)提言をさせていただきました。」
詳しい内容はわからないにせよ、そういう動きが出たことは本当に嬉しいこと。
また、養護学校K先生からの意見で取り入れられた「表情カード」というのがありちにはうまくはまり、今まで自分の感情をうまく言葉にできなかったありちが、今の自分の感情を「うれしい」「わくわく」「イライラ」など、それぞれの表情をかなり単純化された絵の中から選び出して、先生に言われなくとも自分でカードを持っていくようになったとか。
「カード、そんなにいいの?」と聞くと、「うん、ウチにぴったり^^」と。
家でもできるように、K先生にお礼の電話のついでにお願いすると快く学校に届けてくださるとのことでした。
また、お掃除で6年生とぶつかることが多いことに関して、支援学級のせまい中で7人で掃除すること自体が衝突を生むので掃除場所を分散したほうがよいとのご意見でした。
そして、「ゆっくり変えて行きましょう」と、継続的に助言をくださると言っていただきありがたい限り。
H教頭先生には、翌日にお礼に職員室へ伺いました。
こちらは相変わらずで「言いたいことはどんどん言ってくれていいのよ。でも、すぐにできないし、予算も削られることになってるし、ほんとにやれって言ってるのかやめろって言ってるのかわからないわよね。」と。
人的資源の不足、予算の不足はわかっているけれどね。
最初から「できない」前提で返事をされるのはあまり気持ちよくないです。
学校側から「WISK-Ⅲ」の検査をしてほしいといわれ、1年生で検査したきりでしたので、来月早々に予約をいれました。
昨日の受診の中では医師が欲しい情報が不足しているとのことではありますが、ありちのコンサータ服用に関してはこちらでありちとよく話をして服用できるよう、2週間分だけ処方していただきました。
ゆっくりでもいいので、変化を見守るしかないのでしょうね。
ありちの心にわずかでもゆとりができるように。
また、学校としての対応が変わるということは、周辺の子供たちも変化するということ。
本当にそんな日がくるといいなぁ、と願うばかりの母であります

あ、お父さんもね(^^;
一旦おしまいm(_ _)m
④です。
いい加減にしつこいですね(汗
いろいろと細かいことはるにせよ、一番の訴えどころは「ありちが安心して楽しみに学校へ通える環境整備をしてほしい」です。
前にも書きました。
学校にとっては6年生になればいなくなる生徒のひとり。
けれど家族、本人にとって、彼はたったひとりであり、一生のお付き合いです。
その重さをぜひ感じてほしかった。
それは、ありちに限らず全校生徒一人一人、だれをとっても条件は同じです。
けれど、障害がある以上スタートラインが違います。
ありちをとりまく環境は、親もふくめてまだスタートラインにも立てていなかったかもしれません。
H教頭先生は「ありちくんをこれ以上苦しませるのはかわいそう。コンサータを使おうよ。」とおっしゃいます。
それはこちらとて承知しています。
けれど、
「これまでコンサータを使ってありちも学校生活を送れていましたが、逆に彼の持っている問題の本質に目を向けることができなくなってしまった。調子の悪い今がありちの本来の姿なのだからこれをチャンスに必要な援助をして欲しい。また、援助されることで、彼も自分にはどういう手助けが必要かわかるはず。」
そして、
「学校は組織であるはずなのに、先生方が別な方向を向いて対応もバラバラなのはおかしい。対応の仕方を知らない先生もいる。たしかに個人個人で様々な自閉症だけれど、ベースにあるものは同じ。知識を持って、その上で個々に対応していくのでなければ意味がない。」
これに、学校長がおおいに賛同してくださり、お父さんが教育に関するビジョンを教えて欲しいと要求したH教頭が言葉が出ないでいるかわりに学校長としての意見をきかせてくださいました
さて、今日はこの会議の結果と数日分の経過を持って発達外来へいってきます。
今日は寒いよっ!
快挙!③です(笑)
昨日、保育園の発表会の総練習がありまして、ちなちょは自分の劇の間ちゃんとステージにいたばかりか、ほかのクラスの劇も少しですが、見られたそうです
昨年、保育園に近づくことすらできなくなったちなちょを思えば、もう本番なんか出なくたってこれで充分。
目覚しい1年の成長を見せてくれたのでありました
さて、腹をくくって挑んだケース会議。
一番の問題は学級担任の「めんどくさがり」をどうやる気にさせるか、そして、一番の壁は特別支援コーディネーターのH教頭先生。
なんでコーディネーターが一番の障壁になってしまうのか・・・
いつもおっしゃるのです
「なんでも言いたいことがあったら言っていいのよ^^」本当に満面の笑みと優しい言葉でおっしゃる。
そして、必ず最後にこういいます。
「色々言っていただいたけどさ、全部いっぺんにはできないし、できることとできないこともあるから。先生たちも頑張ってくださっているのよ。」と。
彼女が赴任してきて3年。
うかつなこたろん、この笑顔にだまされ続け、「????????」と思っているうちに誤魔化されてきました。
そして、学級担任。
こちらはお願いしたことの意味をなかなかまっすぐに理解してくださらない。また、「せっかく」いい対応になったと思うと3日坊主。
クラスの父兄の要望で学級通信を出してみたものの、1号をみただけです。
そんなことが、全体ににじみ出てしまうのね
会議は、支援の担任の話から始まりました。
ありちにとって支援級も実はネックで、今年、6年生の勢力が非常に強いのですが、正義感のありち(自閉症の方には多いですが^^;)「それはいけない」を6年生相手に果敢に攻めるのだとか。
しかし、6年生にしたら「なんで4年のお前が6年に言うんだっ!!」というわけです。
もっと個人的人間関係もあるようですが、とりあえずありちには「注意は1回」を教えて欲しいとお願いしました。
ありちのしつこさは誰よりこの母が知っています。
「ありちに人間関係の作り方を教えるチャンスですから。」とお願いしました。
コーディネーターさんもおっしゃるのですが、「ケンカになるから引き離す」より「どう対処するか」を教えるほうがソーシャルスキルを身につける意味でもよかろうというわけです。
また、ありちの居場所をどう確保するか(ひとりでゆっくり課題に取り組める場を作る)、今まで個別のスペースを窓側から廊下側に移す(養護の先生のご指導で、明るすぎないほうが良いとのこと)など、具体的な改善ポイントが示されました。
学級担任の報告。
以前、黒板のまわりがいろいろ貼ってありすぎてうるさいこと、目の前の本棚を隠して欲しいことをまずお願いしてりましたが、これは自宅にあったカーテンなどを提供し、目隠ししてもらいました。
また、養護学校の先生の指導のもと、ありちの机の周辺の床にビニールテープで四角く区切り、「授業中に机から離れて行ってもいい範囲」を示したり、「行き先カード」(図書館・体育館など、授業中に教室を抜けたくなったとき行き先を示す)をもっと使いやすく改善すること。
そして、先生から配られたプリント。
ありちの一日の様子が書き込まれた用紙は養護学校の先生が「つけてください」と担任の先生に渡してくださったのですが、登校時間、顔色の変化など、書き込まれていました。
ここにもっと細かなイベントとその後の様子を書き込んでいけば、何が原因で教室にいられなくなったかがわかるだろうとのこと。
「なるほど~」参加者一同感嘆のタメ息をつきました。
養護学校の先生はやはりこの道の「プロ」目の付け所と持っている引き出しが断然違うのです
その引き出しから出される普段思ってもみない支援の形を実際に授業を見て、ありちを見て指導していただいたことで、学級担任の意識に変化が起きたことは明らかでした。
これまで「こういうときはこうでしたがこうこうでうまくいきません。」と、お父さんに言わせれば「各論」しか言わない先生がですが、各論は各論でも、もっと具体的に「こういう支援にしてみました。」と「できない・やらない」から「こうしました」と前向き発言に変わった、これはこの先生と4年間付き合ってきたこたろんにとって、衝撃的な変化でありました
さて、ケース会議にいたるまでに考えたこと。
それは、学校に行かれない理由を決してありちになすりつけることをしてはいけない、そういうことでした。
しかし、最初のうちはいいけれど、これがお互いに煮詰まってくると難しい(@@;)
ありちには、「どんなことがあってもお母さんとお父さんはありちの味方だから。ありちが学校へ行かれないのはありちのせいじゃない、自閉症のせいでもない。」
そう、言い続けています。
しかし、何かの理由でありちを叱ると自傷行為が強くなっているありちは顔が真っ赤になるまで自分に爪をたてる・・・・これが「気の毒」ではなく「腹立たしい」方向に感情が流れてしまう。
結果、「そんなことしたら何かかわるのか?かわらないだろ?」と突き落とすことを言ってしまってますます収拾のつかない状況とありちの心の傷を作ってしまう・・・そんなことの繰り返し。
けれど、ケース会議の前から、学級、支援の担任には「学校へ行けないのはありちのせいではない」考えを貫くことを、連絡帳で伝えてありました。
それは、親としては覚悟のいる発言ではあったけれど、これだけは宣言しておかなければならないと、そう思いました。
そして、担任と顔を合わせるたびに話をし、色々と意見は交換するものの、思うような回答が得られない状況にイライラがつのり、自分のメンタル面が狂っていくのを感じました。
スケジュールとしては、養護学校の先生の授業視察、指導が2回にわたってあり、授業参観があり、そして過日のケース会議となったのですが、自分がイライラするのが一番いけないと思い、自分が意見を言うのはケース会議のその場まで、一切やめよう、そう、決めました。
脳みそをクールダウンさせて考えたこと。
それは授業のあそこが悪い、先生の対応のここが悪い、といった細かい批判はしても仕方ないこと。
養護学校の先生の指導があり、原級担任の先生に動きが見えたので、会議当日の報告をまず優先にきくこと。
臨床心理士さんに「関わるすべての人が同じ方向をむいて支援しなければ子供が混乱する」とのアドバイスを受け、個人の単位、学級の単位でなく、学校として、組織としてどういう方向を向いていこうとしているのか。
学校へ迎えに行くと、ときどき別な先生方が自閉のお子さんやADHDのお子さんを、怒っても意味のないことで胸ぐらをつかんで怒鳴る姿を見、「何で遅れたんだ!」と怒鳴るのを見・・・・・・それは、先生の工夫が必要で本人に何とかできることではないことなのに・・
そんなバラバラで無謀な対応が起こる理由は、知識のなさ、理解のなさからくることだと思うのです。
子供は、学校からみたら6年生を卒業すればそれまでです。
けれど、親にとっても、子供本人にとっても、その6年間が一生涯ついてくるんです。
何百人の生徒のひとりだけど、親と本人にとってみれば「オンリー・ワン」な存在です。
だから、いかに学校が忙しいと言っても、人が足りない、お金がないと言われても、「それでは仕方ないですね」とは決して言えない。
一歩たりとも譲ることはできない。
その覚悟で、ケース会議に臨みました。