立てば芍薬座れば牡丹踊る姿は薔薇の花?

古希から喜寿へ向かうGrandmotherが、つれづれなるままにシニアライフをつづります。

死後にこの世への執着心を持ってはいけない

2011-07-22 20:50:18 | 日記

白バラの花言葉:「清らかな愛 尊敬 素朴 純粋」
写真は、アイスバーグという名前の白いバラです。
6月12日に、この世を去り、バルドウにいる義父に捧げます。
「釈榮善を 生かして頂いてありがとう御座位ます」

愛情はすべての次元に通じます

つまり、自分の先祖にも、縁ある故人にも、自分なりの愛情からの話し言葉で呼びかけることが、最高のお経なのです。必ず故人に思いが通じています。
だから日常生活の中でも、「思い出した時に」縁ある故人や先祖全体に、生かされている感謝の思いを言向けるのは非常に良いことなのです。
故人が話していた言葉ならば、まだ迷いの心境の魂にも、とても良く通じます。

言えることは、生きる内に先祖(遺伝子)を感謝供養した人間は、必ず助けた先祖霊の集団からのお迎えを受けます。伝統仏教で伝えられます、黄金で光る阿弥陀如来の御一行からの迎えの図のような感じで、先祖霊が来ます。その中には、自分が知る故人の顔もあります。
安心感に包まれて、正しい世界へと導かれます。

更に言えば、この雑多で苦しい現実界の中で、先祖供養をしても見えない、証拠もない、分からない中であるにも関わらず、それでも困る先祖が居れば助けて上げたいと思った、「自分自身が出した慈悲心が神性を帯びて」死後の自分を助けるのです。
自分がした事を、自分で受け取るとは、まことに公平で素晴らしいことです。