立てば芍薬座れば牡丹踊る姿は薔薇の花?

古希から喜寿へ向かうGrandmotherが、つれづれなるままにシニアライフをつづります。

北陸紀行其の5「富山・新湊・伏木雨晴海岸」

2011-05-30 14:34:23 | 日記
 富山市大泉町から能登半島の付け根にある雨晴(あまはらし)海岸まで観光ドライブを楽しみました。5月27日は小雨時々曇りといった所で、運が良ければ立山連峰と白砂青松の風景が観られる?だろうという天気予報でした。
 雨晴駅近くの駐車場に車を止め、海岸線に降りてみると、うっすらと立山連も見えました。

【万葉集に「渋谿(しぶたに)」と詠まれた雨晴海岸は、岩礁が多く白砂青松の景勝地で日本の渚百選の一つに。富山湾越に3,000メートル級の立山連峰を望み、また、源義経が奥州へ落ち延びる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという伝説の「義経岩」があり、地名「雨晴」の由来となっている。】

 富山市から向かう途中に、一月前にオープンしたばかりの「新湊きっときと市場」に立ち寄りました。



http://kittokito-ichiba.co.jp/
いっぱい並んでいる、港に上がったばかりの活きのよい魚をパチリとカメラに納めました。
ノドグロ一匹大1200円、小800円、煮つけにしたら美味しいだろうと思いました。
帰りは、国道8号線を走り、富山空港へと向かいました。

北陸紀行其の4「白山比神社」

2011-05-29 21:59:58 | 日記
5月25日午前11時、白山比神社に参拝しました。
表参道前の駐車場に車を止め、新緑と苔の美しい石段を歩いて本殿まで進みます。
生きた御神馬の代わりに、木馬が厩に納まっていました。
本殿に参拝した後、奥宮遥拝所から、見えない「白山神社奥宮」に向かって手を合わせました。












日本には、『古事記』や『日本書紀』といった奈良時代初期に完成した古い歴史書に見られる神々を祭神とする神社が数多く存在します。

全国約三千社にのぼる白山神社の総本宮である白山比神社の祭神「白山比大神(=菊理媛尊)」も『日本書紀』に登場する女神のひとりです。

『日本書紀』によると、天地が分かれたばかりのころ、天の世界である高天原(たかまのはら)に、次々と神が出現し、最後に現れたのが、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)でした。この男女の神には、国土を誕生させる「国生み」と、地上の営みを司る神々を誕生させる「神生み」が命じられました。

伊弉冉尊が火の神を出産した時のやけどで亡くなってしまうと、悲しんだ伊弉諾尊は、死の国である「黄泉の国」へ妻を迎えにいきます。ところが、醜く変わった妻の姿を見て伊弉諾尊は逃げ出してしまい、怒った伊弉冉尊は
夫の後を追います。

黄泉の国との境界で対峙するふたりの前に登場するのが菊理媛尊で、伊弉諾尊・伊弉冉尊二神の仲裁をし、その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)や月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこと)が生れます。

白山比神社では、菊理媛尊とともに伊弉諾尊・伊弉冉尊も祭神として祀られています。菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、現在は「和合の神」「縁結びの神」としても崇敬を受けています。
http://www.shirayama.or.jp/hakusan/god.html



北陸紀行其の3白山市「鶴来(つるぎ)の金剱宮(きんけんぐう)」

2011-05-29 21:35:46 | 日記


由緒
祟神天皇三年(紀元前95)の創建と伝えられ、剱集落の発生と時を同じくして、鎮斎せられました。
 古くは「剱宮(つるぎのみや)」と称し、明治以降「金剱神社」の社名が用いられました。 また、金剱神社、金剱明神、剱明神などとも呼称される時期もありましたが、 現在は宮号に復し、「金剱宮(きんけんぐう)」と称されています。
 「鶴来」という地名の文字は、江戸時代の元禄以降に使用されたもので、 元来は「剱」または「剣」と記したことから、社名と地名とが一致した代表的な事例といえます。
集落は、地理的、経済的事情により、現在の鶴来町中心街に移りましたが、 神社は鎮座地を動くことなく、現在に至っています。
 『白山記』、『源平盛衰記』などによれば、金剱宮は古来白山七社の一つに数えられ、白山本宮、三宮、 岩本宮とともに特に本宮四社と称されました。
http://www.kinkengu.info/index.html
石川県白山市(旧鶴来町)にある神社で、金運パワーがあがるといわれている金剱宮のガイド

鳥居の左上方に突き出た木の枝が、龍の頭に見えると言われています。

北陸紀行其の2「平泉寺白山神社」

2011-05-29 20:48:48 | 日記
5月26日午後3時、福井県勝山市にある平泉寺白山神社に二度目の参拝が出来ました。

【パンフレットから】
平泉寺白山神社は、元正天皇の養老元年(717)、泰澄大師が白山に登ろうとしてこの地を訪れ一林泉を発見し、ここが神明のちであるこを知り神社を立てたとされる。
その後、戦国時代には48社36堂6千坊が峰々谷々に満ちていたが、天正2年(1574)一向一揆の兵火にかかり焼失した。
しかし、今もなお歴史の跡が残り美しい姿をとどめている。

 二の鳥居の奥に見える拝殿は、当時45間以上(約83m)あったが、兵火により焼失したため、現在は7分の1の姿にとどまっている。礎石は今も残り、拝殿跡に広がる美しい青苔は、まるで絨毯を敷き詰めたようである。
 拝殿の入り口には、一品天真親王の筆による「中宮平泉寺」とかかれた額がかかり、中には数多くの絵馬が奉納されている。

 地名発祥御手洗池(みたらしいけ)泰澄泰氏がこの地を訪れた際、この池によって神明の地であることを知り、白山を開いたことから、平泉寺白山神社発祥の地といわれている。


 泰澄大師お手植えの御神木、樹齢1300年の杉は、先端が二股に分かれている。

拝殿よりさらに右奥の石段を登ると、楠公供養塔がひっそりと建っていました。

北陸紀行其の1「ホテルの朝食」

2011-05-28 16:49:03 | 日記
5月27日富山マンテンホテルの朝食1050円
どこの朝食が一番美味しかったかというと、富山マンテンホテルになります。
右側2列6皿に少しずつ載っているホテル手作りの逸品は満足度が高いです。
また、富山で宿泊する機会があったら、是非、利用させていただきますね。


5月26日九頭竜温泉ホテルフレアール和泉(1泊2食ツイン9500円)
和食のセットです。煮物や出し巻き卵、湯豆腐、其々薄味で熟年世代の口に合いました。


5月25日片山津温泉湯快リゾートまるや(1泊2食和室9800円)
ホテルお勧めのクロワッサンは確かに美味しかったですよ~~!