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Sankoの遊び場

私Saonkoが色々調べて紹介するブログです。

故事成語「孟母三遷の教え」

2016-03-11 10:29:00 | 故事成語

皆さんこんにちは!

それでは早速故事成語紹介行ってみましょう!

 

今回紹介するのは「孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)」

意味は「子供の教育環境には、良い環境を選ぶことが必要であるという教え」。

「孟母」というのは、戦国時代の中国の儒学者(じゅがくしゃ)である孟子(もうし)の母親のことで、彼女の教育にまつわるエピソードが由来となっています。

まだ孟子が子供だった頃、彼女たちははじめ墓地の近くに住んでいました。ところが、孟子が葬式の真似ばかりするので、これは教育によろしくない、と

市場の近くに引っ越しました。葬式の真似はしなくなったものの、今度は商人の真似ばかりして遊ぶので、ならばと学校の近くに引っ越しました。

結果、孟子は生徒の真似をして文を書いたり、勉強するようになったため、「この地こそ子供にふさわしい」として、

そこを住居に決めることになったそうです。

 

以上が「孟母三遷の教え」の故事となっています。

商人くらいなら教育には悪くなさそうな気もしますが、彼女は学問の道に進んでほしかったのでしょうか。

でもその結果、孟子は儒学者として、歴史に名の残る人物となったので、母親の教育は正しかったのではないでしょうか。

 

それでは今回はここまで!ではでは!


故事成語「病膏肓に入る」

2016-03-10 10:27:23 | 故事成語

皆さんこんにちは!

今日はたまたまテレビを見ていて、気になったニュースを見ていたので、

ブログを書くのがいつもより遅くなりました・・・・。

ブログの投稿時間がいつもより遅くなければいいんですけど・・・(遅い時は11時過ぎでしたから。)。

4コマがいつもより早く描けたのはよかったですけどね。

 

それでは今回の故事成語紹介!

今回紹介するのは「病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)」

意味は「病気がひどくなり治療のしようがないこと」、「趣味や道楽に熱中しすぎて、手が付けられなくなることの喩え」。

かつて晋(しん)の国の王様である景公(けいこう)が病気になり、病気の精が出てくる夢を見ました。

二人の子供の姿をした病気の精は、膏(こう。心臓の下の部分)の下と肓(こう。胸と腹の間にある薄い膜)の上なら、

医者でも手が出せないからそこに隠れよう、と言っていました。

やがて医者が来て景公の容体を調べましたが、病気が膏肓(こうこう)にあって手の打ちどころがない、と言い、

その後、景公は亡くなってしまったそうです。

 

膏(心臓の下)と肓(横隔膜の上)の部分は、針も薬も届かず治療で非常に困難で、そこに病気が入ってしまうと手の打ちようがないことを意味していました。

それに転じて、あることに熱中しすぎて手がつけられないことを不治の病に例えて「病膏肓に入る」と呼ぶようになったみたいですね。

今で言う例の一つとして、ギャンブル中毒なんて分かりやすいかもしれません。

 

私は医学に詳しくないのでよくわかりませんが、膏肓の部分は今でも治療できない部分なのでしょうか?

昔と比べて医療も発達しているし、可能ではないかな、とは思うんですけど・・・

まぁ膏肓に限らずに、昔では不治の病でも、今で治療可能になっている病気もありますし、今は治療不可能でも、

将来には治療できるようになるかもしれません。

日本医学の発達に期待です。

 

それでは今回はここまで!ではでは!

 

 


故事成語「邯鄲の夢」

2016-03-09 10:18:19 | 故事成語

皆さんこんにちは・・・・

 

オチのネタがおもいつきませんでしたっ・・・!

 

まぁ偶にはこういうオチのつけ方も悪くないかなぁ・・・と思って、今回の4コマはこういうオチとなりました。

はぁ・・・もっとマンガのネタが思いつくようになりたい・・・!

 

気を取り直して故事成語紹介行ってみましょう。

今回紹介するのは「邯鄲の夢(かんたんのゆめ)」

意味は「人の世の栄枯盛衰(えいこせいすい。栄えと衰えのこと)は儚いものであるという例え。」

唐(とう)の時代、盧生(ろせい)という貧しい若者が邯鄲(かんたん)という土地にて、呂翁(りょおう)という道士から不思議な枕を借り、

茶店で一眠りすることになりました。夢の中で彼は、紆余曲折ありながらも、立身出世を極め、一生を終えるという体験をしました。

しかし、彼が目を覚ますと先ほどまでいた茶店。しかも夢の出来事も、自分が寝る前に、店主が煮ていたものがまだ出来上がっていないほどの短い時間での出来事。

盧生は、この一件にて、人の一生とはなんと儚いものであるかを悟り、この言葉が出来たそうです。

 

儚い人生と言われますと、イメージするのは芸能界ですかね。

一度は有名になっても、ふとしたことで地に落ち、今では見る影もない・・・・なんて話も結構聞きます。

最近では事件で捕まって、真逆の注目を浴びた人物もいましたし。

ふとした出来事でがらりと変わってしまう人生は、確かに儚い者なのかもしれませんね・・・・。

 

それでは今回はここまで!ではでは!

 


故事成語「会稽の恥」

2016-03-08 09:47:41 | 故事成語

皆さんこんにちは!

最近は暖かくなったと思っていましたが、私の地域ではまだ天気が安定しないようです。

この間はあったかかったからこれからは過ごしやすくなると思ったんですけど・・・

まだまだ暖房器具は出しておいた方がいいかもしれません。

 

それでは今回も故事成語紹介行ってみましょう!

今回紹介するのは「会稽の恥(かいけいのはじ)」

意味は「他人から受けた屈辱的な恥の事」。

実はこの故事成語、以前紹介した「臥薪嘗胆」に縁のある言葉でして、

越(えつ)の国の王勾践(こうせん)が、呉(ご)の国との戦いに敗れ、会稽山(かいけいざん)にて降伏したことは紹介したと思いますが、

その時勾践が受けた屈辱的な恥が由来となっているのがこの「会稽の恥」なのだそうです。

勾践はこのあと呉の国の王夫差(ふさ)の部下となりながらも、夫差への恨みを忘れないために

部屋に苦い熊の胆(きも)を置いて、それを舐めて過ごしたのですが、

そうしてでも晴らしたいぐらい、彼にとっては屈辱だったんでしょう。

結果、勾践は見事夫差を打倒し、長年の会稽の恥を見事雪(すす)ぐことが出来たそうです。

 

このエピソードが、「会稽の恥」の由来となっているわけですが、

まさか1つの事柄から複数の故事成語が生まれているとは・・・!

私もまだ故事成語は勉強途中ですが、これからも過去に紹介したエピソードと被って紹介することもあるかもしれませんね。

それでは今回はここまで!ではでは!


故事成語「温故知新」

2016-03-07 11:00:32 | 故事成語

皆さんこんにちは!

早速ですが故事成語紹介行ってみましょう!

今回紹介するのは「温故知新(おんこちしん)」

意味は「歴史・思想・古典など昔のことをよく調べて研究し、そこから新しい知識や見解を得る事」。

 

出典は孔子(こうし)の言行を記した書物「論語(為政篇)」で、彼が師となる条件として、先人の思想や学問を研究するように述べた言葉です。

温故知新は、「子曰く、古きを温(たず)ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし」と言う意味。

ちなみに、古きを温ねての「温ねて」は「たずねて」と言われるのが一般的らしいのですが、「あたためて」と呼ぶべき、との解釈もあるそうです。

 

学生の頃は、「昔のことなんて勉強したって今は関係ないじゃん」なんて思って、この故事成語や歴史もあまり勉強しなかったんですが、

今勉強してみると、昔の人の考えややり取りを垣間見ることが出来て、なかなか面白いんですよね。

なんで学生の頃って勉強ってだけで毛嫌いしてしまうんでしょうね?

 

学生の方は食わず嫌いしないで、また社会人になった人も、改めて歴史のことを勉強してみるのもいいんではないでしょうか。

面白いだけじゃなく、普段の生活でも役に立つかも?

 

それでは今回はここまで!ではでは!