セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

平成24年2月4日午前11時55分立春の日、母逝く

2020-02-11 | 
平成24年2月4日立春の日、母は静かに目を閉じた。
長いこと太いくだ、というよりじゃばらのホースを鼻に通された細く青白い母の顔がより一段と痛々しく、毎日見舞が私の胸をせつなくしめ続けた。
手をにぎっても、顔をなぜても、無表情、ビクともしない。
ただ、ただ眠り続ける母。
母の頭の中はまっ暗闇なのだろうか、
それとも、ほんの少しばかりのにぶい光がふわふわ漂っているのかもしれないなどとあれやこれやと頭をめぐらせていた。
先日「お母さん」と声かけにも知らんぷり。
私のおさない頃に呼んでくれた「よ〜こちゃん」をためしてみたけれど知らんぷり。
「よ〜こちゃん、ごはんですよ」 「よ〜こちゃん好き嫌いはいけませんよ」 「よ〜こちゃん忘れ物はない?」とか、いつもいつもよ〜こちゃん、よ〜こちゃんと呼んでくれたではないですか、忘れるワケはないじゃないですか、それなのに忘れてしまうなんて、、、、忘れられた者の悲しみはオツムの病であるから仕方ないけれど、それが大切な母に襲いかかるとは、、、、。人に迷惑をかけることなく地道に静かに暮らしてきたのに、それはないでしょうと心の中で思ってしまった日々。
もう母の頭の中には家族・大切ななつかしい人々の記憶や面影は消え去ってしまった。
そして音も聞こえなくなってしまった。なんてことでしょう。なにもかもうばうなんて。
そんな母を見送らねばと思うとチクチクと針をさすような痛みが体中を走りまわる。ところのある日、光明がさしたのだ、母の亡くなる三日前。次女夫婦が見舞にきて「おばあちゃん」と呼びかけると母の左目があいたのである。まさにキセキが起った。
うれしくて涙がこぼれ落ちた。
母の最後の私達への贈物だったのでしょう。
何年経っても、立春が近づいて来るとあの日の事が思い出される。
いろいろな器具をはずされた母の顔は、おだやかで、美しい面差を私達に残して眠りにつかれた。

忘れられない母のことば
8月のある日、うらやまでウグイスがないた。
それをきいた母は、
「もう春なのね」と遠い目をして言った。

2月1日 松田病院にて
代筆 ネネコ