セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

まもなく文月へ

2018-06-27 | 日記
 梅雨らしくない好天気が続く6月もまもなく終ろうとしている。
今夏は猛暑になるとの予報に7月はその始まりとなるのであろうか。
 私の思っている7月はこんな月
空はどこまでも青く広がり、白い雲がふわりと風にまかせて流れて行く。
山や街路樹の木々はますます緑が濃くなり、のびやかにそして生き生きと
育った葉っぱが生い茂り夏の匂いを漂わせている。 
田んぼに目をやるとやさしい緑をしなやかになびかせて、夏の日を浴びて
秋のみのりに備えての準備をしている。
海原に目を移すと大きな船が沖を通る。もしかしたら世界一周の外国船かも。
白い帆をはったヨットが数隻、風をうけてすべるように走るのが見える。
ひまわりが太陽に向って力強く咲いている。
私はパラソルを差し、額にうっすらと滲んだ汗をそっと拭く。
私の願っている7月文月は爽やかな夏の始まりを期待しているのに
今日の気温29度、蒸し暑さはどうでしょう。
わたしの文月への思いははかなく今日一日で消え去った。
やって来るのは暑い暑い夏の始まり。
葵の花がてっぺんまで咲ききると梅雨は明ける。
同時に蝉が鳴き始める。蛍も豆電球をつけて飛び交う。
麦わら帽子。虫取り籠に網。浮き袋に水着。氷水。キャンデー。
子供たちの待ちに待った楽しい夏休みがまもなくやってくる。
そのことを思えば少しは暑さを我慢しなければならないわね。


 

懐かしい母の味

2018-06-19 | 日記
 人は誰でも母の懐かしい味を今一度食べたいと思うことがありましょう。
私もそのひとりです。母はお料理上手、何を作っても美味しかった。
手間ひま惜しまず丁寧に作っていたからだと思う。
お弁当も彩りよく栄養も考えてあり、ふたをあけるのが楽しみであった。
お昼になると友人が私のお弁当をのぞき見するのが、秘かな自慢であった。
今日は私にとり忘れられないあれを二つだけ記しておくことにする。
一つは蒸しパン。
日曜日のお昼によく蒸しパンを作ってくれた。
蒸し器のシュンシュン湧き上がる音にはやく出来ないかと心待ちをしていた。
母は時々ふたを開けては竹串をさし蒸しパンの出来上がりの様子を見る。
出来たての蒸しパンはこんもり丸く、ほっかほかでちょっと黄色がかって
いたように記憶している。重曹をつかっていたから?
蒸しパンの中にはときどきあずきあんやかぼちやあんが入っていた。
日曜日のおひるの幸せな時間を母は与えてくれていたのである。
ほんのりした母の蒸しパンは私の大好物となったのである。
今、ときどき私は朝食に蒸しパンを作る。私の蒸しパンは真っ白でふわふわで
やわらかく赤ちゃんのほっぺみたいと自分でこっそりほめている。
ほかほかの蒸しパンにバターをたっぷりぬり香よいお紅茶で朝のひとときを過ごす、
これぞ一日の始まりの至福の時。
二つめは母の故郷の新潟の名産品の車麩。
その地で食べた車麩の煮物が美味でそれ以来いっぺんにとりことなった。
母におねだりをして同じような味につくってもらった。それは母らしい優しい味。
ひとりでも作れるようにと一所懸命にその味を覚えた。
母に作ってもらいたいと思っても母はいつの間にか料理をしなくなっていた。
ときどき車麩を煮る。
口にふくむと懐かしい母の味がひろがりようやく母の味に追いついたと思える。
お砂糖はこれくらい、お醤油はこのくらいなどと教えてもらったことはない。
そばでみていただけ。あとは舌で覚えただけ。
母から娘へと自然に受け継がれる味。
母は私の中で確かにいまだに生きているんだってつくづくおもうのである。
 私は私の娘たちになにを伝えることができるのであろうか。

紫陽花と雨

2018-06-10 | 日記
 今日にも梅雨に入りそうだと天気予報が伝えていました。
この梅雨時を待っていたかのように紫陽花が咲き始めます。
通りがかかりに雨に濡れたあじさいの美しさに思わず足を止めてしまいます。
近頃はピンクや濃い赤紫、白などのさまざまな色合いの紫陽花が見られます。
品種改良で花びらにも変化が見られます。
水色や藍色のあじさいが少なくなってきたように思われます。
私は淡い水色のあじさいが大好きです。だからちょっと寂しい気分。
緑の葉の中にぽっかりと咲いている水色の紫陽花はなんともはかなげです。
大小のまるで手毬のような花の風情は優雅さを漂わせています。
 かつて、父と一緒に仙台の温泉郷の秋保にある「木の家」行きました。
木漏れ日のさすなかを父の歩きに合わせてゆっくりと歩みます。
細い小径の左側には今を盛りと水色の紫陽花が咲き誇っていました。
右側からは川のせせらぎの音が心地よく聞こえてきます。
日の光、そよろに吹き過ぎて行く初夏のかぜ、川の瀬音、鳥の声に父の
弱った足は少しだけ力が出てきたように感じました。
自然の中に身を委ねると知らず知らずのうちに病んだ身体に、病んだ心に
そっと力を与えてくれるくれるようです。
緑あふれる木々に囲まれたカフェでコーヒーを飲んでいる父の穏やかな横顔を
わたしの心の中にしっかりとおさめました。
いまだに色あせずに父はいます。
次第に不確かになっていく父母の思い出の記憶をたどりながら自分のために
綴って行こうと思っています。これからは。 

        「乳母車」    三好達治
    母よ――
    淡くかなしきもののふるなり
    紫陽花いろのもののふるなり
    はてしなき並樹のかげを
    そうそうと風のふくなり
    
       ~~~
       ~~~
    
    淡くかなしきもののふる
    紫陽花いろのもののふる道
    母よ 私は知ってゐる
    この道は遠く遠くはてしない道