セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

心のこもった贈物とは

2016-12-21 | 日記
 もう間もなくクリスマス、デパートは贈物を探す人々で混み合っています。
若い男女が顔を寄せ合ってショーウインドウを覗いています。
若い男性がひとりでアクセサリー売り場で何か店員に尋ねています。
また、学生と思われる若者もショーウインドウを覗いています。
たくさんアルバイトをして貯めたのだろうと思うと、「あなたの恋が成就
するといいわね」と思いながら側を通り過ぎる。
玩具売り場では幼子たちが大騒ぎではしゃいでいる。
すぐに買ってもらえると思っていたのに、その日はお預けとなり大泣き。
親はクリスマスの日の枕元に置くべく算段をしていたのでしょう。
わたしにもそんな時があった、と懐かしく見ていた。
子供服売り場では年配のご婦人が、かわいい孫へのプレゼント選びで
あれこれと手にとりなかなか決められずにいる様子。
わたしにもそんな時があった、とこの光景も懐かしい。
何日もかけてデパートを歩き回ったことだった。
やがて、孫たちも大きくなり、何が望みなのか全く分からなくなってしまった。
最近は大人の物も子供の物もすごいはやさで流行が次々と変る。
テレビ、雑誌の影響なのでしょうか。
今時の子供たちは、私が考えているほど子供ではないのだ。
ずっと大人なのである。
 贈物をするとき三度の喜びがあるという。
その人を思って選んでいるときの喜び、その人を思って荷造りをする時の喜び、
そして、それがその人の手に届いたと思う時の喜びの三つだと言う。
 そんな気持ちを持って今年の贈物はすべて済ませた。
クリスマス、誕生日にかぎらず、金額の高い安いでもなく、その人を思っての
贈物をする喜びを味わえたことは、年の終りの幸せなことでありました。



こんなところに・・・・・

2016-12-08 | 日記
 小物の手洗いをしていた時ハッと気がついた。
いつもはめている小さなルビーの指輪がないのである。
めったにはずすことのない指輪がどうして?
随分と昔に、ハカセの外国土産の大事なだいじな指輪。
炊事、洗濯、掃除の家事くらいしかしたことのない私の手は、年を経るにつれて、
いつの間にか関節がふしくれて太くなってしまっていた。
第二関節のところでギュッと押し込まなければ指にはまらなくなっていたので、
スルリとひとりでに抜け落ちるとはまず考えられないのである。
  ♪今でも指輪もまわるほど
     痩せてやつれたお前のうわさ~♪
たしかに指輪はくるくるまわり、小さなルビーの石は手のひらの方にあった。
部屋中あちこち思い当たるところはさがしまわった、ない・ない・ない。
バッグや買い物袋の中もさがした、ない・ない・ない。
掃除機のごみの袋の中もさがした、ない・ない・ない。
 ハカセは「もう探すのはよしなさい。かわりの指輪を買ってあげましょう」と
しゅんとしているわたしを慰めてくれた。
失くしてから二か月半過ぎた時、無いものはない、もうきっぱりとあきらめる
決心を泣く泣くした。
 ところが一昨日、タンスの衣類を整理していた時、その引き出しの中に指輪が
あったのだ。思いもよらぬこんなところに・・・・なぜ?どうして?
今、大切な指輪が何事もなかったように私の指におさまっているのだから、
どうしてこんなところにあったのか、なんて考えるのはよそうと思う。
 ひと言ハカセに申し上げましょう。
ハカセ!新しい指輪を買わなくてもよくなってほっとなさったことでしよう。
私もほっといたしました。
 たとえ、この小さなルビーの指輪がみつからなかったとしても、私には
この小さなルビーの指輪にまさる指輪はないのである。

待ち焦がれていたリサイタルへ

2016-12-01 | 日記
 11月28日、フジコ・ヘミングピアノリサイタルに行ってきました。
数日経った今もまだその余韻が残っています。
9月初めにチケットを購入して以来、小さい子たちがクリスマス、お誕生日を
心待ちにしているように、私もこの日を待ちわびていた。
夜の街は灯りに彩られ昼間とは異なる華やかさに包まれていた。
ハカセに、チケットはいい席を購入しなさいと言われていたので、そのお言葉に
甘えて思い切ってS席12000円を希望、舞台の中央2列目のピアノのすぐ前の席を
取ることができた。
フジコさんが椅子に座った真正面なのである。
オレンジ色の柔らかな素材のドレスの袖口や裾にきらきらをつけ、レース、
スカーフをあしらい、フジコさん独特の衣装で出てこられた時は、思わず
眼見してしまった。照明に映えて美しかった。その後黒い衣装に着替えた時も
フジコさんらしく見事ないでたちでありました。
手を伸ばせばすぐそこにフジコさんが・・・私は年甲斐もなく興奮していた。
80才を過ぎての演奏は素晴らしいものでした。偉大なピアニストフジコさんに
かける讃辞は「素晴らしい」の一言。
1990年NHKのドキュメントを観て初めてフジコさんの存在を知り彼女のとりこと
なってしまった。
彼女の生い立ち、育った時代、音楽家にとり致命的な聴力を失い、
様々な悲しみ、寂しさ、歓び、怒り、裏切りなどまさにドラマチックな人生を
おくられて今に到ったのである。今は神に寄り添い、たくさんの猫たちに癒され
穏やかに暮らされているという。しかし、ピアノに向かうとそれは一変する。
6月頃から腰と足を痛められたとのこと。
一時間半にわたる演奏は体を酷使したことであろうと察している。
ラストの曲「ラ・カンパネラ」は迫力に満ち、場内は水を打ったようにシーンと
静まりかえり魔法にかかったように身動き一つない。
弾き終ると万雷の拍手が鳴りやまない。
この拍手はフジコさんの耳にもきっと聞えたことでしょう。
静かに立ち上がりピアノに手を添えてほっとした笑みはまるで西洋人形のように
あいらしかった。ゆっくりと舞台そでに歩いて立ち止まり、胸に手を当て会場の
皆に、はにかむように投げキッスをして扉の奥に入って行かれた。
何回かリサイタルを聴きにきたけれど、投げキッスは今までになかったことなので
お年のことを思うと私には少しの不安がよぎった。
指が動かなくなるまで弾き続けてほしいとねがった。
アンコールの「愛の夢」「トロイメライ」の曲が私の耳から消えないうちに
ざわつく会場を後にした。
タクシーの窓から見る街の灯りは来た時よりもますますきらきらと輝いていた。