セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

秋の草花に寄せて

2015-08-30 | 日記
 気の狂ったような猛暑が続いた夏がようやく過ぎ去ったようです。
湿気を含んだ風は肌をねっとりとベタベタにし、かえって暑苦しさをまし、
涼しくも爽やかさも少しも感じられない夏の風。
 ここ数日、窓から吹き込んでくる乾いた風はサラサラとなんと爽やかで
心地よく肌に感じられることか、まさに秋の風。
人の心を落ち着かせ、しみじみ物思う秋がようやくやって来た。
季節に先がけて咲き始めた萩の花の赤紫が美しい。
つゆ草の瑠璃色が周りの草むらの中に目を惹き、一段と美しい。
桔梗、コスモス、女郎花、吾亦紅、撫子、すすき、竜胆、そして月見草など
秋の草花はどこかはかなげで抒情的、感傷的風情を漂わせて咲いている。
秋の草花を見かけた時、たまらなく故郷を思い出し涙するお人もあろう。
わたしは萩をみては父を思い、紫色の花を見ては母に思いを寄せる。
私の心に秋の風が密やかに優しく忍び込み、、秋の草花に目をやると
いつもより深く父母を恋しいと思うのである。
そう、私はいつもこの時季になるとオセンチなオールド乙女になるのです。
思い浮かぶのは竹久夢二の「宵待草」の絵と歌。

     「宵待草」 竹下夢二・作詞 多忠亮・作曲
   ♪ 待てど暮らせど来ぬ人を
     宵待草のやるせなさ

     こよひは月も出ぬそうな♪

手には宵待草(月見草)を持ち、左手で顔を覆い、いまにも崩れ落ちそうな
華奢な女人。この絵をみていると、哀切をおびた調べが自然と口を衝いて出て、
恋しい人を待ちわびる切ない女の心情がより深く私の心に伝わって来る。
紅いショールは愛の証しなのでしょか。
待ち人は果たしてきたのであろうか、などとあれこれ想像した若い日があった。
秋の草花の持つもの寂しさは夢二の描くはかなげの女性象とぴったりと
相重なって見えてくる。
 もう一曲私の好きな秋の歌。
    「月見草の花」  山川清・作詞 山本雅之・作曲
   ♪はるかに海の見える丘
    月のしずくをすって咲く
    夢のお花の月見草
    花咲く丘よなつかしの♪

童謡の歌詞には季節の状景が見事に表現されている。
この秋は秋の童謡、唱歌を探して歌ってみようと思います。
  小さい秋みつけた・虫の声・紅葉・赤とんぼ・故郷の空・野菊・
  どんぐりころころ・里の秋・夕焼け小焼けなどちょっと思い浮かべても
  たくさん思いだしました。 

4泊5日のキャットシッター

2015-08-18 | 日記
 次女一家がここ数年来の念願が叶って、札幌への旅行に出かけた。
しかし、旅行に出かける前に一つの心配事があった。
愛猫ナナ・ココちゃんだけにして置いてはいけないことである。
先ずはそのことをクリアしなければ旅行には出かけられないのである。
次女は秘かにどうすればよいかの確信を持ちつつも、あれこれ留守番猫のことを
考えていたようであった。
その確信の白羽の矢は当然私に放たれた。
いずれ飛んでくる矢と私は知っていた。
車嫌いのナナ・ココちゃんのために、私は愛猫カール君を連れ次女宅に4泊5日の
キヤットシッターとしてつとめることに相成りました。
出発の日の夕方、フェリーに乗るために三人はうきうきと出かけて行った。
その時、ナナ・ココちゃんはぐっすり眠っていて三人が出かけたことを知らない。
目覚めたらカール君がいるのでびっくりするであろうとその時の様子を想像する。
ナナ姉さんは相変わらずカール君と相性が良くないのか、ヴォー、フゥーと
カール君を威嚇する。ついでにココちゃんにも飛び火する。
可愛いお顔、華奢な体に似合わないおっそろしい声でなく。そして、ベットの下に
もぐりこみ出て来ない。たまたまカール君と出くわすとカール君は体を低くし
しっぽをくねくねさせてちょっかいをかける。ナナ姉さんは「来ないで~」とばかりに
鳴きわめく。ココちゃんとカール君はおちゃらけて遊んでいる。
ナナ姉さんも一緒に遊びなさいよ、と声がけするも日中は姿を見せない。
夜中こっそりとごはんを食べトイレをしている様子を二度ほど確認していた。
それ以後確認を怠ったことで大変なことになったのである。 
キヤットシッターといってもご飯や水のとりかえ、トイレをきれいにするだけで
まったく手がかからない。
私は4日分の本や手仕事の針と糸、DVD等を持参。高校野球を観ていつもと
同じくのんびりと過ごしていた。
時々楽しそうな写真やメールが送られてくる。心ゆくまで楽しんでいる様子が
うかがわれて嬉しい。いくら時間があっても足りないであろう。
三人三様の良い思い出を胸に刻んで帰路につけばよいのだ。
娘の家とはいえ、冷蔵庫の食品の入れ方、調味料の在り所、食器や鍋の場所、
風呂の湯の入れ方、全自動洗濯機(私はいまだに二槽式)の使い方等々、
同じようでもありながら、どこかが違うことに戸惑いつつも無事に過ごしていた。
帰ってくる日の夕食にとカレーを煮込んでおいた。
満面の笑みとともにたくさんのおみやげの袋を抱えて賑やかに帰ってきた。
いい旅だったことが想像できる。
三人の帰りを心待ちにしていたナナ・ココちゃん。今晩は安心しておやすみ。
 追伸・何事もなく無事お留守番が出来たと思いきや、なんと、なんと、
ナナ姉さんがあるじの部屋の隅っこにうんことおしっこをしていたそうな。
気付かなくてごめんね。キャットシッターとしての一番の反省です。

日陰を求めて

2015-08-06 | 日記
 ぎらぎらの日射しの中を歩く。5分も歩くと額に汗が滲んでくる。
メタセコイヤの大樹の並木、緑あふれるその木蔭の下のベンチで一休み。
ほっと一息、扇子でゆらゆら汗をしずめる。
頭上からは蝉時雨が止むことなく降り注いでくる。
予想気温35度、何もこんな暑い日にお出かけせずともよいのに・・・、
でも、出かけねばならない用事がある。
日盛りの道へ意を決して?また歩き始める。
あれこれ用事を済ませた午後、太陽が移動し、行きの道とは反対側の道や家の塀に日蔭が出来る。
そういえば、片蔭という素敵な言葉があったではないか。
日蔭を求めながら、一息つきながら、束の間の涼を求めて私は歩く。
 緑蔭、蝉時雨、片蔭・・・等々この国には、昔から四季それぞれを表す豊かな言葉がたくさんある。
季節を表す言葉だけではない。暮らしの中から気の効いた言葉、奥ゆかしい言葉、ちょっと粋な言葉、
人の心の内を端的に言い表す言葉などが、身の回りにあふれるほど美しい言葉として存在している。
いつの間にか、それらの言葉は使われずに失われていくのに気が付いた。
なんともったいないことであろう。
折にふれ、この国にしかない美しい豊かな言葉を毎日の生活の中に自然に語られるように心がけて
いきたいものとわたしは思う。人の心と響きあう言葉で語り合いたいものと思う。
 追伸
 夕べ、仙台七夕祭りの前夜祭を告げる花火が勢いよく打ち上げられた。
遠くの私の家まで鳴り響いてきた。闇の中に打ち上げられる「たまや~」「かぎや~」の花火は
どんなにか美しく夏の夜空に描かれたのであろうか。
山下清の丹念に描いた「花火」の絵が浮かんできた。
やがて、花火の音は止み、いつもの静かな闇に覆われた。
   遠花火 祭りのはじめ 終りのあいず