セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

腕時計

2018-12-15 | 日記
 今まで30年近く外出時に私の左手を飾ってくれていたお気に入りの腕時計が
とうとう正確に時を刻まなくなってきた。私の左手首のアクセサリー。
一年ほど前から遅れ始めたのでその都度みてもらっていた。先日、今ではもう
扱われていない商品で直すにも部品もないとのこと。応急処置をしてもらったが、
今度止まったり遅れはじめたらあきらめてください、と言われていました。
華奢で小さな時計がよくもこんなにも長い年月を一度の故障もなく静かに時を超えて
来たものだと深い感慨を覚えた。
私らしい時計をと選んでくれた人と共に歩んできた私の人生。感無量です。
壊れかけの腕時計は今もゆっくりとのんびりとまるで余生を惜しむかのように、
そして楽しむかのように動いてはいる。なんだかいじらしい。
 そして、再び新しい腕時計を買っていただきました。
この先30年とは言えないけれど私と共に末永く時を刻んで参ることにいたしましょう。

 ふと、子供の頃からあった西洋の柱時計、ねじ巻の振り子時計のことを想い出した。
父は踏み台の上にのり、それでも寸足らずでちょっと爪先立ちをしてギーギーとねじを
巻いていた。巻き終ると振り子が左右にゆれはじめた。
ねじ巻は父のお仕事でありました。
  もう一つ、時計にちなんでの話。
6月10日は時の記念日。長女が小学6年生のとき、「時の記念日」の作文コンクールで
札幌の市長賞をいただきました。その時の記念品が置時計でした。
ちょっと自慢したくなりました。


       とけいのうた
  
   コチコチ カッチン おとけいさん
   コチコチ カッチン うごいてる
   子供の針と 大人の針と
   今日は さようなら
   コチコチ カッチン
   さようなら
 
          コチコチ カッチン おとけいさん
          コチコチ カッチン うごいてる
          子供が びょこり
          大人が びょこり
          今日は さようなら
          コチコチ カッチン
          さようなら

 

油断大敵

2018-12-10 | 日記
 今年も残り少なくたったわ、とカレンダーを見ながらため息をつく。
新しい年を迎えるために、あれもこれもしなくてはと、いつもの12月よりも
気ぜわしく焦っているこの頃。
どうして焦っているかというと、つい先日、重い物を持ち上げたとたんギクリ、
「あぁ、やっちゃったぁ」と。
後悔先に立たず・・・・・あとのまつり・・・・・
 私は日常生活について歩くときは①段差に気をつけよ、②転ばぬように気をつけよ、
③重い物はなるべく持たぬよう、④上の物をとるときも注意を払って、といろいろ
自分に言い聞かせ油断することなく一日を無事に過ごすようにと心掛けていたのに、
あの日、あの時、ほんのちょっとの油断でやってしもうたのだ。
とにかく怪我をせぬようにと注意深く過ごしていても、ふと、途切れることがあるのだ。
そんなに痛くないと少しばかり安堵していたが2、3日経つと痛い・痛い・痛い。
湿布を貼ったり、痛み止めを飲んだり必死の毎日。
朝起きる時、椅子から立ち上がる時など次への動作に移る時が痛い・痛い・痛い。
常に痛みがあるわけではないので、私の診断ではたぶん、あと10日も経てば治るのでは
ないかと思っている。
 お出かけ好きの私もここしばらく自宅ひきこもり。
そんな中で考えた。硝子拭きやカーテン洗濯、すす払いなど年末のお掃除はしない。
毎日のお掃除をするのみ。お正月の料理もしない。普段の食事ですませるという
心ならずもそうすることに決めた。
 おとなしくしていた私のお出かけむしが騒ぎ始めた。
穏やかなお天気の日、腰をかばいながら静々と街にでかけよう。
クリスマスカラーに華やかに彩られ、師走のにぎわいへと高まって行く街を味わって来よう。
 私の体調不良でとんだ年末、年始になってしまうけれど、新しい年はやって来る。
いい年でありますように心の中でそっと祈った。

※ 何年か前に次女が腰を痛めて入院。それは大変なことでした。
  その経験にともなってアドバイスをくれている。ありがたいことです。
  次女のこの時のことを思えば今のわたしは軽いのです。

※ 書き忘れましたが入浴時も注意しなくちやぁなりませんわね。