セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

火の用心 マッチ一本火事のもと 

2019-01-17 | 日記
 簡単な煮物している横で布巾などの洗い物をしていた。
ふと焦げ付いた匂いに気付きあわてて火を止めたが時すでに遅し、お鍋の中は真っ黒こげ。
煮物も焦げ臭くて食べられない、あ~~ぁ大失敗の巻なんて言ってられない。
もし隣室でテレビをみていて煮物をしていることを忘れて気付かなかったら大変なことに
なっていたかも知れない、と思うと体中が震えた。
 新年に入ってから毎日のように火事のニュースが報じられ痛ましい惨事の様子が目に
飛びこんで来るたびに、私も火を扱う時は側を離れず充分注意をしなければと心に命じて
いたはずなのに・・・・
 火事の原因となるものは多々あるけれど、いずれにしてもうっかり、不注意、油断が
大それたことを引き起すことになるのである。
悪質な放火にいたっては言語道断絶対許せるものではない。
お年寄りの焼死には体が不自由だったり、認知症だったりして逃げ遅れ、また、親が留守の
時の子供達だけの火事は、火に囲まれ恐怖におののいて父母を探し助けを求めていると
思うといたたまれない気持ちでいっぱいになる。
出火元からの巻き添えになった人々は茫然自失、なんとむごいことであろう。
メラメラと燃え盛る炎の中に尊い命が失われ、それまで築き上げてきたすべての人生の
想いでの品々をいっぺんに失くしてしまう恐ろしい火。
 私の子どもの頃は冬になると町内順番で拍子木をたたきながら「火の用心、マッチ一本火事のもと」とキュッキュッと雪を踏みしめながらパトロールをしたものだ。
今では私にとりこんな懐かしい光景を見ることもなくなった。
マッチで火をつけることもなくなりスイッチポンで火がつく時代、便利になりました。
私たちが火に対して厳しい気持ちと用心をもたねばならぬということです。

 真っ黒けになっていたお鍋は3日ほどポリデントを入れてつけおきしてこすると
 あら~不思議、どんどん焦げはとれていまではピカピカになりました。
   教訓「私はもう火のそばを離れない」


今年もよろしく

2019-01-03 | 日記
 2019年 平成30年 1月1日いつもの年明けとは違った気持ちで新年を迎えた。
私にとり77冊目の最初の頁が開かれた。
今年は天皇が御退位される4月30日までが平成で、翌5月1日からは新しい元号に変わる。
4月1日に新元号が発表されるまでは、誰もそれを知らない。
 思い起せば昭和から平成に移った時は、暫くの間、平成という元号に馴染めなかった。
それから30年経った今は、世の中の目まぐるしい流れに対して私の30年間のささやかな
流れを振り返ってみると名残惜しい気さえしてくる。
どんな元号になるのでしょうか。
新しい天皇のもと、いい時代が訪れることを祈って止みません。
 吉屋信子の句に「初暦(はつごよみ)知らぬ月日は美しく」というのがある。
 新年の初めて用いる暦が初暦である。並ぶ月日はまだ何の影も屈託も宿さず
 等しく輝いて見えると、1月1日の毎日新聞に掲載されていた。
お正月にふさわしい句だと思った。
 家にはまだ新年度の暦は用意していなかったけれど暦は必要。
暦を見ないと一日が流れて行かないような気がする。
何気なく見ていた暦の日付には何か意味があるものだと改めて私なりに気づいた。
ついたちがふつかに変わる時、小さな過去が生まれ、小さな未来があたらしく生まれ
ふつかがみっかに変わる時も同じ流れをくんで、日を重ね1月が2月へ、そして12月へとその一年の過去と未来が織りなして時代は続いて行くのではないかと、そんな当たり前のことに
私の貧弱な頭が気が付いたこのお正月。
一年最後の12月の暦を外しその一年を振り返りつつ、新しい暦にかけ替える時、
後期高齢者の私の未来にも小さな希望を抱く私。
 新しい暦を買いに行かなくては私の明日ははじまらないわ。

   初暦めくれば月日流れそむ     播水