セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

お茶の間映画館 2

2018-07-25 | 日記
 前夜の天気予報で今日は気温35度とか、どうりで目覚めた時から暑いはず。
今日は一日中家にこもっていることにする。
もう一度観たいDVDが何本かあるので、こんな日こそはクーラーの効いた部屋で
お茶の間映画館を開くことにした。
上映時間も飲食も自由、ソファーでの寝転がりスタイルもよし、
お茶セットが用意できたら上映のベルがなる。
一本目は1、2年の前に話題になったフランス映画「92歳のパリジェンヌ」。
実在のフランス大統領の母親の生きざまをモチーフに描かれたものでDVDになるのを
待っていた。
一人暮らしをしている母親が日ましに感じる老いに対しての不安に
自らの尊厳自死を決意、それを知った家族の猛反対、ぶつかり合う心と心の葛藤。
やがて、母親の生き方を認め母親に寄り添う娘。その娘の心の内を痛いほどに
分かる母親。息子は母親の選ぶ最後がなかなか理解できないでいる。
その日が来るまでの母と娘の流れていく時間が痛ましく悲しく切ない。
私には92歳まで少し時間はあります。主人公が出来なくなって来たことをノートに
書いているが、私もノートに書かないまでも心に記している。
私も少しずつ老いることに不安を感じることがあります。
2度3度この映画を観ていると、老いを生きて行くことの厳しさ、辛さ、そして
家族に対してのやさしさがこんこんと伝わってきた。
映画の中に流れるジルベルベコーの「そして今日は」のメロディーが心に静かに
響いてくる。
また、血のつながりのない黒人のお手伝いさんとの交流が心打たれる。
血縁関係がないだけに素直になれるのかも知れない。
戸口の棚に並べられたものが一日いちにちと少なくなっていくのは残された日々の数。
わたしには切ないけれどなんだかほっとした気持ちで幕がおりた。
 どこの国でも高齢者社会の諸問題が起きているのだ。身につまされます。
パリの風景、街並み、アパルトマンの室内、調度品など素敵です。
母娘と自動車でのドライブは分り合った二人の心の底にある悲しみを抱えた
幸せ。凛とした母親のゆるぎない生き方。娘は何かを学んだにちがいない。

 今日のお茶の間映画館はこれで終了。

ちんどん屋さん

2018-07-13 | 日記
 どんよりとした曇り空、無風、湿度高く蒸し蒸しとし、汗がじわじわと
にじみ出てくるいやぁな日に、昔懐かしい光景にであった。
メーンストリートを歩いていると遠くから賑やかな太鼓や鈴や笛(クラレネット)の
音が聞えてきた。
時代劇のようななりをした町娘や町人姿の男の人二人の三人が派手な着物を身につけ、
楽器をならしながらビラをくばっていた。
大勢の人びとがもの珍しげに取り囲み、写真を撮ったりしていた。
今ではほとんど見かけなくなってしまった「ちんどん屋さん」である。 
 私が子供だった頃(はるか昔)店の開店や行事の宣伝や広告のために街中を
練り歩いていたのを覚えている。そのあとを子供たちはぞろぞろついて回っていた。
その時の曲はちんちん、どんどんと賑やかだったけれども、その音色の向うには
哀愁を帯びたもの哀しさが漂っていた。
昔は「美しき天然」」とか「花笠おんど」などなど・・・
先日聞いた曲は「恋の季節」で、見物人はリズムにあわせのりのりの様子だった。
 その日の夕方のニュースで「すしざんまい」という店の開店祝いの景気づけに
このちんどん屋さんは華を添えていたということだったらしい。
お客さんたちは活きのいいマグロ寿司をさぞかし満喫したにちがいない。
「ちんどん屋」という言葉は差別用語ではないらしいが、言い方には十分
気をつけなければならないということである。
昔は子供同士のけんかでいじめやいやがらせをするときに使った言葉として
「お前の母さんでべそー」とか「ばかばかちんどんやー」と言いながら
逃げる腕白ぼうずたち。でべそーと言われた子供は帰ってから母親のおへそを
みせろといって確認しとか・・・
そんな言葉も今ではすっかり使われなくなった。
 ただ、わたしが思うにはこの日本独特な「ちんどん屋」という職業は
日本文化のひとつなのではないかとこっそり思っているのである。


山と川のある町

2018-07-10 | 日記
 平成最大・最悪と言われる西日本豪雨の被害の有様、状況をニュースで
映し出されるのを観て心がしめつけられている。
山と川のある町なんて夢みたいな所、ちょっと住んでみたい所と思っていました。
石坂洋次郎の著書に秋田のとある町を題材とした「山と川のある町」という小説を
若い頃に読んだ記憶があります。のんびりとした情景を思い出します。
 今、西日本の山と川のある町、緑あふれる自然豊かな大地に平和に普通の暮らしを
営んでいた人々に突如襲いかかった豪雨、いつまでも止まない豪雨、この豪雨は
悪魔の雨だと思った。
家屋を壊し、車は押し流がされ、山は土砂崩れを起し山肌をあらわにし、
道路もふさがれ、木々はなぎ倒され、橋は破壊し、水の勢いはますます激しく
荒れ狂い、その脅威にテレビの画面に呆然とするばかり。
そこにさっきまで住んでおられた方たちは、目の前の光景にただただなす術もなく
茫然自失で手の下しようもなかったに違いない。
日が経つにつれて大勢の尊い命が奪われている。
残された人々は命を助けてあげられなかったという深い深い悲しみは、今後、
一生癒されることはないと思う。
母親に甘える子供、いたわり合う老夫婦、若者達はサッカーに見入っていたかも
知れない。そんな幸せな人々の穏やかな日常生活が一瞬で奪われたのだ。
誰も想像すらしなかったことが、突如として起る世の中。
自然災害然り、交通事故、誘拐、殺人等々が身に起るご時世。
健康でふつうの生活をしていれば、明日がないなんて考えられない。
明日もいい日でありますようにと祈り眠りにつく。
明日は明日の風が吹くなんてうそぶいていてもみんな明日に何かしらの望みを
かけている。
明日のことは誰もわからないのだ。だから今日をちゃんと生きなければ・・・・と
この豪雨災害に思ったことである。

   今日の私の町は曇り空。
   被災地の空はどんな空。少しでもすこしでもいい日でありますように。