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Carpe Diem

シンシナティ大学で都市計画を勉強していた、ある大学院生の物語。現在はマンハッタンで就活。

March 2, 2013

2013-03-02 14:45:49 | study abroad
ようやく留学生活も落ち着きを取り戻した。
今までの1年半はほとんどの期間は前へ、前へとひたすら走っている感じだった。
そして走ることに意識を傾けすぎてなかなか心の整理ができてなかった。
今日やらないと残り2ヶ月の最後のアメリカでの大学院生活でもなかなかできないのでは。
そう思って久しぶりにゆっくりしながらこの文章を書いているところだ。
正直、いつも書いているペーパーとは違って論理的に書こうとは思っていない。
だからこの文章の最後の終着点は僕にも分からない。
ただアメリカの大学院の生活のことを思いのまま書いていきたい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

アメリカに来てから1年目は何もかもが新しかった。
食べ物もそうだし、街並もそう、ファッションも、そしてアメリカ人の考え方、行動も。
ただその中で生活しているだけで楽しかった。
授業を英語で受ける、アメリカ学生と会話すること、アメリカ人とのルームシェアなど。
一瞬でも無駄にしたくないと自分の時間が許す限り全てのイベントに参加しようとしていた。
何かチャンスがあれば必ず掴みにいこうというスタンスで毎日挑んでいた。
そして数少ない日本からの留学生として何かクラスに、大学に貢献しようと思い動いた。
毎日がすごく充実していて、色んなことがとてもうまくいっていた、正直不思議なくらい。

そして夏休みはタイでのインターンシップと修士論文のリサーチに2ヶ月間。
いま振り返ってみるととても充実して思い出の多い期間だったけど、その時は環境になれるのに必死。
タイ特有の時間感覚やみんなのゆっくりとした感じはいつも張りつめていた僕には馴染めなかった。
そして今までほとんど自分の行動をコントロールしていたのに、全然違う環境で自分が周りの流されていた。
その2つから僕はアジアにいながらアメリカにいるより、多くのカルチャーショックを受けた。
でも現地のインターンシップ先の大学の先生方の優しさや、生徒の笑顔、そして地元の方々に本当にいやされた。
そのインターンシップのあとのリサーチも3週間という限られた期間で、まったくコネクションがなくて、
タイ語が話せない状態でどれだけ情報が集められるか勝負だった。
毎日が勝負で全く次の日に何が起るか分からないという環境が3週間続いた。
結果的にはある程度うまくいったから良かったけど。

そしてアメリカ戻ってからは一年目とは違って、色んなものに慣れてくると同時に刺激が無くなってきた。
ほとんどのことが去年やったことの繰り返し、同じ教室で授業を受ける、去年と同じイベントが繰り返す。
でもその一方でちょっとした変化、例えば1年生から2年生になったことや、多くの仲のいい友達が卒業したこと、
季節の変化、新しいルームメートとの生活、本当に少しのことでも敏感にストレスを感じるようになっていった。
1年生の時に何でそんなにうまく行っていたのか分からないくらいうまく行かな(いと思い込んでいた)くなってしまった。
今までの自信だったり、ポジティブな考えだったりが少しずつ削ぎ落とされていった。
それと同時にリアルがもっと見えるようになってきた、もっと等身大の自分が。
僕はどんなことが得意で、どんなことが苦手で、どんなことが好きで、どんなことが嫌いなのかも。
そんなことを考えながらクラスの課題を一つ一つこなし、卒論を書き上げていっていた。
そして今日に至る。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

浪人して大学に受かった時には完全にエネルギーも、そして自尊心も、自信も全て打ち砕かれていた。
大学に入る前に上海に行った時に中国人の堂々と歩いている感じを見て、すごく悔しくて僕もこうなりたいと思った。
もっと強い人間になる為にはどうすればいいか?ー”留学しよう”。そんな単純な考えからここまで来た。
今では以前に比べて人前では堂々と歩くし、色んな国からの人とも対等に会話はする。
でも結局、留学して強い人間になったかどうかは分からない。
いつも周りの人の優しさに支えられてどうにか生きていれるだけの一個の人間だ。
ただ人前では弱音を吐かないようにしているだけで、本当はまだ弱い人間だということも知っている。

アメリカに来て本当に変わったものは何だろうと、ちょっと考えてみる。
もちろん英語が上達したのと(日本語が以前にも増して下手になったのと)人生というものが少し客観的に見えてきた。
ここで色んなバックグランドを持った人たちと出会い、色んな考え方を持った人たちと出会い、色んな年代の人たちに出会い、
自分がこのまま進めたら将来どんな感じの人になれるんだろうともっと相対的に見れるようになってきた。
一つ思うのはアメリカの大学院生活は僕にとってまるで短い一つの人生のような感じだ。
新しい世界に投げ込まれて、色んな刺激を吸収していった一年生。
新しい友達と出会い、多くのチャンスに恵まれてた前半期に比べて、
そして後半に入ると何ができて何ができないかを少しずつ理解していく。
そして僕がこの大学院を卒業していなくなっても、それとはおかまいなしにこの大学(or 世界)は続いていく。
その事実を知りながらどう大学院生活の終焉をデザインしていこうか。

修論(ほぼ)終了。

2013-02-27 13:06:31 | study abroad
修論を100ページほど書いて、昨日先生に提出した。
ずっと去年の夏にタイに行って情報収集したりして、
大学院生活の中で一番頑張ったことがようやく終わろうとしている。
まだディフェンス(先生の前で発表)、校内でのポスターセッションが二つと、
そして学会発表がまだ残ってるけど。
自分のなかでできるとこまで(時にはそれを越えて)やったはずなのに、
今日の夜2時に先生にメールに添付して、送信して終わったはずなのに、
全然嬉しいとか、ほっとしたとかなくてまだ何とも言えないような気持ちなのが正直な所。

でもこれでともかく今まで卒論に集中していた分の時間をもっと他のことに
使えるというのは嬉しい。残りのたった2ヶ月を何に使おうか。
就活もまだ進んでいるけど、もっと友達としっかりと思い出に残る時間にしたい。

Peter Walker

2013-02-12 16:03:44 | study abroad
昨日はNYの911メモリアルのランドスケープをデザインしたPeter Walkerが講演に来てくれた。
彼はPWPというlandscape firmを主宰していて、そのコンペ以降は世界中にその名が知られるようになった。
(僕はその講演を聞くまで、誰だか全く分からなかったけど)

Peter氏の話はこうだった、
911メモリアルのコンペには5000以上の案(グループが)参加したそうだ。
その中でBest 8まで選ばれた, Michael Arabから急遽電話が掛かってきて、
彼らの事務所にランドスケープの依頼が来た。
それに対してその作品のアイデアに共感して、参加することにしたとのこと。
こうやってお互い会ったこともないのに、電話やファックスを通じてやり取りしていき、
案をどうにかこうにか練り上げていた。

そしてPeterがイギリスで仕事をしている時にMichaelから突然電話が掛かってきたて、
911メモリアルのミーティングをNY市長などが開くからすぐにアメリカに戻ってくれとのこと。
それに対して多くの仕事をイギリスに残したまま、翌日の航空券を買って、アメリカに戻り、
そこで始めてPeterはMichaelに会い、ミーティングで話すことの打ち合わせをした。

数日後にPeterはMichaelから電話をもらい、彼らの案が当選されたということを聞いたらしい。
しかし、そうなると来週にパブリックの公聴会が予定されているので、そこからの5日間は大急ぎで、
スタッフ一同で必死になりながら、モデルを作ったり、レンダリングをしたりしてどうにかくぐり抜けた。

そうパブリックの取材でコンセプトを説明すると、今度は色々とディテールを決める作業に入ってくる。
どういう木を使うか、どういう石材を使おうか、そしてどう細部を配置をしようかなど。
メモリアルにある岩はわざわざイタリアからドリ併せたよう。
そして合同で建設に携わるエンジニアたちと色々とトラブルがあったりなどと。

普段、学生の僕たちはなかなか現実のプロジェクトがどうすすむのか分からないから、
本当に彼のプロジェクトの緊張感やフラストレーションがよく伝わってきた。
かれは僕よりおよそ80歳とは感じないぐらい元気で、エネルギッシュだった。
きっといつも色んな刺激がある世界って素敵だな。






2年間

2013-02-09 13:58:57 | study abroad
昨日で100ページほどの英語の修理論文の原案を書き終えた。
それをルームメートに見せたら、
「まるで人生の集大成ですね」と褒められた。
この論文は去年の夏にタイにインターンシップをする前から
情報収集を始めて、
夏にタイに行った時に現地でしか手に入らない情報を探しまわって、
そして大学に戻ってからその情報を基にして書いた論文だ。
もしかしたら大学院で一番時間をかけて取り組んだことかもしれない。
確かにここには2年間での色んな集大成が詰まっている。

そう、個人的に感じるのがアメリカでの2年間ってまるで人生が詰まっている。
特に日本や海外から来ると、今までの人生とは全く別世界だから、
その新しい世界に対して自分をどう定義していくか、
どんな生活をしたいかというのは、
きっとよく理解している今までの世界(日本)よりフレキシブルになっていくる。

ここではアメリカの大学院では単位をとって卒業する以外に制約はない。
だからそれさえこなせば、残りの時間は何をしても構わない。
例えば勉強が好きだから余った時間も読書の時間に使う人もいれば、
恋人や家族と時間を多く過ごす人、バイトをして生活費を稼ぐ人もいるし、
いろんなパーティやイベントに参加している人もいる。
もちろんみんなその中でいろんなバランスを取りながら毎日を生きている。
みんな毎日を自分のスタイルで過ごしている。
その過程で、色んなチャンスが訪れたり、色んな変化があったり、
そして新しい友達ができたり、友達が卒業やインターンでいなくなったりする。

日本でもきっと同じようなことをしていたけど、
アメリカという自分にとって全く新しい世界に身を置くことで、
そして2年間というはっきりと時間が限られた中だから、
もっとどうやって2年間を過ごしたいか、よく意識するようになった。
最初の一年は何もかもが新しくて色んなことにチャレンジして、
積極的に新しい人に会ったりしたり、
今まで余りやったことがないこともやったりした。
そして2年生(後半)になると今まで一通りやったことが
また繰り返されるなかでどのような距離感を取ろうかすごく迷っていた。
最初の年よりもイベントに参加することもなくなってきた。
(現実がより見えてきたせいからの、あきらめなのだろうか。)
その過程で本当に自分が楽しめることは何か、
本当にやりたいことは何かということをいやでも意識しなくてはいけなかった。
というのも毎日を同じ一日にしたくなかったし、
毎日何か新しいことに挑戦して刺激が欲しかったから。

そして今では卒業まであと2ヶ月半となった、
まだ卒論も修正も残ってるし、就職活動もまだ残っている。
でもそれだけをやって大学院生活を終わらせようとは少しも思わない。
もっと限界まで、というより限界以上に楽しみたいし、
素敵な友達ともしっかりと時間を過ごしたい、
一週間に何度かは身体も動かしたいし、
バスケのトーナメントもまだ残っている。
校内や、学会での発表も予定されている。

限られた時間で大学院生活も終わってしまう、残念だけど。
だからこそ最後までしっかりと走り抜けたい。
終焉をどうデザインしていこうか。

僕たちはどこにも行けない。

2013-02-02 00:13:35 | study abroad
アメリカに来て人生のリアルというか、本質が少し見えてきた。
「僕たちはどこにも行けない。
 でもどこにでも行ける可能性もあるということ。」
ちょっとだけそう考えるようになったことの背景を。

僕は日本にいた時は歳を取るにつれて多く能力が身に付くのだと思った。
それはここアメリカにいても同じような事実だった。
でも、日本では必要以上に先輩を意識していた。
1つ、2つ歳が違うだけですごいように感じる時もあった。
日本にはそう感じさせる文化とか雰囲気があるんだろう。
でも結局は僕も人間だし、その人たちも同じ人間だから、
実際は僕にもその人たちにも長所もあるし、短所もある。
年上だから偉いとか、年下だからどうだとかというのは
少し本質から外れているように思える。
アメリカだと25歳の僕は、50歳の友達とも対等だし、
学部一年生の18歳ぐらいの人たちとも対等だ。
もちろん実力の差はあったりするけど、
人間的に同じことに変わりはない。
不思議に聞こえるけど、先生も尊敬はするけど、
一人の人間としては対等の立場であるし、
先生方もそのように接するから、コミュニケーションもしやすい。

そうやって、色んな年齢の人たちを対等な視点から捉えると、
今まで自分が持っていた将来に対する幻想が驚くように消えてしまった。
これまではもっと頑張ったら、もっと完璧になると考えていた。
例えばアメリカに留学したら、成長してもっと人として一回り大きくなれて、
みんなから尊敬されるというような、小さなことを考えていた。
結局アメリカに来ても自分は自分で、いい所もあれば悪い所もある。
僕のことを慕ってくれる人もいれば、嫌う人もいる。
それはどんなに歳をとってもきっと変わらない事実。
そうやって将来のことを想像すると、
それはもっとリアルに感じられて、
今の僕みたいに仕事をこなしたり、
人間関係で喜んだり、悩んだりして、
将来のことに対して不安を抱えているのは変わらないんだろう。
結局将来の自分は今の自分とそんなに変わらない。
だから「僕たちはここからどこにも行けない。」

でも物事をそうやってリアルに捉えると前に進むことが難しくなる。
僕の場合は将来の理想とか夢とかがモチベーションになっていたから、
それを失うということは行動するエンジンがなくなるのに等しい。
そうするとやる気がでなくなる。
じゃあどうしようか、2週間ほどそれを悩んでいた。
そんな時にふと目に留まったのがMIT教授の石井裕さんのtwitter。
そこには2200年を考えて、今を生きろというようなフレーズが。
もしかしたら読者の中には「何をばかな。」と感じている人もいるだろう。
ここで僕が言いたいのは僕たちが死んだ後の世の中に何を残せるか考えながら、
毎日の行動に意味を持たせてみようということ。
世界のほとんどの人たちが一日にできることはわずかなことだけ。
でもその一つ一つの行動に意味を持たせることで、
小さな一つ一つの行動が積み重なってついに大きな何かを成し遂げるはずだ。
その小さな発想の転換でいま僕は「どこにでも行けると可能性がある」。