サファイア

日記です。

先生と私

2008-09-17 22:46:13 | 思ったこと

もう! 雨じゃん。
昨日は、真夏のように暑かったのに~! 
先生に逢って話をしたら、フワフワと浮つく気持が少しは落ち着いた。
角を曲がった?ような気分で身の置き所がない不安 
先生にソノ気持を聞いてもらいたかった。
相変わらず、的を得たように答えてもらってホッとした。
懐かしかった。
あの頃・・・先生は大学出たての22才の新米教師、私は高1の16才。
10才の時から少しづつネジレタ心を、新米先生は実家に遊びにおいでと言って
くれたり~ 話しかけ、気に掛けてくれていたのは嬉しかった。
アンマリ学校を休むので、勝手に家庭訪問をしたり 
学校を休んでいるとは知らなかった親はオドロイタようだけど
それでも一生、親と気持が通じる事は無かった・・・なぁ
今でも、気持は変わらない
曲がったことを容認する事は出来ない、無かった事には出来ない 
例え、立派な業績を残しても?歪んだ土台の上に築いたモノは所詮
何も無くなるということを思い知った時は、死が目前の母だった
「何か有ると、考えがヒュ~と10才の頃に返るんじゃね?」って、先生が言う。
そう言われるまで、自分でも気付かなかったョ
正しい事、常識的なことが ヒョットして如何なん??って、解らなくなる。
「それでいいんよ!、そう思うのが当たり前のことよ」と、答が返ってきて自信
が持てた。
旨く世渡りしたいとは思わない、自分に正直で居たい。
考えの根本が歪んで、自分に甘くなるのは容易い。
人は、大人になった人にソレをワザワザ親切に言ってはくれない。
いつまでも先生は先生だ、感謝して肝に銘じた。
それと もう一つ。
「一家の頭はヤッパリ、母親よ。しっかり守って、命を大事にね」と、言われて
改めて実感した。
母親が居ないと、一家が離散するのは誰よりも一番!良く解っている。
時には、自由な時間を持ってもいいから~守るものはシッカリね!  と。
先生は5人の子供さんを育てながら、舅・姑を其々10年づつ介護された。
ご自身も大病をされて、「がんばるよ」と年賀が着て 以来だった。
命の大切さは人一倍 痛感されている。
そんな風に生きる姿を見せてくれる先生に勇気をもらったから、また、何かを
見つけてみたいと思う 

先生のご主人に初めて逢ったのは、先生が長女を出産された時だった。
それ以来だから~ 37年ぶり??
ソノ時には、私も長男がお腹に居たってこと?  
月日の経つのは速いなぁ~!
明日はその息子も36才の誕生日だヮ 
人生は長いようで、短い? 後悔の無いように生きていかなくちゃね 


コメント (4)
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堀越窯→因幡先生

2008-09-17 00:13:51 | 趣味

今朝早く、長女は出張で厚木へ出かけて行きました。
急に空いた時間です、今日は絶対に行くぞ と、決めた。
家事をサッサと片付けて、10時に 出た。
予定では、堀越窯→高校の恩師宅→ という順です。が~?
どうなる事でしょう
何しろ、初めて行く窯元の上に道案内があまりハッキリしてないの
マア、行けば分かるでしょ!ってなノリで走った
ガソリンの安い所で、久し振りに満タンにして 大野ICから徳山東で??
間違って下りてしまった
再度 上って、随分走って徳山西ICで下りて~R2を走る。
目指すは、トンネル2つ クグッテ冨海海水浴場です。
たったのコレだけ
でも、行きましたよゥ 汗だくで・・・
スゴイでしょ~~~ この執念
気が付けば、冨海??は過ぎていて コンビニで聞いてUターン。
今度は線路を越えて行き過ぎて、近くの商店で聞いてバックして  
離合出来ない細い道をゥヒャ~~!と走って、突き当りの 人に聞いて
ヤット、見つけて「ごめんくださ~~い」と行ったわけ。
汗でビッショリ、着いた興奮で一気にしゃべりまくり 失礼しました!
欲しいのは、取っ手付きのすり鉢で大きさは15cm×12cmくらいのもの。
必死に説明して、冷たいお茶やコーヒーをよばれた
ホッとしたら、ジックリ見させていただいて・・・チラッと作業所を覗いたら~、
あら、コレに蓋が付いたら~? イチイチ ラップをしなくてすむジャン
良かったァ~! ドウセなら欲しいように作ってもらいたいからね?
コレで完璧
作る過程で、同じ物を何個か作ると言われる。
コレは、絶対ヒットモノよ 
注文が殺到しても特許権は言いませんから~??ってね 
店の中を写メさせてもらって、失礼いたしました。
次は~高校の恩師宅です。
ココで教えてもらった通り、R2を山口方面へズンズン行きます。
場所は団地だけど、名前が~?確かじゃないのカモ? 
この時点で3時、途中のイズミでフルーツを・・・。
そこからスグのはず? 探せど探せど無いナイな~い!
どうして~ 早くしないと夜になるょ。
郵便局では「番地がワカラニャ答えようがない」と真剣に応えてくれない
そんな聞き方じゃ、教えられない!答えようがナイってカンジ・・・
それはソウだけど~?!  ケンもホロロ
「もう、仕方が無い・・・」と、諦めて途中まで帰りかけた時!
団地の名前を思い出した!
またまた、あの郵便局に戻ってイヤイヤながら聴いた。
「こういう名の団地の場所を教えてくれない?」と・・・。
「場所は分かるけど・・・」モソモソモソ 個人情報に過敏なのは解るョ。
だけどねぇ、近くの茶飲みオバちゃんミタイな対応は止めてよゥ
「ハッキリ言ってよ、川の傍の道ね?」ッテナ具合で、何ナノこの人たち
11年前 タクシーで来た道もこんなだった!と、思い出しながら団地の看板
を見つけた
あ~!あった~~ やっと見つけて「ピンポ~~ン
あの時もヤッパリ9月でしたねぇ~
私の誕生日の8日でした・・・青春切符でトコトコ 行きました。
JR口からタクシーで、着いたら変わりない先生が・・・。
その顔は姑さんの看病疲れで、大変そうだったァ。
アレから11年の間に、7年前に大病と2年前に事故に遭い 
未だに身体がシッカリしないんだとか。
でも、でも、口癖や言葉の端々は昔のままだ! なつかしい~
「ジックリ話をしよう!」って、熱い先生だったなァ。
あの頃と少しも変わりない。
先生の言葉が聞きたい時に、いつでも想いだす・・・分岐路の標識だ。
「先生、マダマダこの世に居て」って、お願いしたら 
「未だ、逝ケンよ。例え、寝たっきりになっても見守るょ」と~
ョ~く、考えてみたら? あの頃は生徒と教師でも?年齢差は僅か6才だ。
一番感受性の強い、しかもヒネクレきった私に熱かったなァ
『金八』みたいな先生だった。
自分探しの帰車で、これからの自分を先生の言葉が包んだ・・・
コメント (2)
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