☆三等星☆

~小ネタと妄想と切ない気持ち~


ごゆるりとしていってください。

三浦半島を南へ(4)

2007年11月01日 00時10分45秒 | 優しい時・切ない時
坂を越えると、あとは平坦な道が続くため、一気に加速する。

ところが、快調に飛ばしていたのに、

目の前の小さな交差点が赤信号に変わった。

信号の名前を見ると、「のび」と書いてある。

のび太のくせに生意気だ!

と、ジャイアンばりに信号無視をしたところ、

トラックに轢かれかける。

のび太、おそるべし。


次の赤信号で、後ろからチャリンコに追いつかれた。

見ると、乗っているのは超マッチョな白人。

肩幅が俺の2倍ほどもある。

ヨコスカの米兵に違いない(たぶん)。

階級は伍長(たぶん)。

コイツ、軍のほふく前進コンテストで

5年連続優勝した経験のある猛者だ(たぶん)。

アフガンの山中で雪男を小指1本で倒したという

武勇伝も持っている(たぶん)。

好みのタイプは、ヒラリー・スワンクと叶恭子(たぶん)。

今日は休日のサイクリングと見せかけて、

三浦方面に部隊を展開するための下調べをしている(たぶん)。


そうと知ったらチャリンコ勝負で負けるわけにはいかない。

俺もサムライの子孫。

大和魂を見せつけてやろうじゃないか!

敵は屈強な白人。

しかし、俺には勝機がある!

俺の武器、それは敵の2分の1ほどの肩幅!

強い海風が吹くここでは、

敵の肩に付いた筋肉は、強烈な空気抵抗となるに違いない!

いざ勝負!

3,2,1,Go!

信号が青に変わると同時に、2台のチャリンコが走り出す。

へっへっへ、ジャップをなめて吠え面かくなよ。

と、俺が妄想をしている間に、光速で走り去るマッチョ白人。

・・・あれ。

目が点になっている俺を残して、瞬く間にチャリは消えていったのだった。


やがて西へ折れていく134号に別れを告げると、

そこはもう三浦海岸。

遠浅のロングビーチを誇る海水浴場だ。

肺を潮風でいっぱいに満たして、思わず気持ちが上がる。

ペダルが加速する。

傾き始めた太陽に、紺碧の海がキラキラと応える。


時刻は3時半。

引き返す道のりを考えると、そろそろ潮時だ。

今回のチャリンコ一人旅は、ここを終点にすることに決めた。


砂浜の端に小さな漁船が揚げてあった。

その影に自転車を停める。

人の気配のない砂浜へ、足を踏み出す。

靴の裏から熱気が伝わってくる。


緩やかに弧を描く砂浜がどこまでも延びていく。

遠く海水浴客が、始まったばかりの夏を謳歌する。

足元では波がシーグラスを転がして遊ぶ。

沖の海風にピンとウィンドサーフィンの帆が張る。

潮騒が心をほどいていく。


目を閉じる。

風の音、潮の匂い、心地よい疲労感。


寄せては返す波は、心を海の深くへとさらっていく。

友を想う。


1人の海は好きだ。

独りの寂しさが募るから。

そして、それと同時に、

独りじゃないってことがわかるから。

近くにいる人、遠くにいる人、

姿や声がなくても、僕は君の体温を感じているよ。


こうして、チャリンコの旅は幕を閉じた。

走行距離:約90km。

消費した飲み物:2リットル。

残されたもの:温かい想いと、両足の筋肉痛。
 

三浦半島を南へ(2)

2007年10月17日 18時28分29秒 | 優しい時・切ない時
緑の丘、白い灯台、碧い海。

その景色に、胸が高鳴る。


中学を卒業する頃から、20才を過ぎるまで、

僕はここで育ったんだ。


横浜にあった県の青少年施設のボランティアとして

子どもたちのキャンプを企画運営していた僕らは、

グループ結成からわずか2年半で、

施設の閉鎖という壁に直面する。

周りのグループが次々と解散する中、

僕らはフリーの団体として、

観音崎にある青少年の村に拠点を移して活動を続けた。


いくつの季節をこの海で過ごしたのだろう。

光る海、鈍色の海、新緑の森、夜の森、

子どもたちの笑顔、子どもたちの泣き顔、

あいつの笑顔、あいつの泣き顔。

最近連絡も取っていないけど、

元気にしているかな。

会いたいよ。


自転車が青少年の村に近づく。

まずは通用門が見えて、

そしてすぐに正門が見える。

キューっと音を立てて、胸が苦しくなる。


村は驚くほどそのままの姿でそこにあった。

あ、子どもたちだ。

子どもたちが笑顔で走っていく。

その隣には、子どもたちを優しく見つめる男性の姿。

彼の目と僕の目が、一瞬交わる。

時間が止まる。

まるで彼の視界を僕が見ているような、

僕がそこに立っているかのような感覚。

確かに僕はあそこに立っていた。

子どもたちを見つめていた。


どこかにしまわれていた感情が堰を切ってあふれ出した。

青少年の村の中、どこに何があるのか、

目をつぶっていてもわかる。

事務所には太ったおばちゃんがいるんだぜ。

宿泊棟の前の草っぱらはバッタが跳ぶんだ。

網戸はボロいから部屋に蚊が紛れ込むけど、まぁいいじゃん。

自分で布団を蹴っておきながら

夜中に「ちゃむい」って寝言を言うなよ。

真っ暗闇で焼いたサンマ、

後で電灯の下で見たらほとんど生だったよな。


すべての場所に僕らのかけらが落ちている。

子どもたちの笑顔、畳のにおい、

厨房から聞こえるおしゃべり。

君の声、君の笑顔、君の存在、

僕の声、僕の笑顔、僕の存在、

すべてがここにあるよ。


こんなにも忘れていただなんて。

こんなにも遠く離れていただなんて。

手を伸ばせば届くのに、伸ばした手は届かない。

眩暈が起こる。


いつしか遠くなった青い季節、

僕はそれを丁寧にしまっていた。

泣きたいほどの喜びも悲しみも、

そのまま丁寧にしまっていた。

僕らはここで生きていたんだ。


そして、観音崎は、今も子どもたちの歓声に包まれている。

あの頃と何も変わらない光景。


「君たちのキャンプがお天気に恵まれてよかった。」

それが、最後に浮かんだ思い。

(続く)

三浦半島を南へ(1)

2007年07月26日 03時51分54秒 | 優しい時・切ない時
梅雨の雲間を縫って、海へ。

国道16号線を自転車で走る。

京浜急行と併走しながら一路南へ。


ここらの駅は個性的な名前を持つものが多い。

金沢八景、逸見(へみ)、安針塚(あんじんづか)など。

安針塚には、徳川家康の外交顧問ウィリアム・アダムス(三浦安針)の

墓所がある。

祖国を遠く離れたこの異国で、

かのイギリス人は何を思って生きたのか。


道はやがていくつものトンネルをくぐることになる。

いよいよ三浦半島の本体に差し掛かっているのだ。

山がちな三浦半島では、坂とトンネルがいたるところで見られる。


いくつかのトンネルを抜けると、急に光が差した。

海沿いのヴェルニー公園に出たのである。

公園の名は、海軍技術者として幕府に協力したフランス人にちなむ。

幕末当時、幕府の下で働いたフランス人は少なくない。

世界で覇権を競っていたイギリスとフランスは、

幕府をフランスが支援し、薩長をイギリスが支援することで、

静かに対立をしていたのだ。


公園には夏の陽が降り注ぎ、バラが咲き乱れていた。

しかし、その向こうには、旧帝国海軍の軍艦を称える数々の碑が並び、

さらにその先には、海上自衛隊の護衛艦と潜水艦が雄姿を浮かべていた。

そう、ここ横須賀は、海軍の街なのである。

カレー、スカジャン、小泉純一郎、hide等々、

横須賀が全国に発信したものは数多かれど、

この街のベースは海軍基地にある。

街を走ると、いたるところで米兵とすれ違い、

海の荒くれ者を相手にする飲み屋が並ぶ。

それが横須賀だ。


そんな海軍の街を離れて、海岸沿いを風と競争して走っていく。

群青の海を見渡せば、

ぽっかりと猿島が浮かび、

房総の山並みが柔らかな背景画を構成していた。

猿島は、伊藤博文の別荘が置かれ、

明治憲法の起草が行われた地だ。

聞くところによると、検討段階で憲法の草稿が盗まれ、

しかし、盗人にとって価値がなかったためか、

すぐに見つかったという。


道はやがて、海と森の境界を走りだす。

相模原近辺の16号は、典型的な地方国道の景色をまとっているが、

ここにはその気配はまったくない。

木漏れ日とセミの歌を浴びて走ると、

16号の終点はもうすぐそこだ。

いくつかのカーブを超えると、小さな入り江が姿を現した。

終点、観音崎である。


丘にそびえる白亜の建物は、日本初の西洋式灯台。

最新の設備が導入されたのは、

この地が軍事上の重要拠点だったからだろう。

東京湾は、ここ観音崎で最も幅が狭くなる。

首都東京を守るため、

敵国軍艦の侵攻をここで食い止める必要があったのだ。

事実、観音崎には、砲台の跡が多数残されている。

(続く)

司法試験終了

2007年05月24日 01時51分37秒 | 優しい時・切ない時
5月15日~19日で、司法試験が終わりました。


受験生の皆様、本当にお疲れ様でした。

ロースクールでいい仲間に恵まれて、

俺は幸せ者です。

遠くから温かい言葉をかけてくれた家族や友達にも

とても感謝しています。

しんどい時こそ人の善意が沁みるもので、

家族や友人からの支えを日々感じながら過ごしていました。

多くの人から温かい力をもらって、

人生で初めて、今の自分が幸せだと確信しました。

生来の連絡不精ゆえあまり電話もメールもしていませんが、

とても感謝しています。

どうもありがとうございました。

 

「servant」

2007年04月16日 20時24分33秒 | 優しい時・切ない時
高1の夏にフィリピンにホームステイをしました。

ホストファミリーは、大邸宅に住む大金持ち。

ガレージには何台もベンツが並び、

家族はみな高級ブランドで身を固めていました。

家のことは、"servant"と呼ばれる

数十人のお手伝いさんがやってくれます。


閑話休題。

フィリピンの食パンは、ちょっと甘いんです。

僕は、朝食に食べるそのトーストが好きでした。

1枚を食べ終わると、お手伝いさんが追加を持ってきてくれます。

"Thank you."を言って、ひとかじり。

やっぱり美味しい。


ある朝も、いつもと同じように、

お手伝いさんがトーストを持ってきてくれました。

僕はそれを受け取り、食べます。


その時、気づいたのは、

やっぱりちょっと甘いトーストの味と、

当然のようにお礼を言わなかった僕。


ホストファミリーは良い方たちでしたが、

"servant"のことは常に無視していました。

彼らが"servant"に話しかけるのは、

命令を下す時だけです。

いつのまにか、僕にとっても

それが当たり前になっていたんです。


人を見下すことが当たり前の世界で、

すべての悦びは自己愛へ接続します。


主人と召使:命令するものと服従するもの。

人と人:君の笑顔が支えるものと僕の笑顔が支えるもの。

 

もうすぐ卒業

2007年03月11日 16時15分28秒 | 優しい時・切ない時
おかげさまでロースクールを卒業できることになりました。

ギリギリ卒業ラインちょうどの単位が来ていました。

ここまでの2年間を支えてくれた家族や友人に感謝です。

学校を辞めようと思ったことも一度ならずあり、

それでもどうにか続けてこられたのは、

周りの人の支えがあったからです。

卒業するといっても、これから先の人生はどうなるかわかりません。

ニートになるかもしれませんし、セレブになるかもしれません。

それでも、今までと変わらず、

末永い友情をよろしくお願いします。

友達

2007年02月01日 12時59分31秒 | 優しい時・切ない時
深夜、友達からの電話。

とってもバカで、カッコつけてて、不器用な友達。

出会った頃、ヤツはバリバリのヤンキーで、

一方の俺は進学校に通っていた。

でも同じリズムで心臓が鼓動していて、気が合った。

それ以来、朝まで飲んだくれたり、

歌をがなったり、

夢や恋を語ったり。

そんなこんなでもうすぐ10年。

そんな友達が、シャレにならないことをやっちまった。

電話の向こうのヤツは、

今まで聞いたこともないようなしょげかえった声だった。

でも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

ただ、落ち込んだ。

ヤツの落ち込んだ声を聞いて、

俺も落ち込んだ。

だからといって、何になるわけでもない。

何の役にも立たないし、ましてや肩の荷を代われるわけでもない。

でも、あの高2の夏、俺の胸に響いたお前のリズムは、

今でもこの胸に響くよ。

お前が落ち込んだ時、俺の心も落ち込むよ。

お前が笑うなら、俺も笑えるよ。

また飲もうよ。

今度は俺が声をかけるからさ。

 

slander

2007年01月25日 00時04分08秒 | 優しい時・切ない時
悲しみに震える時、

同じリズムで震える君が

僕の居場所になる。

悲しみに震える時、

同じリズムで震える僕が

君の居場所になる。

だけど、

僕らは暗闇の中で暖めあうために

手を握っているわけじゃない。

僕らは一緒に太陽の下に出て行くために

手を取り合ったんだ。


僕らを暗闇が包む時、

それを払えるのは

君の手を引くこの手だけだ。

 

Dear myself,

2006年11月26日 19時00分46秒 | 優しい時・切ない時
持ち物:

・夜明けの空

・ロッカバラード

・夏の早朝の匂い

・つながる瞬間

・誰もいない海

・3度上への転調

・生き物

・しみる映画

・草いきれ

・雲の"銀の裏地"

・子どもの笑顔

・EコードからFコードへの変化

・桜

・新雪に描くシュプール

・人の優しさ



道を歩いていく途中で、足がくたびれたら、

両手の荷物を少し置いていけばいいよ。

本当に必要なものは、大して多くないだろう。

右手の時計もケータイも、雨傘だって、なくてもいい。

そうして、持ち物をどんどん削っていったら、

そこには理屈も言葉も残らない。

そこにあるのは、

夜と朝の間の色のような、言葉にできない感覚だけ。

それが、暗闇の中で、心を揺らして道を示す。

弱く、不確かで、風の前で飛ばされそうな、

そんなものだけを持って、また次の一歩を刻むんだ。

 

戻らない夏

2006年08月08日 15時43分10秒 | 優しい時・切ない時
相模川のほとり、広がる田んぼの真ん中に、

信玄芝原という小さな空き地がある。

細い農道の突き当たり、

子どもが鬼ごっこをするにも狭いような

その空き地で、

何年か前に夜を明かした。



自分たち4、5人のほかは誰もいない。

遠く自動車が走る音と風の音だけが聞こえる中、

一晩中くだらない話をしていた。


雑草の生い茂るフェンスの向こうに赤い光が見えて

「あれはUFOじゃないか」って疑ったり、

動いていく人工衛星の光を追ったり、

ぬるくなった缶ジュースを飲んだり、

ベンチで寝ちゃったあいつに上着をかけてあげたり。

そして、午前4時。

明けていく空の色がこんなにも綺麗なんだって、

声も出せずに眺めていた。



あの頃から、俺はちっとも進んでないのに、

今でも鼻の奥にあの草の匂いは残っているのに、

なのに、

ずいぶん遠くまで来ちゃったなぁ。



もうあの夏には戻れない。

もうあの夏には戻らない。



でも、

今でもあの朝の色は覚えているよ。

今でもあの痛みは胸を打つよ。



2006年、夏、東京。

今でも、俺はここで生きているよ。

子どもと山とおじちゃんと

2006年07月27日 17時15分55秒 | 優しい時・切ない時
この6年間、毎年9月の終わりに、富山の山奥に行っています。

そこは、かつて平家の落人が住み着いた、静かな山里。

深い峡谷に沿った小さな集落に、

厳しくも温かいおじちゃん、おばちゃんが暮らしています。

そこに、東京の子どもたちが出かけていくのです。

いわば林間学校。

でも、林間学校と違って、子どもたちは班ごとに分かれて民宿に泊まり、

自分たちで生活をするんです。

自分は、そのつきそい。

24時間子どもたちと一緒にいて、遊んだり、頑張ったり、怒ったり。

子どもたちや村の人たちと交わる中で、

いつのまにか心がきれいに洗濯されていきます。




そんな行事(セカンドスクール)に付添いをしないかと

今年もオファーをいただきました。

また行けるのか!という喜びがこみ上げてきました。

でも、即答できませんでした。

理由は、自分が動けないんじゃないかという不安です。




子どもたちは、大人とは違います。

まず、人とサラっとうまく接することをしません。

女の子は「キモい~」と言ってきますし、男の子はとつぜん殴ってきます。

大人同士では考えられないコミュニケーションです。

それに、子どもたちは、

メリハリをつけてテキパキ物事をこなすなんてことはできません。

ついつい手を出したくなります。




そういう子どもたちと付き合うには、

子どもと付き合う「慣れ」が必要です。

うわべだけ付き合えばいいなら、そんなものはいりません。

でも、1週間、毎日24時間一緒にいるとなると、

ニセモノでは通用しません。




それなのに、自分は、ふだん子どもと関わる環境にいません。

そうすると、子どもとコミュニケーションをとる姿勢は

体から離れてしまいます。

セカンドスクールに行く前に、

それを思い出して体にしみこませておかなければなりません。

しかし、スケジュールはそれを許してくれません。

セカンドスクールの前日まで予定が詰まっているのです。

去年は、同じように準備ができない中で参加して、

まったく体と心が動きませんでした。

そんな大人が近くにいては、

子どもたちは最高の思いを感じることができません。




もう1つ、子どもと付き合う上で、必要な姿勢があると思います。

子どもたちは、大人とは違います。

大人よりも素直です。

素直な気持ちで子どもたちと接すれば、

子どもたちは素直な気持ちを返してくれます。

そのコミュニケーションが、

子どもたちと自分に、強い感情を呼び起こしてくれます。

素直に子どもと向き合う、その姿勢がなくては、

セカンドスクールで最高の思い出を作ることができないのです。




大人たちは人付き合いが上手です。

当り障りなくうまく他人と付き合って、

傷つかず、泣きもせず、感動もせず。

でも、そんな適当な姿勢で、子どもと向き合うことはできません。




子どもたちの優しさを感じることができる瞬間、

自分自身の優しさを感じることができる瞬間、

それは、ギリギリと自分の心の皮をはがした時に訪れます。

泥臭く、優しく、正直な付き合い方、

それが自分にできるのか、不安です。


まだ、オファーには返事をしていません。

2006.04.30.marriage A side

2006年05月18日 13時31分42秒 | 優しい時・切ない時
今日は友達の結婚式でした。


その友達とは、ガキの頃からの付き合いです。

一緒に旅行に行ったり、

悩みを相談しあったり、

彼のお母さんにかわいがってもらったり、

年数が長いだけいろいろなことがありました。


でも、彼がたどってきた道のりは、平坦なもんじゃありません。

彼のしてきたしんどい経験を思うと、

幸せいっぱいの笑顔で新婦と並んでいる姿に

胸が熱くなりました。

よかった。


2人の未来に数限りない幸せが待っていることを願ってやみません。