☆三等星☆

~小ネタと妄想と切ない気持ち~


ごゆるりとしていってください。

三浦半島を南へ(4)

2007年11月01日 00時10分45秒 | 優しい時・切ない時
坂を越えると、あとは平坦な道が続くため、一気に加速する。

ところが、快調に飛ばしていたのに、

目の前の小さな交差点が赤信号に変わった。

信号の名前を見ると、「のび」と書いてある。

のび太のくせに生意気だ!

と、ジャイアンばりに信号無視をしたところ、

トラックに轢かれかける。

のび太、おそるべし。


次の赤信号で、後ろからチャリンコに追いつかれた。

見ると、乗っているのは超マッチョな白人。

肩幅が俺の2倍ほどもある。

ヨコスカの米兵に違いない(たぶん)。

階級は伍長(たぶん)。

コイツ、軍のほふく前進コンテストで

5年連続優勝した経験のある猛者だ(たぶん)。

アフガンの山中で雪男を小指1本で倒したという

武勇伝も持っている(たぶん)。

好みのタイプは、ヒラリー・スワンクと叶恭子(たぶん)。

今日は休日のサイクリングと見せかけて、

三浦方面に部隊を展開するための下調べをしている(たぶん)。


そうと知ったらチャリンコ勝負で負けるわけにはいかない。

俺もサムライの子孫。

大和魂を見せつけてやろうじゃないか!

敵は屈強な白人。

しかし、俺には勝機がある!

俺の武器、それは敵の2分の1ほどの肩幅!

強い海風が吹くここでは、

敵の肩に付いた筋肉は、強烈な空気抵抗となるに違いない!

いざ勝負!

3,2,1,Go!

信号が青に変わると同時に、2台のチャリンコが走り出す。

へっへっへ、ジャップをなめて吠え面かくなよ。

と、俺が妄想をしている間に、光速で走り去るマッチョ白人。

・・・あれ。

目が点になっている俺を残して、瞬く間にチャリは消えていったのだった。


やがて西へ折れていく134号に別れを告げると、

そこはもう三浦海岸。

遠浅のロングビーチを誇る海水浴場だ。

肺を潮風でいっぱいに満たして、思わず気持ちが上がる。

ペダルが加速する。

傾き始めた太陽に、紺碧の海がキラキラと応える。


時刻は3時半。

引き返す道のりを考えると、そろそろ潮時だ。

今回のチャリンコ一人旅は、ここを終点にすることに決めた。


砂浜の端に小さな漁船が揚げてあった。

その影に自転車を停める。

人の気配のない砂浜へ、足を踏み出す。

靴の裏から熱気が伝わってくる。


緩やかに弧を描く砂浜がどこまでも延びていく。

遠く海水浴客が、始まったばかりの夏を謳歌する。

足元では波がシーグラスを転がして遊ぶ。

沖の海風にピンとウィンドサーフィンの帆が張る。

潮騒が心をほどいていく。


目を閉じる。

風の音、潮の匂い、心地よい疲労感。


寄せては返す波は、心を海の深くへとさらっていく。

友を想う。


1人の海は好きだ。

独りの寂しさが募るから。

そして、それと同時に、

独りじゃないってことがわかるから。

近くにいる人、遠くにいる人、

姿や声がなくても、僕は君の体温を感じているよ。


こうして、チャリンコの旅は幕を閉じた。

走行距離:約90km。

消費した飲み物:2リットル。

残されたもの:温かい想いと、両足の筋肉痛。
 

三浦半島を南へ(3)

2007年10月24日 08時05分44秒 | 小ネタ

一瞬で永遠の邂逅を惜しむように、

ペダルは僕をゆっくりと運んでいった。


観音崎青少年の村を過ぎると、

すぐに東京湾海上交通センターのトンネルが見える。

その入り口は、昼間にもかかわらず不気味に暗い。

眩しい夏の陽と暗黒の入り口、その対比にゾクッとする。


視線を回せば、すぐ先には多々良浜。

小さく美しい入り江に日差しが揺れる。

「たたら」という古語は、製鉄を意味する。

かつて日本人は、砂鉄と木炭を混ぜて燃やし、

非常に丈夫な鋼を作っていたという。

この浜でもそんな作業が行われたのだろうか。


道はやがて海沿いを離れ、上り坂になる。

途中、コンクリート壁から染み出す湧き水に

大きな蝶が舞っていた(写真)。

夏の光を跳ね返す強烈なコバルトブルー。

ミヤマカラスアゲハだ。

日本で最も美しい蝶の1つである。

この蝶は面白いことに、花の蜜だけでなく水も飲む。

美しい色彩も含めて、モルフォチョウそっくりである。

この蝶は、緑の濃い地域でしか育たない。

ミヤマカラスアゲハがいるということは、自然が豊かな証拠なのだ。


気まぐれに舞う蝶を残し、自転車を漕いでいく。

坂道を下ると、開けた港に出た。

ペリーが訪れた町、浦賀だ。

おそらく黒船来航当時の浦賀は、寂れた漁村だったはず。

そこに突如として黒船が現れ、

それを眺めに、どっと見物客が押し寄せた。

異国の艦船を見た見物客は大喜びで、

またその客を相手にする商売を始める者もいて、

辺りはお祭り騒ぎのような様子だったらしい。

ただ、喜んでいたのは民衆ばかりで、

幕府が頭を抱え込んでしまったのは有名な話である。


小学生の頃、黒船来航の目的は

アメリカの捕鯨船への給油許可だったと習った覚えがある。

確かにそのような目的もあったのかもしれない。

しかし、歴史の流れを俯瞰すると、

アメリカの大局的な目的が見えてくる。

それは、市場の獲得である。

開国後すぐに来日したアメリカ総領事ハリスが

日米修好通商条約の締結を熱望したのは偶然ではない。

アメリカは、日本に貿易をしに、

より正確にはアメリカ製品の輸出をしに来たのだ。


現在、再び静かな港に戻った浦賀湾を横目に、

県道を抜け国道134号に乗る。

この道は、横須賀に発し、

湘南の海風を受けて遥か伊豆まで延びている。

しかし、同じ134号でも、

今回走る区間は海岸沿いではなく山の中。

ジリジリ照りつける日差しの下、

果てしなく上り坂が続いていく。


5分こいでも10分こいでも坂は終わらない。

汗はダラダラ、足はパンパン、タイヤはベコベコ、

その上サドルでこすれて尻が痛い。

ひと漕ぎごとに尻が悲鳴を上げる。

もうチャリンコから降りてしまえ、という誘惑と

ボラギノール愛用者になったらどうしよう、という恐怖と

それぞれ百回ぐらい戦ったところで、

ようやく坂のてっぺんに着いた。

ここからは長い下り坂、なのに下りは一瞬。

俺の人生か。

坂を下りきったところで、坂の名前を示す標識があった。

「尻こすり坂」。

・・・なんなんだ、このピッタリすぎる名前は。


(続く)

三浦半島を南へ(2)

2007年10月17日 18時28分29秒 | 優しい時・切ない時
緑の丘、白い灯台、碧い海。

その景色に、胸が高鳴る。


中学を卒業する頃から、20才を過ぎるまで、

僕はここで育ったんだ。


横浜にあった県の青少年施設のボランティアとして

子どもたちのキャンプを企画運営していた僕らは、

グループ結成からわずか2年半で、

施設の閉鎖という壁に直面する。

周りのグループが次々と解散する中、

僕らはフリーの団体として、

観音崎にある青少年の村に拠点を移して活動を続けた。


いくつの季節をこの海で過ごしたのだろう。

光る海、鈍色の海、新緑の森、夜の森、

子どもたちの笑顔、子どもたちの泣き顔、

あいつの笑顔、あいつの泣き顔。

最近連絡も取っていないけど、

元気にしているかな。

会いたいよ。


自転車が青少年の村に近づく。

まずは通用門が見えて、

そしてすぐに正門が見える。

キューっと音を立てて、胸が苦しくなる。


村は驚くほどそのままの姿でそこにあった。

あ、子どもたちだ。

子どもたちが笑顔で走っていく。

その隣には、子どもたちを優しく見つめる男性の姿。

彼の目と僕の目が、一瞬交わる。

時間が止まる。

まるで彼の視界を僕が見ているような、

僕がそこに立っているかのような感覚。

確かに僕はあそこに立っていた。

子どもたちを見つめていた。


どこかにしまわれていた感情が堰を切ってあふれ出した。

青少年の村の中、どこに何があるのか、

目をつぶっていてもわかる。

事務所には太ったおばちゃんがいるんだぜ。

宿泊棟の前の草っぱらはバッタが跳ぶんだ。

網戸はボロいから部屋に蚊が紛れ込むけど、まぁいいじゃん。

自分で布団を蹴っておきながら

夜中に「ちゃむい」って寝言を言うなよ。

真っ暗闇で焼いたサンマ、

後で電灯の下で見たらほとんど生だったよな。


すべての場所に僕らのかけらが落ちている。

子どもたちの笑顔、畳のにおい、

厨房から聞こえるおしゃべり。

君の声、君の笑顔、君の存在、

僕の声、僕の笑顔、僕の存在、

すべてがここにあるよ。


こんなにも忘れていただなんて。

こんなにも遠く離れていただなんて。

手を伸ばせば届くのに、伸ばした手は届かない。

眩暈が起こる。


いつしか遠くなった青い季節、

僕はそれを丁寧にしまっていた。

泣きたいほどの喜びも悲しみも、

そのまま丁寧にしまっていた。

僕らはここで生きていたんだ。


そして、観音崎は、今も子どもたちの歓声に包まれている。

あの頃と何も変わらない光景。


「君たちのキャンプがお天気に恵まれてよかった。」

それが、最後に浮かんだ思い。

(続く)

三浦半島を南へ(1)

2007年07月26日 03時51分54秒 | 優しい時・切ない時
梅雨の雲間を縫って、海へ。

国道16号線を自転車で走る。

京浜急行と併走しながら一路南へ。


ここらの駅は個性的な名前を持つものが多い。

金沢八景、逸見(へみ)、安針塚(あんじんづか)など。

安針塚には、徳川家康の外交顧問ウィリアム・アダムス(三浦安針)の

墓所がある。

祖国を遠く離れたこの異国で、

かのイギリス人は何を思って生きたのか。


道はやがていくつものトンネルをくぐることになる。

いよいよ三浦半島の本体に差し掛かっているのだ。

山がちな三浦半島では、坂とトンネルがいたるところで見られる。


いくつかのトンネルを抜けると、急に光が差した。

海沿いのヴェルニー公園に出たのである。

公園の名は、海軍技術者として幕府に協力したフランス人にちなむ。

幕末当時、幕府の下で働いたフランス人は少なくない。

世界で覇権を競っていたイギリスとフランスは、

幕府をフランスが支援し、薩長をイギリスが支援することで、

静かに対立をしていたのだ。


公園には夏の陽が降り注ぎ、バラが咲き乱れていた。

しかし、その向こうには、旧帝国海軍の軍艦を称える数々の碑が並び、

さらにその先には、海上自衛隊の護衛艦と潜水艦が雄姿を浮かべていた。

そう、ここ横須賀は、海軍の街なのである。

カレー、スカジャン、小泉純一郎、hide等々、

横須賀が全国に発信したものは数多かれど、

この街のベースは海軍基地にある。

街を走ると、いたるところで米兵とすれ違い、

海の荒くれ者を相手にする飲み屋が並ぶ。

それが横須賀だ。


そんな海軍の街を離れて、海岸沿いを風と競争して走っていく。

群青の海を見渡せば、

ぽっかりと猿島が浮かび、

房総の山並みが柔らかな背景画を構成していた。

猿島は、伊藤博文の別荘が置かれ、

明治憲法の起草が行われた地だ。

聞くところによると、検討段階で憲法の草稿が盗まれ、

しかし、盗人にとって価値がなかったためか、

すぐに見つかったという。


道はやがて、海と森の境界を走りだす。

相模原近辺の16号は、典型的な地方国道の景色をまとっているが、

ここにはその気配はまったくない。

木漏れ日とセミの歌を浴びて走ると、

16号の終点はもうすぐそこだ。

いくつかのカーブを超えると、小さな入り江が姿を現した。

終点、観音崎である。


丘にそびえる白亜の建物は、日本初の西洋式灯台。

最新の設備が導入されたのは、

この地が軍事上の重要拠点だったからだろう。

東京湾は、ここ観音崎で最も幅が狭くなる。

首都東京を守るため、

敵国軍艦の侵攻をここで食い止める必要があったのだ。

事実、観音崎には、砲台の跡が多数残されている。

(続く)

迷惑メール

2007年06月25日 00時10分00秒 | 小ネタ
こういうものが世の中に存在することは聞いていましたが、

今日、俺のところにも来ました。

詐欺メール。

「銀行で新たなセキュリティーサービスを導入したので、

 皆さんの登録情報をアップデートしてください」とのこと。

その下にアップデート用のURLが掲載してあり、

おそらくカードの番号などを書かせるのでしょう。


初めてこのようなメールを見たので

一瞬ホンモノかと思いましたが、

すぐさま詐欺だとわかりました。

なんといっても、このメール、

全文が英語で、書き出しが "Dear Bank of America costomer,"。

俺、Bank of Americaの顧客じゃないし、

てか、そもそも無職の俺は

Bank of Americaに相手をしてもらえない可能性が大です。

もうちょっと銀行に相手してもらえそうな人を選んで

メールを送りつけろよと老婆心を抱きつつ、削除。


迷惑メールと言えば、

大量に送られてくる出会い系の勧誘を忘れるわけにはいきません(?)。

件名と送信者アドレスが知り合いっぽいものは

一応開いて確認しているのですが、

どれもこれも似たようなものばかり。

ところが、先日の迷惑メールは出色でした。


本文は、

「あなた様に女性から指名が来ています、

 連絡するにはこのサイトに登録してください」という

ありがちな内容だったのですが、

その女性の自己紹介を読んで、失笑。


「旅館の女将をしていますが主人が相手をしてくれないので寂しい夜を送っています。

 割り切ったお付き合いをしてくださる方には相当の謝礼をお支払いします。

 年は40代半ばですが、周りからは30代後半に見えると言われます。」



・・・仮に30代後半だとしても、

25才の俺的には無理なんですが。


せめて「かわいい女子大生です、ウフン」とか書いてくれ。

アリスの日々(1)

2007年06月03日 19時59分17秒 | その他
試験から2週間が経ち、やっとストレスも軽くなってきたので、

ここ数ヶ月間をどう過ごしていたか書いておこうと思います。

来年の自分の過ごし方を考える上で参考になるかなー。


ロースクール生活も3年冬学期に入ると

みんなピリピリするようになってきました。

「時は金なり」な空気が流れてきて、

あまり世間話をするのも悪い感じ。

ヒマが大好きな自分としては、なかなか辛い時期でした。


1月に授業が終わると、

あとはちょっと試験を受けて、実質的に学校は終わり。

ニートな日々が始まります。

多くのロースクール生は自習室で勉強をしていましたが、

自分は自習室があまり好きではなく、

そもそも学校にもあまり近くなかったので、

近所の図書館に行っていました。

ずいぶんいろいろな図書館を回ったなぁ。


中でも一番通いこんだのが、都立中央図書館でした。

広尾の有栖川宮記念公園の中にあり、

資料もそこそこ揃い、そんなに混んでいないので、

お気に入りの場所でした。

10時くらいに起きてのんびり朝食をとり、

いいともを見終わってからゴソゴソ出かけます。

ナマケモノ・・・。

2~3時間で勉強に飽きるので、その後

おやつがてら公園でボーっとします。

子どもたちや外国人、ギターを練習する人たちを眺めながら、

ハトやスズメと戯れること数時間。

風も冷たくなってくるので、

広尾のスターバックスに移動。

そこで本を読みながら小一時間のんびりして、

帰宅するのが日課でした。

折りしも時は最も美しい季節、春。

若葉が芽吹き、花が咲き、

木々は息を飲むほど美しい姿を見せてくれました。

あと、池にはアヒルやカモやカメなどがいて、

ちっこいカメが大きいカメの上に乗って首を伸ばしていたり、

アヒルがカメにつまづいてお尻を振りながら逃げていったり、

見ていて飽きません。


他に回った図書館としては、

品川区立五反田図書館(暗くて浮浪者さんが多い、資料がない)、

荏原図書館(受験用の資料は多いが、混んでいて勉強スペースがない)、

目黒区立目黒区民センター図書館(混んでいて資料が少ない)、

大田区立洗足池図書館(勉強スペースが多く周りの環境もいい)、

港区立高輪図書館(綺麗だが勉強スペースは少ない)などなど。


そんな図書館通いが週に3、4日ほど。

残りは家で過ごす引きこもり生活です。

家ではなかなか勉強できないので、

家事をしたり、単にボーっとしたり。


生活リズムがつかめるようになると、

それはとても幸せな日々でした。

司法試験終了

2007年05月24日 01時51分37秒 | 優しい時・切ない時
5月15日~19日で、司法試験が終わりました。


受験生の皆様、本当にお疲れ様でした。

ロースクールでいい仲間に恵まれて、

俺は幸せ者です。

遠くから温かい言葉をかけてくれた家族や友達にも

とても感謝しています。

しんどい時こそ人の善意が沁みるもので、

家族や友人からの支えを日々感じながら過ごしていました。

多くの人から温かい力をもらって、

人生で初めて、今の自分が幸せだと確信しました。

生来の連絡不精ゆえあまり電話もメールもしていませんが、

とても感謝しています。

どうもありがとうございました。

 

「servant」

2007年04月16日 20時24分33秒 | 優しい時・切ない時
高1の夏にフィリピンにホームステイをしました。

ホストファミリーは、大邸宅に住む大金持ち。

ガレージには何台もベンツが並び、

家族はみな高級ブランドで身を固めていました。

家のことは、"servant"と呼ばれる

数十人のお手伝いさんがやってくれます。


閑話休題。

フィリピンの食パンは、ちょっと甘いんです。

僕は、朝食に食べるそのトーストが好きでした。

1枚を食べ終わると、お手伝いさんが追加を持ってきてくれます。

"Thank you."を言って、ひとかじり。

やっぱり美味しい。


ある朝も、いつもと同じように、

お手伝いさんがトーストを持ってきてくれました。

僕はそれを受け取り、食べます。


その時、気づいたのは、

やっぱりちょっと甘いトーストの味と、

当然のようにお礼を言わなかった僕。


ホストファミリーは良い方たちでしたが、

"servant"のことは常に無視していました。

彼らが"servant"に話しかけるのは、

命令を下す時だけです。

いつのまにか、僕にとっても

それが当たり前になっていたんです。


人を見下すことが当たり前の世界で、

すべての悦びは自己愛へ接続します。


主人と召使:命令するものと服従するもの。

人と人:君の笑顔が支えるものと僕の笑顔が支えるもの。

 

「彼女さん」

2007年04月09日 18時32分42秒 | 小ネタ
俺がヨメのことを話す時、

たいてい「彼女さん」と呼んでいます。

もちろん親に向かって話す時も。

ただ、ちょっと気恥ずかしいので、

親に向かって「彼女さん」と言う時は、

「カノジョさん」と早口になります。


ところが、最近、それに関して問題が。

ヨメのことをオカンも「彼女さん」と呼んでいるんですが、

なんか発音が怪しいんです。


オカン「このクッキー、かのうさんに持っていけば?」


・・・(汗)


オカン、たぶん
ヨメの名前が「かのう」だと思い込んでるー!




かのう → → → 叶姉妹???

美香はまだしも恭子はムリ!

この誤解、どうしよう…?

ドクター・中松の都知事選

2007年03月29日 00時44分17秒 | 時事ネタ
統一地方選挙が近づいてきました。

中でも一番の注目は、東京都知事選挙です。

三選を目指す石原慎太郎氏に、

浅野史郎氏、吉田万三氏、黒川紀章氏らが挑む構図です。

さて、今、主要な候補者4名を挙げましたが、

マスコミ等では主要候補者を5名とする場合が多いようです。

最後の1人、それは自称フロッピーディスクを発明した男、

ドクター・中松です。


実は、ドクター・中松の都知事選挙には、

個人的に大いに注目しているのです。

今日はそのいきさつをお話ししましょう。


あれはちょうど4年前のこの季節でした。

その年も統一地方選挙が行われていたのです。

当然、本命は石原慎太郎氏。

既に選挙の行方は分かりきっている、

誰もがそう思っていたところに

彗星のごとく登場したのが、

ドクター・中松氏でした。

フロッピーを発明した天才、ドクター・中松なら、

その頭脳で都政を変えてくれるかもしれません。

ただ、フロッピーの発明というのは、正確には、

フロッピーに使われている技術の1つを発明しただけのようです。

・・・ウソついてるんじゃねー?

なんかアヤしさが漂います。

ちなみに、都知事選でのドクターのキャッチコピーは

「都政を改革する発明をした!」です。

ところが、都政を改革する発明の内容は「秘密」だそうです。

アヤしさ大爆発です。

完全にネタです。

面白すぎです。


そんな選挙運動期間中の昼下がり。

本郷三丁目駅近くで友達とランチをしたオレは、

大学に戻るために本郷通りを歩いていました。

同じようにランチを終えた人たちで、

道はかなり混雑しています。

そこに、選挙カーの大きな声が、

後ろから近づいてきました。

「ドクター・中松!ドクター・中松!」

とはいえ、オレと友達はおしゃべりに夢中です。


ところが、次の瞬間、

オレらの横で、選挙カーが停まったのです。

ガバッとドアが開いて、

飛び出してくるウグイス嬢。

彼女の視線の先にいるのは、オレ。

彼女は、小走りに走ってくるや、

オレの目の前に立ち、ビラを差し出します


そして、一言、
「ドクターがあなたに渡すようにと!」


・・・?????


この面白すぎる状況が飲み込めないオレ。

横を振り向くと、選挙カーの助手席から

身を乗り出して、

オレに向かって満面の笑みで手を振るドクター・中松。


彼の狙いはオレです。

間違いなくオレです。

他の通行人には目もくれず、

ていうか、他の1千万人以上の都民には目もくれず、

ピンポイントでオレです。


・・・なんで???


しばし理由を考える。

が、わかるわけもない。


完全に凍りつくオレを残して、

選挙カーは去っていったのでした。

名残惜しそうにオレに手を振るドクターを乗せて。



というわけで、オレは、ドクター・中松のことを、

秘かに応援しているんです。

なんといっても、彼はオレに賭けてくれたわけですから。


ただ、まぁ、ドクター・中松がいかに天才だとしても、

ミスをすることはあるわけです。

で、それが時に致命的だったりもするわけです。


ドクター、オレに賭けてくれたのはありがたいんですが、

これは東京都知事選挙。

神奈川県民のオレには
選挙権がないんですよ



残念!

がんばれ、ドクター・中松。

もうすぐ卒業

2007年03月11日 16時15分28秒 | 優しい時・切ない時
おかげさまでロースクールを卒業できることになりました。

ギリギリ卒業ラインちょうどの単位が来ていました。

ここまでの2年間を支えてくれた家族や友人に感謝です。

学校を辞めようと思ったことも一度ならずあり、

それでもどうにか続けてこられたのは、

周りの人の支えがあったからです。

卒業するといっても、これから先の人生はどうなるかわかりません。

ニートになるかもしれませんし、セレブになるかもしれません。

それでも、今までと変わらず、

末永い友情をよろしくお願いします。

広尾スタバ

2007年03月06日 16時16分38秒 | 小ネタ
最近お気に入りの場所が、広尾のスタバです。

勉強をしたり、勉強をするふりをしてボーッとしたりするのにぴったりなんです。

それに、気分転換をしたければ、近くのお店をブラブラしたり、

有栖川宮記念公園でまったりできますしね。

ただ、この場所にも問題はあります。


・例えば、高校生が期末試験の勉強をスタバでしていて、

 田舎高校生とのギャップに戸惑う。

・会社の重役っぽいオッサンと、とてもカタギには見えないオッサンが、

 見るからにヤバそうな密談をしている。

・と思ったら、オッサン、こっちをにらんできた。どーしよ。

・ソファに座ったお客さんが口を開けて寝だした。

・隣のオシャレな美容院で髪を切っているお客さんと時々目が合う。

・一応微笑んでみたところ、無視された ( ̄□ ̄|||)ガーン

・広尾なのに、スタバの向かいは、肉屋・タバコ屋・コインランドリー、
 
 その隣は銭湯・・・ ってここは下町かよ。

・あ、ジャージのオッサンが銭湯に入っていった。

・と思ったら出てきた。なんで?


こうして挙げてみると、意外と問題がありますね。

でも、一番の問題は、
勉強もせずに、周りを見てニヤニヤしているオレじゃないのか。


冬来たりなば、春遠からじ

2007年02月21日 02時52分15秒 | 小ネタ


「冬来たりなば、春遠からじ」


今、最後の追い込みをしている多くの受験生を、

この言葉が励ましていることと思います。

寒く辛い季節が来たということは、

もうそこまで

暖かく喜びに満ちた季節が来ているっていうことだ、

という、逆転の発想です。



ですが、

5月に試験を迎える司法試験受験生にとっては、
ただの嫌味にしか聞こないんですが。

ガキンチョ  B-side

2007年02月17日 23時51分45秒 | その他
セカンドスクールでは、子どもたちが7~8人の班に分かれ、

民宿で生活します。

僕ら指導員はそれに1人ずつ付き添って生活をともにします。

ですが、今年度のセカンドでは、

自分は子どもと離れて先生方と裏方(本部)をやっていました。

なので深く子どもと関わる機会が少なく、

セカンド中はかなり悶々としました。


ところが、今回、

この立場も時と場合によっては悪くないと気づきました。

というのは、セカンド後に学校に行く時は、

本部のほうが楽なのです。


班付きをやっていると、

1週間寝食をともにするため、

班の子どもとの間に強い連帯感が芽生えます。

セカンド後に学校に行く時も、

班の子どもとじっくり話がしたいなと思って行きます。

しかし、現実には子どもが怒涛のように押し寄せてくるわけで、

ゆっくり話す暇なんてありません。

叩いてくる子の相手をしているだけで精一杯です。

そこで、自分は毎年、セカンド後に学校に行くたびに、

「あーこんなつもりじゃなかったんだけどなぁ」と

ギャップに悩まされていたのでした。


ところが本部指導員をやった今回は、

子どもと適度に距離を保って付き合えたのです。

距離をとれば多くの子どもとも関われます。

なるほど、班というしがらみがなければ

大勢の子どもたちとわりとうまく付き合えるんだぁ、

と思いました。


ただ、これは、逆から見れば、

子どもとの関係性が薄いから

テキトーに付き合うというだけの話で、

やや釈然としない気持ちも残りました。

班の指導員と会えない子にとっては

こういう指導員がいたほうがいいものの、

自分がやりたいことはそれではないんだな、

と感じたんです。

本部指導員として大勢の子どもを「適当にあしらい」ながらも、

子どもとの関係をじっくり育むという理想は

常に頭に留めておかなきゃな、と改めて思いました。


少し話を広げたいと思います。

班付きの指導員と子どもの関係は、

モデル化すると、1対個の関係という性質が強く、

その点で親子や友達の関係に似ています

(家族や友達に「はい、皆さん、手を止めて聞いてください…」

 なんて話すことはないですよね)。

一方で、本部指導員と子どもの関係は

1対多の関係で、

教師-生徒関係に似ています。


慣れというのは恐ろしいもので、

ルーチンとして何かをやっていると、

それが本当に正しいのかなんて疑わなくなります。

ルーチンとして1対多の関係を持ちながらも、

常に頭のどこかで1対個の関係を志向して

日々リフレクトする、そんな先生がいてくれたらいいな、

と思いました。

ガキンチョ  A-side

2007年02月17日 16時49分50秒 | 小ネタ
毎年秋に小学5年生が富山の山奥に1週間行って、

そこでの生活を体験するセカンドスクールという行事に、

僕は指導員として参加しています。

昨日はその小学校に遊びに行きました。

昨年のセカンドで子どもたちが刈り取ったお米を使って、

おにぎりを作るんです。

6年生は「こいつオッサンじゃないのか?」と見間違えるほど

成長していますが、

5年生はまだまだガキンチョでかわいいです。


俺を見るなり「エロス!」と呼んでくる女の子、

俺を見るなり「深海魚!」と呼んでくる男の子、

俺を見るなり条件反射で叩いてくる子、

とにかく面白いです。

おにぎりを作る時も、

永沢君の顔にする子、う○ち型にする子(※女子)、

具を入れすぎて握れない子などなど。


ですが、セカンド中、会うたびに

「あん♡」と抱きついてきていた女の子から

苗字を呼び捨てで呼ばれたのにはびっくりしました。

女心と秋の空です。

抱きついてくるのは相当どうかと思うが、

だからって呼び捨てもないだろ。

その中間はないのか…。


で、その帰り道、塾に行く男の子と一緒に歩いてきました。

どうやらそいつ、バレンタインでかなりのチョコを獲得し、

モテまくっているらしいです。

そこで、「この~♪この~♪」などとイジったところ、

その子、気分が良くなってしまったようで、

俺に向かって、

「じゃあマックでもおごろうか?」と言ってくれました。

25才におごろうとするなよ(笑)

なので丁重にお断りしたんですが、

その後も通りがかりの八百屋の前で

「焼き芋でも食べる?漬物をお土産に持って帰ったら?」

などと親戚のおばちゃんみたいに親切にしてくれました。


子どもは素直だしエネルギーが溢れています。

おかげでこっちも元気をもらいました。