☆三等星☆

~小ネタと妄想と切ない気持ち~


ごゆるりとしていってください。

三浦半島を南へ(1)

2007年07月26日 03時51分54秒 | 優しい時・切ない時
梅雨の雲間を縫って、海へ。

国道16号線を自転車で走る。

京浜急行と併走しながら一路南へ。


ここらの駅は個性的な名前を持つものが多い。

金沢八景、逸見(へみ)、安針塚(あんじんづか)など。

安針塚には、徳川家康の外交顧問ウィリアム・アダムス(三浦安針)の

墓所がある。

祖国を遠く離れたこの異国で、

かのイギリス人は何を思って生きたのか。


道はやがていくつものトンネルをくぐることになる。

いよいよ三浦半島の本体に差し掛かっているのだ。

山がちな三浦半島では、坂とトンネルがいたるところで見られる。


いくつかのトンネルを抜けると、急に光が差した。

海沿いのヴェルニー公園に出たのである。

公園の名は、海軍技術者として幕府に協力したフランス人にちなむ。

幕末当時、幕府の下で働いたフランス人は少なくない。

世界で覇権を競っていたイギリスとフランスは、

幕府をフランスが支援し、薩長をイギリスが支援することで、

静かに対立をしていたのだ。


公園には夏の陽が降り注ぎ、バラが咲き乱れていた。

しかし、その向こうには、旧帝国海軍の軍艦を称える数々の碑が並び、

さらにその先には、海上自衛隊の護衛艦と潜水艦が雄姿を浮かべていた。

そう、ここ横須賀は、海軍の街なのである。

カレー、スカジャン、小泉純一郎、hide等々、

横須賀が全国に発信したものは数多かれど、

この街のベースは海軍基地にある。

街を走ると、いたるところで米兵とすれ違い、

海の荒くれ者を相手にする飲み屋が並ぶ。

それが横須賀だ。


そんな海軍の街を離れて、海岸沿いを風と競争して走っていく。

群青の海を見渡せば、

ぽっかりと猿島が浮かび、

房総の山並みが柔らかな背景画を構成していた。

猿島は、伊藤博文の別荘が置かれ、

明治憲法の起草が行われた地だ。

聞くところによると、検討段階で憲法の草稿が盗まれ、

しかし、盗人にとって価値がなかったためか、

すぐに見つかったという。


道はやがて、海と森の境界を走りだす。

相模原近辺の16号は、典型的な地方国道の景色をまとっているが、

ここにはその気配はまったくない。

木漏れ日とセミの歌を浴びて走ると、

16号の終点はもうすぐそこだ。

いくつかのカーブを超えると、小さな入り江が姿を現した。

終点、観音崎である。


丘にそびえる白亜の建物は、日本初の西洋式灯台。

最新の設備が導入されたのは、

この地が軍事上の重要拠点だったからだろう。

東京湾は、ここ観音崎で最も幅が狭くなる。

首都東京を守るため、

敵国軍艦の侵攻をここで食い止める必要があったのだ。

事実、観音崎には、砲台の跡が多数残されている。

(続く)