野球のU-18W杯が行われていますが、「清宮効果」か、かつてないほどの注目がされています(今までもあったようですが、こんなに注目されたことはなかったと思います)。注目されている清宮だけではなく、甲子園に出場していないチームからも選抜した日本チームは、初戦でブラジルを破り、2戦目で早くもライバル米国と対戦し、佐藤世那(仙台育英)が完封、3戦目でもオーストラリアを撃破するなど、快調に勝ち進んでいます。
そんな中、旧知の米国人スカウトと話した記者の記事を目にしました。そのスカウト氏曰く「日本の高校生のレベルの高さは目を見張るものがある。特に守備の技術は素晴らしい。しかし、打撃は皆驚くほど似通っていて、個性がない」というものです。要するに、これ以上伸びシロが感じられないということです。
記事では加えて、こうしたレベルの高い高校生を育て切れていないNPBの怠慢についても触れていますが、ここでは、高校生のレベルの高さと個性のなさについて考えてみたいと思います。
アメリカと日本において、指導方法に大きな違いがあることはよく知られています(「小さくまとめない…」)。どちらかというと、アメリカのやり方にシンパシーに感じてはいるのですが、かといって、日本のやり方はまったくダメかというと、そうも言えない点もあると思えます。
具体的にどういうことかというと、例えば、野茂やイチローなど自分なりのやり方で実績を出している選手にとやかく言うのはどうかと思いますが、体力的に劣る日本人が標準的なプレースタイルをするのはある程度仕方がないことだと思うんですよね。
U-18W杯の米国代表や豪州代表は、とても同じ18歳以下とは思えない体格をしています。ああいった体格の選手たちなら、パワーにまかせていかにインパクトの瞬間強く叩くか、いかに速く投げるかを考えればいいと思います。つまり、ある程度選手の自主性に任せていても良いように思います。
一方、体力的に劣る日本人の場合は、もっとも理にかなった身体の使い方をしなければ、そのパワーに太刀打ちができないのも事実のような気がします。高校生にもかかわらず、日本のプロよりもむきむきな選手がブンブン振り回すのに対して、日本人が同じようにしても勝てるはずがありません。それは打者だけではなく、メジャーで通用すると言われる投手でも同じだと思います。固いと言われるメジャーのマウンドは対応が難しく、松坂のように上半身だけで投げる突っ立ったフォームに変わり、ケガに悩まされるケースもままあります。上半身が強い米国人やカリブ諸国の選手だからこそ、下半身を使わない力任せのフォームで投げられるのであって、日本人投手の下半身を使った美しいフォームもそうせざるを得ない物理的事情があると思います。
とはいえ、それぞれ、そのバランスがあるのだろうと思います。アメリカ人だから、フォームなどまったくお構いなしに振り回したり、投げたりしてもいいわけでもなく、日本人だから、誰もが同じフォームをしなければいけないわけではなく。両方ともそれぞれの良さがあり、それが良さからマイナスに転じてしまうような一点があるのでしょう。そして、それは人それぞれ異なり、その頃合いを分かっているのが名コーチなのでしょうね。
いやはや、難しいですね。
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