八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

高校野球100年の記憶!

2015年09月14日 23時09分19秒 | プロ野球・高校野球

NHKアナウンサー小野塚康之著『甲子園「観戦力」をツーレツに高める本』中央公論新社を読みました。私はその試合を観ていませんが、佐賀北対広陵戦で、「ありうる最も可能性の小さい、そんなシーンが現実です」の名言を残したアナウンサーです(日本語がやや変だとは思いますが)。

 

著者は私より8歳くらい年上の50代後半の方ですので、伝説の尾崎行雄や池永正明はやはり話でしか聞いておらず、現実に見ているのは、新浦寿夫(静岡商)や太田幸司(三沢)、島本耕平(箕島)のあたりからのようです。高校野球100年の半分近くの記憶だそうです。それは誰だって、年齢の制約がありますから、仕方がありません。Youtubeでいつでも動画が見られる今と違って、中継を見逃せば見る機会がなった当時、江川卓は噂で聞いていながら、高校時代は目にすることができず、大学時代の神宮で目にして、その怪物ぶりを実感したそうです。

 

それでは私自身の甲子園記憶がいつのことでしょうか。江川卓は残念ながら見た記憶は残っていません。江川の高校時代、私は小学校の低学年でしたが、今から思えば、見ておくんだったと後悔されてなりません。その江川を破った土屋正勝率いる昭和49年の銚子商の優勝も覚えていません。その翌年、小川淳司率いる習志野の優勝も見ていません(名前は何となく覚えている気もしますが)。そして、その翌年の昭和51年に初出場の西東京代表・桜美林が優勝したのは、覚えていますが、やはり、試合は印象にありません。そして、初めて試合の記憶が残っているのが、翌昭和52年の東洋大姫路対東邦戦です。

 

この大会の主役は、言わずと知れた東邦の1年生エース、バンビ・坂本佳一ですが、私の記憶に残っているのは、東洋大姫路の力強い左腕エース松本の方です。そして、智弁の山口哲治、星稜の小松辰雄などもかすかに記憶にあります。

 

しかし、翌年、翌々年のPL学園対高知商、箕島対池田などは、また記憶から消えています。中学の部活動が忙しくて、高校野球を見るどころではなかったのかもしれません。そして、昭和55年の早実・荒木大輔フィーバーと横浜・愛甲との決勝戦から記憶が復活します。

 

翌昭和56年の報徳学園の金村義明、翌57年の池田の畠山準、水野雄仁、翌58年のPL学園のKKコンビになると、もう鮮明な記憶です。かれこれ、30年以上も前のことになります。そして、その後も、多くのヒーローや強豪校が誕生しました。

 

KKコンビほどのインパクトはありませんでしたが、野村や橋本など強豪チームの主戦級を3枚揃え、立浪、片岡、宮本などプロで大成した野手を多く揃え、春夏連覇した昭和62年のPL学園、平成4年の星稜対明徳義塾の松井秀喜5打席連続敬遠、そして、平成10年の怪物松坂大輔の伝説、平成15年準優勝の東北・ダルビッシュ、平成17年優勝の駒大苫小牧・田中将大、平成18年の早実・斎藤佑樹と駒大苫小牧・田中の死闘、平成19年佐賀北の快挙、平成21年の菊池雄星、平成22年島袋を擁し春夏連覇の興南、平成23年の破壊力ある打線の日大三高、平成24年藤浪晋太郎を擁し春夏連覇の大阪桐蔭、平成25年高橋光成の前橋育英。

 

そして、記憶に新しいこの夏の東海大相模と仙台育英の決勝戦!

 

予選から続く過酷な戦いは、多くの稀有な才能を傷つける可能性もあって、多くの問題を抱えていますが、それでも100年間多くの人を魅了し続ける「高校野球」、「甲子園」というのは、やはり特別な存在だと思います。何とか選手を守る方策と両立させながら、輝く次の100年を目指してほしいですね!

 

 

 


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