プラスアルファ

今の日本はおかしい。
規制緩和して日本を売るつもり?
不安な思いをウダウダ書き散らす日記

誕生、終焉

2018年12月25日 09時47分00秒 | 辛辣うだうだ放題

今日がクリスマス本番。
でも、もう終わった気になっている日本人は多いはず。
いちおう、キリストの誕生が伝わった今日ってことで、
クリスチャンじゃないMは終焉を考えたいと思う。

少子化はどんどん進む一方で、
今は超高齢社会。

これはもう無策に近いワケで。
こうなることは分かり切っていたことなのに、
掛け声ばかりでほとんど何も変わっていない。
実際は誰のための何の政策だったんだか……。

てかさあ~、消費税を上げないと何もできないんだよね~。
ってカンジで、当然のように消費税を上げようとしているのに、
消費減税だの、ポイント還元だのって、
増税なんだか減税なんだか、
ワケの分からないことをやろうとしている政府。

今のままだと末端までケアは届かない。
子どもが欲しくても諦めたり、
老老介護で疲れ果てて殺したり、一緒に死んだり……。
国民が苦しんでいても、政府のお偉いさんたちは
選挙のための金集めしかしない。

ま、それは置いといて、

高齢社会で一番やっかいなのが、
認知症とか痴呆とか言われるヤツだと思う。

意思の疎通ができるうちはまだいい。
自分のことが分からなくなるのが一番こわい。
Mの義母はパーキンソン病になり、
どんどん壊れていった。
それはもう、聞き分けのない子どものようだった。
今までの義母そのものは、もうどこにもいなくなり、
最後は動けなくなって静かに息を引き取った。

Mは、自分がボケてしまったことを考える。
もうそこにMはいなくて、体という入れ物だけ。
Mではない別な生命体。
Mだった生命体を、Mの家族が介護したり、
どこかの施設で介護してもらったりするのは、
時間とお金の無駄だと思ってしまう。

もうMじゃなくなったとき、
手の施しようのない認知症になったとき、
それを脳死ということにできないのだろうか?

脳の中に知の部分が無くなって、その人の尊厳も消える。
それでも別の機能が正常だと、脳死とは言えないのかな。
生命体としては元気な内臓が機能しなくなるまで動き続けるから、
脳は生きているという判断なのだろうか……?

脳死判定というのは、どういうときにできるんだろう?
運動能力がなくなって、脳が反応しないとき??
自分で動けなくても、本当はそこに本人はいるのかもしれない。
昔「ジョニーは戦場へ行った」という、ショッキングな映画を観た時、
ものすごく考えさせられた。
戦争で手足を失くし、自分で動けないけれども意識ははっきりしている。
近くにいた看護士だけが、彼には意識があることに気づき、
話しかけると彼は「殺してくれ」と、ある方法で懇願する。

動けない身体、暗い闇の中で孤独に生かされる人と、
体だけが元気な認知症が生かされる周囲の人は、
終わりの見えない戦いの中に置き去りにされて苦しむ。

超高齢社会になったいま、
痴呆になって空っぽの生命体だけになったとしたら、
Mは尊厳死を望みたい。
……と、
なぜかクリスマスという日に、
ふと思った。


 

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