2017年2月13日午後8時30分に義父が永眠しました。
義父と出会ったのは、妻を沖縄県の離島久米島にもらいにいったことに始まります。
妻と結婚して間もなく30年を迎えますが、義父との思い出は、何と言っても、キビ(サトウキビ)畑にキビ倒しを手伝ったことです。サトウキビでの収穫や沖縄ならではのお墓づくりといった大工仕事で娘6人を育てた義父には、いつも頭が下がる思いでした。
他界する間際には、育てた娘たち6人が久米島の実家に集まり、静かに息を引き取る父を看取りました。まさに85年余りの人生そのものを映し出すかのように幸せに包まれて永眠したのではと思います。
私も知らせを受け、13日の早い便で沖縄へ義父の元に駆けつけます。
義父と久米島の焼酎を飲みながら酔いしれた日がよみがえり、今日の酒はやはり久米仙で亡くなった父の魂と乾杯をして眠りにつこうと思います。
お父さん。ありがとう。あなたがいたから今の私たちが存在するのです。本当にありがとうございました。
義父と出会ったのは、妻を沖縄県の離島久米島にもらいにいったことに始まります。
妻と結婚して間もなく30年を迎えますが、義父との思い出は、何と言っても、キビ(サトウキビ)畑にキビ倒しを手伝ったことです。サトウキビでの収穫や沖縄ならではのお墓づくりといった大工仕事で娘6人を育てた義父には、いつも頭が下がる思いでした。
他界する間際には、育てた娘たち6人が久米島の実家に集まり、静かに息を引き取る父を看取りました。まさに85年余りの人生そのものを映し出すかのように幸せに包まれて永眠したのではと思います。
私も知らせを受け、13日の早い便で沖縄へ義父の元に駆けつけます。
義父と久米島の焼酎を飲みながら酔いしれた日がよみがえり、今日の酒はやはり久米仙で亡くなった父の魂と乾杯をして眠りにつこうと思います。
お父さん。ありがとう。あなたがいたから今の私たちが存在するのです。本当にありがとうございました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます