6月末に15年以上身近でお付き合いしていた友人の大嶌正治こと「まー兄」が、他界しました。
まー兄は、8月に60歳の誕生日を迎えることになっていましたが、胸の奥に潜む病に彼の体力は奪われ遂に力つきました。
彼は、果敢にも抗がん剤治療よりも体の免疫力の向上にチャレンジし、最期の最期まで「痛い!」を口に出しませんでした。自分の選んだ治療方針を悔いいることなく、旅立ったと言えます。
私の相談にも度々乗ってくれました。
2015年の無謀と言われた三田市長選挙への出馬、そして5年ぶりのチャレンジとなる2020年の三田市議会議員選挙への出馬も私の考えをじっくり聞き、私の背中をそっと押してくれた方でした。
週末になると互いに連絡を取り合い、それぞれの家庭で夕食会を開催するようになっていました。
また、毎年5月の連休中の六甲山へのハイキングも知人らと良く出かけたものです。
昨年5月の新神戸から森林公園を超えて神鉄谷上駅までのルートも皆さんと難なく走破しましたが、その1か月後に肺がんが発見されたのでした。
亡くなるまでの1年間、彼は愛する妻と会話を交わし、自分の進むべき道をまっしぐらに進んできたと言えるでしょう。
先日の告別式には、以前所属していた「三田エイサー喜心伝」の皆さんが駆けつけ、棺を担ぎおなじみの「イーヤ、サッサ」の掛け声と共に送り出しました。
人の命は、何処でどのように尽きるのか、誰にも分かりません。
ただ、言えることは、彼への感謝とこの命を大切にしていくこと・・・・。
書ききれないくらいの思い出がありますが、ブログは、ここまでにします。
まー兄よ!安らかに!
まー兄は、8月に60歳の誕生日を迎えることになっていましたが、胸の奥に潜む病に彼の体力は奪われ遂に力つきました。
彼は、果敢にも抗がん剤治療よりも体の免疫力の向上にチャレンジし、最期の最期まで「痛い!」を口に出しませんでした。自分の選んだ治療方針を悔いいることなく、旅立ったと言えます。
私の相談にも度々乗ってくれました。
2015年の無謀と言われた三田市長選挙への出馬、そして5年ぶりのチャレンジとなる2020年の三田市議会議員選挙への出馬も私の考えをじっくり聞き、私の背中をそっと押してくれた方でした。
週末になると互いに連絡を取り合い、それぞれの家庭で夕食会を開催するようになっていました。
また、毎年5月の連休中の六甲山へのハイキングも知人らと良く出かけたものです。
昨年5月の新神戸から森林公園を超えて神鉄谷上駅までのルートも皆さんと難なく走破しましたが、その1か月後に肺がんが発見されたのでした。
亡くなるまでの1年間、彼は愛する妻と会話を交わし、自分の進むべき道をまっしぐらに進んできたと言えるでしょう。
先日の告別式には、以前所属していた「三田エイサー喜心伝」の皆さんが駆けつけ、棺を担ぎおなじみの「イーヤ、サッサ」の掛け声と共に送り出しました。
人の命は、何処でどのように尽きるのか、誰にも分かりません。
ただ、言えることは、彼への感謝とこの命を大切にしていくこと・・・・。
書ききれないくらいの思い出がありますが、ブログは、ここまでにします。
まー兄よ!安らかに!