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「さなぎ通信」をご覧ください

2010-04-20 17:17:22 | Weblog
NPO法人「さなぎ達」のホームページから「さなぎ通信」が読めるようになりました。どうぞクリックしてみてくださいね。

「さなぎ通信」より

残されたストーリー                                              山中 修(ポーラのクリニック院長)さなぎ達理事長 


 山田洋次監督作の映画「おとうと」を見ました。客の3人に一人はハンカチで目元をおさえていました。
 
 “ふつう”に立派に育った兄と姉(吉永小百合)を持つ末っ子の“みそっかす”の男(テッちゃん)(笑福亭鶴瓶:演技がすばらしい!)が、天性のドツボにはまり、どうあがいてもどうしようもなく生きて大阪・西成の「みどりの家」で息を引き取っていく世界を、誇張された表現をなるべく使わずに、最後の瞬間までの心の描写をする、良くできた映画だったと思います。

 テッちゃん唯一の自慢は、姪・小春の名付け親であることで、それ以外には家族の中では常に“ふつうでない”存在でした。逆に、彼にとっては“ふつう”は暴力に等しいものでした。

 映画の翌日、2年前に簡易宿泊所でみとったOMさん、享年71歳、を思い出し、なつかしくカルテを見返してみました。仕事中のクレーンの事故で右手足が拘縮し、箸も使えなくなり、仕事をなくし、生活保護の受給をうけていた患者さんで、ポーラのクリニック開設20日後に初診となりました。以来、看取りまで190回の通院、3回の入院、数々のエピソードを残してくれました。
 
 「タバコ?20本。6歳から」。「皮膚のカリカリの(乾癬)、痒いのだけ治してくれ。かさぶた治さないで。はがす楽しみなくなるから」。やめられないタバコのため喘息発作で入院。酸素投与の患者の横で喫煙して強制退院。心筋梗塞で入院中、無断外出で強制退院。

 「ゴールド免許だった運転免許が気になった」と免許試験場に出向いたのが、外出の理由。下痢・嘔吐での入院中、内視鏡検査のための食止めに「飯食わせないとんでもないびょういん!」と怒って、暴言強制退院。
 
 ポーラのクリニックへの主なる通院の目的は、「先生の顔みる」、ナースとダジャレ、「ピッピが出ちゃった」おむつの交換。通院にはいつも工事現場のヘルメットをかぶり、尿便にまみれたズボンで、拾ったベビーカーを押して歩いてきました。肝臓の病気が進行してからは、22回の訪問診療をしました。死の直前まで、みまもりボランティアの川崎泉子には「Hな話」。枕元にはクリスチャンのボランティア寄贈の「マリア様」の写真が、その下にはエロ本が数冊。
 
 肝硬変、肝臓癌のため真夏の暑い朝、彼は逝きました。その5日前、OMさんがかねてより自慢としていたプロの指折り浪曲師の弟さんと連絡がとれ、ソックリな二人のツーショットは、マリア様の横に並びました。亡くなるまでの5日間、弟さんからもらったカセットテープを、繰り返し繰り返しリピート。「○○○(弟の名前)だよ。日本一だよ。」と弟を自慢に、息をひきとりました。
 
 テッちゃんの最期の食べ物はおねえちゃんとの鍋焼きうどん、OMさんの最期の食べ物は弟さんとのプリン。両者の共通点は? 亡くなった後もこうしてストーリーが残されていくことだと思います。
 
 さなぎの家、さなぎの食堂、JUMP、KMVPの活動がつながりを見せたとき、たくさんの「話をしようよ」と「残されたストーリー」が生まれることと信じています。「寿は10年先を走っている」からこそ、「さなぎ達」はそこに立つ位置を決めてこれからの10年をあるいていきたいと思います。
 
 ご報告ですが、会員の確認手続きを行わせていただいたところ、現在人数は70人となり、実は私どもの予想以上の嬉しい誤算でした。誕生10年目を迎える「さなぎ達」ですが、誠実に着実に前進して参りますので引き続きご支援のほどお願い申し上げます。


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