今日は「さなぎの食堂」でボランティアとして働いてくださっているIさんのエッセイの一部を抜粋して紹介したいと思います。
『……子ども達も成長し、時間もできたこともあり、お願いをしてHさんの案内で寿町にある「さなぎの食堂」へ、ほとんど知識のないままに行き、その日からボランティアとして、週2日働き出しました。
JR石川町駅を降り、元町・中華街という華やかさとは正反対の灰色の町。「さなぎの食堂」には近隣で働く人と、主にドヤに住む人たちが来店する。杖をつきながらやっと来るひと、いつもイライラしている人、毎日同じ服を着ている人、障がいのある人、薬袋をさげて来る人…それ以外にも20代の若者…と様々。一般社会では生きづらいと思われる人、各々の人生を勝手に想像してしまう。
決してその人生に踏み込むわけではなく、かする程度の触れ合いかもしれないが、人としての暖かさと、温かい食事をとり、少しでも穏やかな時間を持ってもらえればと思う。
以前、食堂を利用していた青年が自殺をした、と家族の女性が挨拶に来た。また私服警官が、亡くなったホームレスの写真を持って来た。さなぎ達のパトロールで配った食券の半券を持っていたと言う。
「ここでの食事が、最期の食事になるかもしれないから…」と言うチーフの土谷さんの言葉を想う。が、今の赤字続きの現状の中、この食堂をなくさない為に、どう存続させていくかに、直面しています。
味がまずくてはならない。ここで働く人の中には他では働けないような人がいる事…その中でプロとしてどうお客さんに提供していくか…。
また、「ホームレスの人に温かい食事を」、という原点を守りたい土谷チーフの純粋な想い…その為に模索しいながらの日々です。
ここの住人だけでなく、多くの方にこの厳しさを知っていただくだけでなく、足を運んでもらいたい、とせつに願います』。