サンズ・トーク

伊藤左千夫の歌業

千葉、成東出身の伊藤左千夫は、正岡子規の「歌よみに与ふるの書」 に傾倒してその門下に入ったが、2年余にして、子規が急逝してしまった。

激情家の左千夫は、失意の悲嘆に暮れたが、翌年、子規の歌壇を継承することとなり、生家にて歌誌「馬酔木」 を創刊した。
明治36年、左千夫40歳のときであった。
左千夫が短歌において子規を継承し、高浜虚子が俳句の面で子規を継承したのであった。
明治41年「馬酔木」を廃刊し、翌年「阿羅々木」 を東京に移して主幹となったが、5年後の大正2年、脳溢血により死去した。

この間、島木赤彦 斉藤茂吉 中村憲吉 古泉千樫 土屋文明ら多くの門人を育てた。

郷里の海を詠んだ歌

  九十九里の波の遠鳴り日の光り 青葉の道を一人来にけり

  砂原と空と寄り合ふ九十九里の 礒行く人等蟻の如しも

  天地の四方の寄合を垣にせる 九十九里の浜に玉拾ひ居り

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