いえ、大きな碑で大山巌元帥の名が刻まれていたので、写真に写したのです。
すると、傍らにいた老婦人が、私に向かって「何かゆかりがあったのですか」と声を掛けられたのです。
いえ、通りすがりなのですと答えました。
その老婦人、東京大空襲にやられて、この碑のある公園に逃げてきて助かったんですよ。
終戦前の3月9日夜おそくだったんですよ。
その時13才だったの、命からがら逃げてきてここで助かった。丁度今日は3月10日、今、私80才。
それがきっかけで会話しました。
私は錦糸公園の近くで生まれました。空襲の時家は今の緑1丁目だったといっていました。
へー、そう。それじゃ生粋の本所っ子だね。
今日は橋を渡って柳橋に好きなお菓子屋があるので買いに行くんだといっていました。
別れ際、元気そうでなによりだね。いえ、もう先短いからね。
なに言ってるの、長生きして、せめていい人生してくださいね。で、右左に分かれたのでした。
この日は、午後からY氏、M氏と酒汲みかわす予定で道行きの途中、はからずも東京大空襲に遭遇された方と言葉を交わしたのでした。
あとから補足
この表忠碑は昔、芥川龍之介が新聞に「本所両国」という見聞録を書いている、その中に出てくるそうです。
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