実は私、現役時代、生駒市に住んでいて、近鉄奈良線新大宮駅前で、ショッピングローンの営業所をやっていた。車では、奈良県の東西南北を親しく回っていたものでした。
あの当時、平城宮跡は土を掘り起こして、遺跡発掘調査をやっていた。
そんないきさつもあって、奈良時代の平城宮は今でも身近に感じられるのである。
歴史をみると、奈良時代の前は、飛鳥時代。
いまの橿原市あたりに飛鳥浄御原(キヨミハラ)宮が都だった。
ここは藤原京ともいわれている。
平城宮が都になったのは710年、女帝の元明天皇の時代であった。
そのあと、聖武天皇の時代になると、京都、大阪、滋賀などと次々に都を移したといわれる。
(740~745年)なぜか。天然痘が流行して為政者の藤原氏の有力者が次々と病没したり、朝廷内で反目や衝突があって、政治が安定しなかったといわれるのだ。
そのときでも、最終は平城宮に都が戻ってきたという。
思えば、私は関西にいたころ、日本の歴史の上でかなりトピックのある場所に縁があったのだが、その時は、歴史のことを深く想うことはなかった。
時代により、為政者が変わり、都のありようが変わって行く。そういうの、これからでも遅くない。
学ぶとすれば、興味深いものがあるはずなのだ。
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