樹齢千年といわれ、鎌倉幕府3代将軍、源実朝が八幡を参拝した帰途、石段を降りるさなか、この銀杏の陰から出てきた甥の襲撃を受けて、落命したとのことであった。
私は、一昨年、鎌倉へいったとき、この銀杏の木を撮影していた。
撮影したときの足場は、正面の石段の途中からで、将軍が飛び出してきた賊に不意をつかれたとおぼしきアングルであった。
動物でも植物でも、この世に生あるものは、いずれ必ず終わりが来る、それが、自然界の鉄則なのであった。
また、この石段を降りきって広場があるが、その広場には、赤塗りの舞い舞台がある。
その昔、源義経は、源頼朝将軍の勘気を蒙り、逃亡の身となった。
おりしも、義経のいいひと、白拍子の静御前が、幕府に拘束され、八幡宮のこの地で舞いを強要された。
そして、
しずやしず、しずのおだまきくりかへし、昔を今になすよしもがな
と唄い、舞った。
その故地の舞台が再現されているのであった。
何の因果か、大銀杏は、この赤舞台に梢を向けるようにして倒れた。
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