某日、自転車を押して急坂を登り、本丸、二の丸、空堀などの遺構を見た。
本丸跡から臼井の街並みを見下ろす。
平安末期の永久2年(1114)、千葉常康が臼井氏を名乗ってこの地に城館を設けた。
暦応元年(1338)臼井興胤が本格築城。
城址の裾には、この年、臨済宗の円応寺が創建され、そのあと、臼井氏歴代の墓所になっている。
寺は、670年の歴史を刻む古刹であるが、ま新しい六地蔵が可愛い表情で建っていた。
なぜか、バヤリースの缶ジュースが供えられている。
室町時代の文明11年(1479)、上杉氏の関東管領と古河公方が関東一円を巻き込む争乱を起こした。
古河公方に与した臼井氏がこの城に立てこもり、太田道灌が上杉方としてこの城を攻めた。
臼井氏が堅守したため、太田勢が攻めあぐみ、激戦の末、結局は落城したのだが、攻め手の道灌勢は道灌の弟、太田図書助資忠ら50名余が戦死したとのことである。
太田図書の墓。
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