ここは、創業が明治39年(1906)、始めてから随分の間、白砂青松の砂浜を使って、毎年、夏に開催されていた。
開始以来、もう100年以上にもなるが、卒業生のOBが指導員になって、厚みのあるスクールが行われている。
私が芦屋の中学生だった頃は、堺から和歌山に向かうこのあたりは、阪神間よりも水質がきれいな砂浜として定評があった。
今、浜寺の浜は埋め立てられて、工場地帯になっており、水練学校は、公園の府営プールで行われている。
ここの特徴は、日本泳法、能島流の伝統を守り育てていること。
それと、も一つ、今でいうシンクロナイズドスイミングを、古くから手掛けていたのである。
大正14年、笛と合図に合わせて日本泳法を演技する「楽水群像」というページェントを行ったのが始まりだった。
戦後、水泳の新種目として、アメリカからシンクロナイズドスイミングが伝わってきた。
本校では、伝統的に行われてきた楽水群像を、音楽化させて、昭和45年、大阪万博会場でシンクロとして披露。
その後、世界水泳選手権で入賞したり、59年のロスオリンピックでは、ここ出身の選手がソロとデュエットで銅メダルに輝いた。
浜寺水練学校は、今でも、日本のシンクロ界の第一線で、リーダーシップを担っているのである。
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