サンズ・トーク

昔の傘事情

私の中学生のころというと、昭和23年とか25年ごろだったろうか、そのころの傘のことを思い出している。
そう。雨の日、番傘で登校していたのだった。

傘の柄は竹、骨はやはり細く割った竹。それに柿の渋を塗った油紙が貼ってある。
粗雑な中学生が用いるので、紙の部分が破けたりする。多少破けても、そのまま使う。
軽い竹でも、総体が結構太いので、風を受けると重い。そういうのが番傘。
細身のものはご婦人用で、蛇の目傘。これは上品なつくりで高価だったはずだ。

こうもり傘はずっと早くから一般に普及していたが、戦争の時代、日用品の工場は軍需産業に転換させられ、傘の布、傘の骨などは作るところがなくなり、かえって竹と紙の和傘がそのころ主に使われていたのだ。
とにかく、番傘は勤王佐幕を論ずる壮士、蛇の目は先斗町のきれいどころ、というような雰囲気だったのです。
「春雨じゃ。濡れてゆこう。」

そして、雨がやむと、町場では、「傘修繕♪、こうもり傘修繕♪」と唄うように声をあげて修理職人が辻々を回ってきたのだった。
(どうも、話が古臭くてごめんね)

それがそれが、今どんなでしょう。
ビニール傘の大洪水。駅にも、コンビニにも、100円ショップにもふんだんに売っている。
雨降れば売れる。晴れれば持ち帰るのを忘れる。大風が吹くとおちょこになって壊れ、路傍に打ち捨てられてゴミになってしまうのだ。

今、物流の問題で「コモディティ化」というのが言われている。
マスプロ、マスセールのものづくりが究極した結果、商品の品質が均質化し、規格化同質化し、個性を失って、あげくのはては、価格の安いもの、入手しやすいもののみが残ってゆく。
ビニール傘はその一例だが、今や家電製品とか、コンピューターのメモリーとか、始めの開発者がつくったものでも、同じ性能、同じ品質のものがどんどんできて、当初の商品価格がとめどなく崩れてゆくのだ。
それで、かつてのソニーやパナソニック、シャープなどは大赤字に喘ぐことになってしまうのだ。

そこで、これからが私の本論。
ビニール傘は完全にコモディティ化して、生産国やメーカー名すら問われなくなってしまっている。
でも、おんなじ洋傘でも、伝統の技と匠の圧倒的な貴種があるのだ。
東京の下町に息づく吟味されつくしたものづくりの技と芸が、気品あふれる商品を作り出している。

前原光栄商店というの、高級洋傘のメーカー。台東区三筋というから、鳥越神社の裏にあたる。



皇室ご用達。三越、伊勢丹、大丸にはブランドショップをだしているらしい。
傘の軸、柄、骨、布、石突きまで、使い勝手を吟味しつくされたその洋傘は、これぞまさしく芸のきわみ。

実は、次男が仕事の都合で墨田区とか、上野、台東区あたりのお店事情に詳しい。
(私はこういうところ余り知識はないが、首を突っ込みたい興味があるのです。)
こんな傘、というのでこれを一本呉れたのです。
65センチの傘で、布は表が黒、裏がシルバー色、傘の骨なんぞアンバーコーティングされていて、16本もある。
柄のところにはネームもいれてくれてある。
トンボ洋傘というのだが、1本数万円は下らないはずだ。

中国の消費パワーが凄くて、秋葉原など、中国人は炊飯器とか電化製品を買いまくってもって帰るのです。
これらも、文化レベルが成熟すると、こういう高価な、差別化された銘品を求めるようになるのだろう。
そうして、日本人がプラダやアルマーニに惚れるように、日本のこれがブランド品ということで高付加価値の逸品がもてはやされるようになるはずだ。

私の次男に貰ったトンボ傘。安い居酒屋やファミレスに行くのに持ってゆくのは相応しくない。
そうだ。帝国ホテルやヒルトンホテル、エクシブに行くとき持って行こうと思うのです。そうするよ。

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