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「”最速”に挑む男たち」・・・回想録-3

2012-04-14 10:00:00 | 回想録
「"最速"に挑む男たち」 ~バイク開発チームの10か月~


これは前回 回想録―2で取り上げた「カワサキ」が20年ぶりに「WGP」に復帰する過程を、撮影した
「NHK」の「ウィークエンドスペシャル」 と言う番組で 放映されたドキュメンタリー番組のタイトルで
ある。今から10年前 2002年11月2日放映・・・

DVDに残しておいたので、久々に観てみた。 開発当時の様子が時系列で映し出され、改めて当時が懐かしく思いだされた。


番組の内容は計画・設計段階から、開発過程を経て、復帰第1戦の パシフィックGP「モテギ」参戦に至るまでの10カ月をまとめたものである。その中で、今はリタイアされたが、今回初の本格レーサーエンジンを担当した「渡辺 芳男」設計リーダーを メインにまとめたものである。

本来であれば、『部外者以外立入禁止』の設計・開発現場にTVカメラが入ることは まずないことだ。
そういう意味では 興味深い映像になっており、一般視聴者も 『このようにしてレーサーが出来あがるのか!』 ~と思われるが、 あくまでも「設計者」の立場からの映像であり、ごくごく表面的な内容である。


               ざっとこんな内容・・・

               オープニングタイトルから  川崎重工明石工場の紹介








企画・基本構想から設計段階へと 「わずか12名の、少人数でスタートした」・・・うんぬんのナレーションだが、これはあくまでも「設計者」。 実際に開発を担当する、我々「実験者」はメカニックも含む18名で、先行テストに取り組んでいた。




構想が決まった時点で、車体側はクレイモデルを制作。これは 6月1日に行われた「風洞テスト」の様子。空力特性に優れた、フェンダー、カウル、タンク、シート形状を模索していた









かたや、エンジンは 当初、6月に入手予定のクランクケースが、大幅に遅れた。

一般的には砂型を造り、鋳造で造るべきところを、軽量化と強度を考慮し、極力肉厚を薄く均等にするため、アルミブロックからの総削りで製作した。

この工法だと1台製作するのに、数工程の複雑な機械加工が加わるため 時間がかかる。おまけに加工メーカーにとっては初物。 加工ミスも発生する

~結果、初号機のクランクケースを受け取ったのは7月23日・・・これから組立て、時間が無い







早速組立・・・しかし、ここでも簡単に組立は進まない。全くの試作初号機では、よくあること
部品同士が干渉しているため。 そこは機転を利かし、手加工で改修し なんとか初号機を組上げる











そして8月1日、初号機の「火入れ式」・・・

「カワサキ」ではレーサー・量産車を問わず、試作の初号機エンジンを、初めてベンチで運転する時は
関係者全員で、エンジンに清めの酒、シャンペンをかけて、以後の開発が順調に進むように 「火入れ式」を行なっている。






「火入れ式」が終わると、本格的な出力アップのための 「性能テスト」が、繰り返し行われる






~が「性能テスト」を開始して、1週間後に 「重大トラブル」が発生した。

このエンジンの新機構である 「倍速ジェネレーター」 ギヤが破損した。インラインフォーのエンジンは、通常クランクシャフトの左側に ジェネレーターが取り付けられるが、これだとエンジン幅が広くなる。 

エンジン幅を狭くすると同時に、軽量化を目的に小型化し 背面にセットした。 そして発電量を増すため 回転数を倍速にしたので ギヤに負担がかかり破損。そのあおりでジェネレーターカバーはもとより、1台数千万円のクランクケースが一瞬にしてお釈迦。アッパー・ロアケースが共加工のため、即廃却処分。







ジェネレーターの対策品は、すぐには出来てこない。原因調査が必要である。しかしその間も他の確認作業を進めなくてはならない。先行して「シャーシテスト」では、ミッションを含む駆動系の耐久確認を行う








ニューマシンのデビュー戦は10月のパシフィックGP「モテギ」と決められていた。 が部品の大幅な入手遅れ、トラブル対応に追われ 7・8・9月は深夜まで仕事が続き、もちろん休日出勤、徹夜と、残業時間は軽く100時間を超えていた。しかし、なんとかしてマシンを仕上げ、「モテギ」に間に合わせようと言う思いが全員にあった。



結局、ジェネレーターの対策品が入手できたのは、不具合発生から1カ月後

ジュネレーターカバーには数か所に歪ゲージを貼り付け、応力を測定しながら確認する。OKの最終確認が出来たのは9月4日である。




ジェネレーターの確認後は、9月18日オートポリスでの「シェイクダウン」に向けてテストマシンを仕上げる。

そして初走行 その日が・・・







  ライダーは「柳川 明」  「シェイクダウン」は、さして大きなトラブルも無く走行できた 

  いよいよ、本格的な走行テストが始まる。 走行データをもとに、細かなセッティングを行う。

  マシンのレベルはまだまだであるが これでスタートラインに並べることは確認できた。








10月1日は20年ぶりの「WGP」参戦と、目前の「モテギ」レースに向けて、「出陣式」が行われた。全従業員を招集し、社内のグランドで行う予定だったが、あいにく雨になり、関係者だけで室内で行われた。







そして10月6日第13戦パシフィックGP「モテギ」・・・もちろんライダーは「柳川 明」

ついに復帰第1戦を迎えることになった。 20年ぶりに復帰と言うことでマスコミの注目度も大きかった。 






まだ 産声をあげたばかりの「Ninja ZX-RR」・・・ 
「柳川」君のガンバりもあり、予選順位は18位。 ポジション的にはこんなもんだろう。

そして、いよいよスタートの瞬間・・・タイミング良くスタートした。スタッフもピットのモニターにくぎづけである

スタート後の追い上げもよく、6週目には15位までポジションをあげていった・・・が、しかし・・・








         *まだまだ 映像は続くが 最後に 同番組の動画を張り付けています。
          48分50秒とTV放映された、そのままです。 続きは動画で確認してください
          少し長いですが・・・







  「カワサキ」も「MotoGP」の世界に足を踏み入れた。

  番組中「安井 隆志」監督も言っているが「もう、後戻りは出来ない」・・・

  思えばここに至るまでの時間はあまりにも短すぎた。しかし、これがレースの世界である。
  レースは待ってくれない。

  40年間 この仕事をしてきたが、新しい機種でレースに挑むたびに 同じスタンスである。

  これは「カワサキ」に限ったことではない。他社も同じである。レースは勝負である。
  勝たないと意味がない。勝つためには他社を上回らなければならない。

  レースを続ける以上、開発が終わることは無い・・・
     

  ~が「カワサキ」は2009年「MotoGP」撤退
  そして今年2012年 サーキットで「スズキ」のマシンを見ることはなかった。 



「“最速”に挑む男たち」 ~バイク開発の10カ月~









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