Sam'sダイアリー

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「神子畑選鉱所跡」&「ムーセ旧居・ムーセハウス写真館」

2013-10-31 06:00:00 | ドライブ
           429号線をさらに西へ・・・ 

           カーブが続く狭い道から ゆるい左コーナーを抜けると
           道幅も広く直線になる その右側に目をやると 異様な建造物跡
           巨大な2個の円錐を逆さにしたような構造物 それを支える円柱
           山の斜面には 階段状のコンクリートの基礎跡




         円錐状の建物に近づいて見ると 「配電盤」や「電気設備」
         「モーター」「ポンプ」などがあるが 老朽化のため「立入禁止」になっている

         朽ち果てた構造物は 特異な形状から 想像を掻き立てる なにこれ???





















 


     ・・・そう ここは「神子畑選鉱所跡」 である   山を隔て 北に6km離れた
     「明延鉱山(養父市大屋町)」から運ばれてきた鉱石を その比重や浮力を利用して
     「亜鉛」「銅」「錫」に選鉱していた

     ちなみに巨大な2個の円錐を逆さにしたような建造物は
     選鉱作業の最終段階に使われた「シックナー」と呼ばれる施設で
     水に混ざった微細な鉱石を 沈殿作用によって取り出すためのものである

     「神子畑選鉱場」は1919年(大正8年)年に建設され 山の斜面を
     利用した施設は 22の階層があり 幅110m 長さ170m 高低差75mの建物は
     東洋一と言われていたが 1987年(昭和62年)明延鉱山閉山とともに操業を停止 
     以後廃墟となっていたが 2004年に取り壊され 今は基層だけが残っている









                     ありし日の「神子畑選鉱場施設」










   <一円電車(明神電車)>

           「明延鉱山」から「神子畑選鉱場」までの約6kmの区間を
           鉱山従業員の通勤用として運行を開始 乗車料金が1円だったので
           「一円電車」の名前で親しまれたが 「明延鉱山」の閉山によって廃止

           その車両が ここに展示してある















   <ムーセ旧居・ムーセハウス写真館>

      「神子畑選鉱所跡」の手前にある洋館が 「ムーセ旧居・ムーセハウス写真館」       
      明治初期 生野に建てられたフランス人鉱山技師ムーセの宿舎で
      神子畑に移築されてからは 鉱山の事務所や診療所として使わた

      現在は写真家・織作峰子さんの作品や鉱山に関する資料を公開している




















                     ムーセ旧居前の「サルスベリ」





                  山の方を見ると 木々が色づき始めている・・・