「評論家」という最悪最低な職業の、更にその真似事

事象を己自身の価値判断で論じることはとても恥ずかしい事である。
ましてや一文にもならないのに書くなんてただのバカ

ツイッターの掟。

2013-02-01 10:46:22 | 私見
 ツイッターには規約にもない掟が存在する、らしいです。
 いわく「フォロワーでもないのにコメントしてくるな。メンションを飛ばすな」というものですが。

 これ、割と一部では通っているらしく渡邊芳之先生 @ynabe39 も仰っていますし、わたしが以前フォローしていた人も大阪の公立高校の件で「自殺した生徒さんは残された人のことを考えたのか」というツイートをした際、フォロワーではない人からの抗議に対してその旨書いてましたが。

 わたしとしては別にフォロワーでなくても言いたい事合ったら言えば良いし、返答したくなかったら答えなきゃ良いだけだと思うんだけどなあ。
 散々喧々がくがくとやり合った方とある点で双方が納得しあう、というケースを何度か繰り返したわたしとしては、むしろ討論こそが面白かった。
 けど、ツイッターではかなりの確立でブロックを頂戴しますね。わたし自身SFyomiさんとかのアカウントにはツッコミいれたくて仕方が無いからRTされてこないようにブロックしてましたし。

 まあ、東海アマさんとかきっこさんとか見てるだけで精神衛生的に悪そうな人のツイートをRTする人がいたら、東海アマさんやきっこさんをブロックするか、RTするひとをフォローから外す以外ありませんでしたけど、まあ、それはそれとして。

 ツイートは自由だけどコメントには資格がいる、とか。
 あるいは創作物を作る自由はあっても、批判や検証には資格がいる、とか。

 そんな価値観は正しいのか、否か。
 わたしにはちょーっとわからないけど。
 でも、言ったからには批判は仕方がないかなあとか思うんですよね。
 大学時代は何か書いた時「文責:○○」と銘打ったものですが、書いた事には責任を持つっていうスタイルがあった気がします。

 渡邊先生自体、「RTされて消すくらいなら最初から書くな」という台詞を持ってますが(もうひとつ、togetterのコメント欄には意味がない、っていうのもありますよね)、それを納得するのならツイートに対するコメントだって自由な気もします。

 まあ、とは言え職業でもないツイッターですからローカルルールを設定するのも自由だし、ローカルルールが決められている以上、それに従うマナーも弁える必要はあるかも知れませんね。
 2ちゃんねるでsage進行を守る義務なんてありませんが、かと言って場を乱す行為でもある訳ですし。

 という訳で、今回のお話は一見コミュニケーションツールに見えるTwitter、論議にも使われたりしますが、あれはただ、独り言を仲間内の中だけで共有しあうものであり、それ以上ではないし、それ以上の意味を持たせるのは「傲慢」「場の空気を読んでない行為」と判定される。という異常な人からはそう見える、というお話でした。

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