ハチメンドウ

面倒なこと、楽しいこと。

無知と無恥の話。

2011年06月24日 | Weblog

 どうやら、未だ情弱を笑う風潮はことネットに関しても根強く残っているようだ。そんなことがどれだけ浅い考えであるかを晒しているかは書くまでもないかもしれないが、あえて書いておこう。

一つの事柄に対してこれまで無知であったからとして、笑うという行為自体がどうか。もちろん、無知は恥ずべきだろう。恥だと思わなければ人は上を目指せない。けれど、それが人を嘲笑していい理由には決してならない。無知を恥じるというのは、あくまで自身を戒めるものであるべきだろう。

それと、自身にだって知らない時はあっただろう。なのに笑うということは、無知であったときの自分を間接的に、無意識に笑うということだ。無知は恥ずべきだと書いたが、このような人が恥じているとはいえない。無恥という。他人を笑うという行為も恥なのに、自らが無恥であるという恥も露呈している。二重の恥を晒しているのに関わらず自身はそれに鈍感であるのだから性質が悪い。

また、同じ知っているでも違うことだってある。試験で文章問題が出た際、同じ点数を取ったとしても、その文庫本をどれだけ深く読み込み理解しているかには違いがあるはずだ。仮に一つの事柄に対して100%というものがあるとして、自分がそうでないのなら同じ無知ではないだろうか。

さて、上記のことは別に俺が書かなくても、とっくの昔に誰かが似たようなことを書いているだろう。でもそれを今さらといって一笑に付すことはない。物の考え方に無駄な反復作業などない、情報だってそうだ。思考停止せず考えを巡らせれば、一つの事柄に対してより深く、より柔軟な考え方ができるようになるだろう。それを説けば、他人にも自分にも有益になるかもしれない。

無知も無恥も恥ずべきだ。そして、それを自らを戒め向上するために利用するべきだと俺は思う。少なくとも、それで人を笑っているうちは思考停止と同じ、或いはそれ以上に愚かであると気づかなければならない。それもまた「知る」に繋がるのではないだろうか。


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