クリアファイルのその中は

何気ない毎日は、何気なく良い。

届かなかった手紙

2012-07-09 23:05:46 | 日記
先日、結婚式で東京に行った際、もう一つどうしてもやりたいことがあった。

それは、6月に急死した知人・Iさんのお線香をあげに行くこと。


Iさんは母が学生時代下宿していた先の大家さん。
享年88歳だった。

母が卒業後も交流があり、私も子供達もお世話になった方だ。

Iさんの家は同じ世田谷区内だったので、息子たちを連れてよく遊びに行った。
息子を孫のように可愛がってくださり、次男が喘息でよく入院していた頃はお弁当を届けてくださったりもした。

引っ越した後も時々電話でお話したり、年賀状のやりとりをしていた。
もちろん母も、頻繁に行き来して親交があった方だ。
母にしてみれば、娘時代から58年来のお付き合いになるのだ。


そのIさんが、ある日急に「眠くて仕方ない」と言って眠ったままご逝去された。
生前よく「娘たちに迷惑をかけずに逝きたい」とおっしゃっていたので、母曰く「幸せだった」のだろう。


Iさんはご主人が亡くなった後、千葉の娘さんのお宅に移り住まれた。

二階のIさんの部屋に通されると、納骨前の遺灰が写真の前に置かれていた。
おしゃれなIさんらしく、ストールを小粋に巻いたお写真で、88歳とは思えない若々しい素敵な写真だった。

お線香をあげる前に、娘さんが1通の手紙を私に差し出された。

「これね、母がむーちゃんに宛てた手紙なの。
住所が間違っていたらしく戻ってきたのよ。
整理してたら出てきてね、もう処分しようと思っていたところだったの。
今日来てくれるなんて思わなかったから、渡せて良かったわ。」

懐かしいIさんの字を見た瞬間、涙がとめどなく流れてしまった。


ホテルに戻ってから、すぐに拝見したい反面、封を切る勇気が出なかった。
今これを読んだら絶対泣いてしまうだろう。
母の手前恥ずかしかった。

二泊三日の予定を終え、帰りの新幹線の中で封を開けた。
泣きたくなかったのだ。
ここなら、ぐっと涙をこらえられるだろう。

中には一筆箋が3枚。
「沢山書きたいけれど、むーちゃんの苦労を考えると可哀想で書けません」
と、6年前の私の離婚のことや不登校になった息子の話に触れられていた。

今になって?
と思うような話だが、きっとIさんは6年前から私にどんな言葉を掛ければ良いのか悩んでいらっしゃったのだろう。
悩んで悩んで、意を決して書いてくださったのだ。
泣かないなんて無駄な決心だった。


届かなかった1通の手紙。
これが住所不明で戻ってきた時、Iさんはどう思われたのだろうか。
やっとの思いで書いた手紙が戻り、もう一度郵送し直されなかったのには何か理由があったのかしら?

「届かなかったってことは、きっともう、むーちゃんは立ち直って元気にやっているってことね」

そう思ってくださったのなら良いなぁ。