キリスト教と算数 #87
1-0 「1対0。」と聞いて人は何を連想するか? 野球やサッカーの試合結果を連想する人は多いと思う。8回(表か裏を問わず)に一点を入れて9回に抑えの投手が相手の打線を三者凡退に抑えて勝利したりもしくは初回に1点を先取してそのままスミイチで勝利をしたのを見た事がある人もおられるだろう。
サッカーの場合は野球と違って「前半(ないしは後半)に得点が入ってそのまま1-0で試合が終わった。」なんてことは頻繁にあるからあえて問わない。
一つでも多いか否かで大違いだということは強調したい。繰り返すようだが、一つでも多いか否かで大違いになってくると考えてもらいたい。
37はそれを示す数かもしれない。3X10+3X2+1=37 3分の2と3分の1に分割した話は存在する。3分の2といっても以上か未満なのかは不明だし、一方の3分の1が以上か未満なのかは不明だったが1を足さないと円滑な解釈が行えない時があるので3分の2以上と3分の1未満が正しい解釈だと考えたい。 人間の寿命がおよそ120歳未満なのは円の3分の1を示唆してるかもしれない。120度未満の扇型は円の角度の3分の1未満に該当するかな? 3分の2全体を2で割ると、1:1.5が表現出来るから全ての数字は豹変するかな? 16000÷24=?
133X5+1=? 7X95+1=? 5X7X19=665 7X19=133
基礎固めは重要。 その次の段階もある。 1日を言い換えると24時間。 三日間を言い換えると72時間になる。だが、また違った表現も悪くないかもしれない。
242424÷312=777 242424は重言ではない点は強調する。 312は生命の樹の順位を示唆してるように思える。
7X7X7=343 表面的な位置だけを考えると777は隠されてる。
243090÷365=? 一日は24時間で、30日間がおよそ一か月間で90日が一つの季節を作り出す期間になる。
243090-242424=? 24X4=96 1マイルはおよそ1.6km。
身の回りの数字には全て意味があると考えないとキリスト教は成立しないようです。だけど、ウィルフォード・ウッドラフ大管長みたいに一日で96km(60マイル)を歩くのは僕にはほぼ不可能なのでやりたくないです。一日で5マイル(8km)歩くだけでも疲れると思います。周知のように一日で60マイル歩いたということは24時間歩かないと成立しません。人間の歩く速さは時速4kmだと言われてます。 実際の所、極端に数字で考えるよりもお気楽に生活したいのも本音ですね。