年を喰ったためか、最近、バイクでこれを見に行きたい、というものが減ってきました。
良い景色も一瞬止まって写真を撮ってしまえばいいや、という気分ですし、どちらかといえば、できるだけ長く乗っていたい、という気分になります。
他方、神社やお寺というと、以前はそれほど関心がありませんでしたが、ご神木を見ながら、この木を眺めた人たちの多さと、祝詞を聞いて、その地を代々守ってきた人の長年の営みに、ある種のすごさを感じる様になりました。
自分一人でできることなど、本当にわずかなもの、改めてそう感じさせていただくことは、自分自身にとってありがたいことだな、と思います。
寺か神社のどちらに行くか?と言われると、何しろ、元々は神仏習合の国ですから、正直迷います。
仏教の大日如来が、神道では天照大神であったりしますよね。ただ、敢えてどちらかといえば、より清々しさを感じられる神社でしょうか。お寺は少し重く感じられることが結構あるのですよね。
※明治元年の神仏判然令、明治5年の修験道廃止令により、分離・廃止された。
参道は長ければ長いほど、自分としては好きです。清々しいところが途中のどこかであるはずです。神社やお寺は、落雷をきっかけとする火災との戦いで、山の頂上に立てられたものも、火災や天災でダメになるたびに、どんどん山のすそ野に降りてきています。
あるいは頂上のものを奥社として扱い、メインをすそ野側に置いているものも多いと思います。山の奥に立っているものほど、創建の時代からのレイアウトが残り、独特の清々しさも残っているんだと思います。
参拝する時間帯は、本当は人がいない時間が良いと思います。そうすると、朝か夕方か夜が良いと思います。
本当は一泊して早朝に行くのが良いのだと思いますが、たまにどうしても夕方になってしまうことがあります。
それでも、山の中は、独特の怖さがあるものの、実に清々しい所もあるわけで、これを独り占めにできるのは、俗っぽくいえば、一種の快楽とも言えます。
<このブログの管理人>
40代中年男性。
40代中年男性。
人生100年時代をどう生き抜くか、人生の羅針盤を探して、「心の放浪中」。
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