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熊本城

2014-07-02 20:24:04 | 日本100名城めぐり

 熊本城は加藤清正によって 中世に築かれた2つの城域に
 安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて築かれました
 大天守小天守のほか 五階櫓5棟をふくむ櫓が12棟建てられ
「清正流」と呼ばれる高石垣は 現在でもほぼ完全な姿で残っているそうです


明治時代の初めまでは 大半の建物が撤去されずに現存していたそうですが
南西戦争で一部の建物を残して 天守を含む主要な建物を焼失したそうです




宇土櫓や東竹之丸の櫓群が現存しているほか 昭和35年に大小天守が外観復元され
近年では櫓や御殿などの主要な建物を 木構造で復元する事業が行われています




 西南戦争では熊本城は政府軍の拠点となり 西郷軍の重要攻撃目標となります
 しかし熊本城を甘く見ていた西郷軍は 誰一人として城内に侵入することができず
ついに官軍の守る熊本城を攻め落とすことができなかった西郷隆盛は
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と言ったという




 「熊本城周辺図」 です クリックすると大きな写真が出てきます
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   では~ 上の写真の現在地(二の丸)から天守目指して入ってみましょう  



 「西大手櫓門」 です 




西大手櫓門は西・南・北にあった大手門の中で最も格式の高い門で
昭和56年に西南戦争100年を記念して復元されました




 「南大手櫓門」 です 本丸の正面を防備する西出丸には
 こんなにおおきな櫓門がもう一つ(北大手櫓門-未復元)がありました




熊本城の建物は 漆喰壁に柿渋塗りの下見板張りの黒い外観が特徴です




 頬当御門の料金所です 入園料 高校生以上 500円・小中学生 200円




正面には早くも天守閣がっ




 「五郎の首掛石」 です 1800kgもあるとか




 「五郎の首掛石の説明」 です クリックすると大きな写真が出てきます
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 「宇土櫓」 です 3重5階地下1階で高さ約19メートルもあり
 「三の天守」とも呼ばれており なんと最上階に外廻縁を持っています




 「熊本城宇土櫓の説明」 です




宇土櫓のなかです




現存建築物ということで 階段はやっぱり急です




なかの広さも天守閣級です




宇土櫓最上階からみた西出丸と二の丸方向です   西大手櫓門
ここが天守閣でもいいんじゃないか? というくらいの展望です




宇土櫓最上階から大天守・小天守をみています




 「熊本城天守閣」です 後ほど回りますので~ 




 「熊本城天守閣の説明」 です クリックすると大きな写真が出てきます
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 「本丸御殿」 です 平成19年の築城400周年にあたり復元されました




熊本城本丸御殿は 南北に分断されていた本丸をまたぐ形で建築されました




 「闇り通路」 です
 天守に上がるには 本丸御殿下の地下通路を通る必要がありました




ふたたび天守群です
大天守は3重6階地下1階で連結式望楼型で 「一の天守」とも呼ばれています
(2重目と4重目は屋根ではなく庇とのことで 正確には3重6階地下1階の天守)
小天守は3重4階地下1階で「二の天守」とも呼ばれ 夫人のための建物です




天守群の最下下部に 60cmくらいの鉄串が刺してあります
「忍び返し」という 敵が登ってくるのを防ぐためのものです




 「熊本城天守閣のご案内」 です クリックすると大きな写真が出てきます
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小天守に登ってみました 最上階からみた大天守です




復元された天守閣のなかは 資料展示コーナーになっています




熊本城の模型です 大小さまざまな建物が 所せましと林立しています
宇土櫓などの天守級の五階櫓が6基 9基の三階櫓があったそうです




もうすぐ熊本城大天守の最上階・・




熊本城大天守から西方向の景色です




宇土櫓です 大天守からだと こうのように下に見ることになります




熊本城大天守から北方向の景色です   小天守です




熊本城大天守から東方向の景色です




熊本城大天守から南方向の景色です  本丸御殿です




顔出しパネル at熊本城




こちらの武人は 熊本城おもてなし武将隊の方々
もちろん演武も観ましたよ~ 




 「熊本城本丸御殿」 です 平成19年の築城400周年にあたり復元されました




熊本城本丸御殿内では 往時を復元した模型が展示されていたり・・




こちらでは 大御台所(囲炉裏の間)が再現されていました




大御台所(囲炉裏の間)の説明です




対面所(大広間)の説明です




復元された対面所(大広間)です




昭君之間(奥)と若松之間(手前)です 大広間の最奥にあります




加藤清正は 特に石垣造りを得意としていたそうです
熊本城の石垣は 始め緩やかな勾配なのに 上に行くほど垂直に近くなる
「武者返し」と呼ばれる形の石垣を多用しています




本丸をあとにして熊本城の名所 「二様の石垣」を見に行きます




 「二様の石垣」です 1632年(寛永9年)清正の子・忠広が改易され
細川家が熊本城に入ったときに 荒れた城の修理を幕府に許可を申し出ました
そのおり本丸が延長・増築された際に もう一つ時代の違う石垣がつくられました




細川氏の時代の時代になって増築された石垣は     細川氏    加藤氏
加藤氏の石垣にくらべ 勾配が急峻になっているのがわかります




 「熊本城二様の石垣の説明」 です クリックすると大きな写真が出てきます
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 「不開門」 です 現存する遺構で 鬼門にあたっていることから
 塞いでも開け放っておいてもいけないとされていたそうです




 「熊本城不開門の説明」 です




左から田子櫓・七間櫓・監物櫓・十四間櫓・四間櫓・源之進櫓です
この連続した各櫓群は 現存建築物です




 「須戸口門」 です 
虎口の門構えが 柵のように隙間を開けて造られていたのでそう呼ばれたとか




竹之丸から天守閣をみています ここから天守閣まで登っていくと
二様の石垣をはじめ そそり立った石垣のなかを迷路のように歩くことができます

      では 二様の石垣まで登って行きましょう・・
                 
                 


熊本城パンフレットの石垣コースになっているところです




両側に石垣が連続しています そしてつづら折りの石階段を登っていきます




またですか!! というくらい石垣に囲まれることができます




上り詰めたところに 二様の石垣があります

  では・・ 石垣コースのメインを離れて竹之丸に戻ります
                
                



 「櫨方門」 です 馬具櫓(復元整備中)とともに虎口を形成していたようです




 「飯田丸五階櫓」 です 飯田丸の南西隅にある櫓で 平成17年に木造で復元
 熊本城南面防衛の要であり 内部には井戸や台所・鉄砲蔵までも設けられ
この五階櫓を中心に 飯田丸だけでも小さな城の機能を持ってたそうです




櫓台の石垣は2段に築かれており 1段目にL字型の要人櫓を配して
より立体的に攻撃できるようになっていたとか




行幸坂から奉行丸をみています    南大手櫓門




 「未申櫓」 です 二重三階の隅櫓で平成15年に復元
 その名の通り 奉行丸の未申(南西)の方向に位置しています 




こんな大規模なお城を回ったら ここにも建物ね・・ってくらいになりがちですが
そんな気持ちになれるのも 熊本城くらいかもしれません ぜいたくなっ




未申櫓のさらに南西方向に何やら城下町が




 「城彩苑案内マップ」 です クリックすると大きな写真が出てきます
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2011年3月にできた観光施設「桜の馬場 城彩苑」です






選りすぐりの熊本の名産品を 飲んで食べて購入することができます




 「長塀」 です(全長約242m) 現存する城郭の塀の中では最長を誇ります 
 白漆喰に黒の下見板・・ なんと美しいのでしょうか
熊本城は平成19年から築城400年に際して 多くの建造物を復元させてきました 
いまなお復元中の建物もあり また訪れたい名城です
次回は 「 福岡城 」 をUPします 



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