彩遊紀フォトログ

おすすめおでかけスポットと風景写真&美味しいラーメン店の紹介

金沢城

2016-09-19 20:25:56 | 日本100名城めぐり

金沢城はこの地にあった加賀一向一揆の要塞化した拠点を
 織田信長が攻め落としたのち 配下の佐久間氏を置き金沢城と改称・・
その後 豊臣秀吉が金沢城を前田利家に与え 明治維新まで前田家の居城となりました


「石川門」です 
兼六園から石川門(百間堀)にかかるこの橋は 鉄筋コンクリートの橋となっていますが
往時は土橋がかけられていたそうです



「百間堀」です いまは幹線道路になっています



 「金沢城・兼六園の案内図」です クリックすると大きな写真が出てきます
 出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます
金沢城に入った前田利家は堀や曲輪の拡張のほか 5重の天守を含む多数の建造物を建てたそうです
なお兼六園は 加賀藩5代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園です
 


 金沢城の櫓や門には海鼠(なまこ)壁 屋根には白い鉛瓦が葺かれています
 櫓一階部分や塀に唐破風や入母屋破風の出窓があるのは金沢城の特徴といえます



石川門の説明です



石川門の枡形のなかです 左右で石垣の様子が違うことに気付きます
金沢城はその美しい建物群だけでなく 多様な石垣を見ることができます



 総合案内所です



「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」です
 平成13年に復元されたのもで 豪壮な建物群はこれぞ加賀百万石の居城 
 いまの金沢城を象徴する景色です



「河北門」です 平成22年に復元されました
 三の丸の正面にあり 金沢城の実質的な正門です



河北門の説明です



河北門のなかに入ってみましょう



 金沢に城の瓦は冬の積雪に耐えられるように軽量にできていて
 有事には 鉄砲弾に加工できるよう鉛瓦が用いられたそうです



「菱櫓」です



「橋爪門と橋爪門続櫓」です



橋爪門の説明です



金沢城の本丸方向をみています
金箔瓦の天守も築かれたそうですが落雷によって焼失
その後 天守は再建されなかったそうです



こちらの海鼠(なまこ)壁の建物は~



「三十間長屋」です 



三十間長屋の説明です



三十間長屋石垣の説明です



 「金沢城の石垣めぐりの説明」です クリックすると大きな写真が出てきます
 出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます
金沢城は何度も改修が繰り返されたことから 多様な石垣をきることができます
このことから「石垣の博物館」ともいわれています



「極楽橋」です 三十間長屋のある本丸附段と二の丸とのあいだにある橋で
 むかし金沢御堂に参詣する人は 朝に念仏を唱えながらこの橋を渡り
夕方 日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願って帰ったと云われているそうです



橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓のなかに入館することができます



 写真中央の小さい建物は二の丸案内所です(日本100名城のスタンプがあります)



平成13年に復元された この豪壮な建物の中はどうなっているのでしょう



菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の説明です



 「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓の案内」です 
 クリックすると大きな写真が出てきます
 出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます



菱櫓の説明です



石落としです
美しい外観の建物ですが 改めて戦のための建造物であることがわかります



菱櫓の3階部分です



菱櫓から石川門方向をみています



菱櫓から本丸方向をみています



 「金沢城の模型」です クリックすると大きな写真が出てきます
 出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます



五十間長屋のなかです なんという広さ



五十間長屋の説明です



五十間長屋から橋爪門をみています




橋爪門続櫓からの景色です
きれいな枡形の向こうには 石川門がみえています



橋爪門続櫓から五十間長屋をみています



橋爪門続櫓から本丸方向をみています



復元された階段は 例にもれず急になっています



河北門です     (三ノ丸広場です)   石川門です



 金沢城は有事に敵を迎え撃つため 城下町に多くの寺が建てられたそうです
 その中でも 妙立寺(通称忍者寺)の井戸には 金沢城に繋がっている抜け穴があるとか・・
なんともミステリアスな伝説ですね~
 次回は 「 兼六園 」 をUPします 



コメントを投稿