研究発表「犀川の歴史とロマン」
9月24日(土)、石川県立図書館で、石川郷土史学会の研究発表「犀川の歴史とロマン~一水化工事と川名の由来~」がありました。
発表したのは、会員の笠原愼治さんです。
それによると、犀川は、はじめ大小二筋の流れに分かれていて、間には中島があったそうです。
加賀藩3代藩主・前田利常の時、城下が手狭になったため、坂井就安(じゅあん)に命じて、川上の川中を掘って一筋にし、中島を埋め立てて町地にしたということです。
下の地図の中央あたりに二筋に分かれた犀川があります。
「加賀国図」(部分)東京大学総合図書館蔵
また、犀川の名の由来については、正和元年(1312年)の文書に「佐井河」(さいがわ)と出て来る。『古事記』で「佐井」はササユリのこと。上流にササユリが咲いていたので、「佐井河」(さいがわ)となったのではないか、ということです。
犀川は、浅野川とともに、金沢にとって重要な二つの川であり、大変興味深い研究発表でした。
9月24日(土)、石川県立図書館で、石川郷土史学会の研究発表「犀川の歴史とロマン~一水化工事と川名の由来~」がありました。
発表したのは、会員の笠原愼治さんです。
それによると、犀川は、はじめ大小二筋の流れに分かれていて、間には中島があったそうです。
加賀藩3代藩主・前田利常の時、城下が手狭になったため、坂井就安(じゅあん)に命じて、川上の川中を掘って一筋にし、中島を埋め立てて町地にしたということです。
下の地図の中央あたりに二筋に分かれた犀川があります。
また、犀川の名の由来については、正和元年(1312年)の文書に「佐井河」(さいがわ)と出て来る。『古事記』で「佐井」はササユリのこと。上流にササユリが咲いていたので、「佐井河」(さいがわ)となったのではないか、ということです。
犀川は、浅野川とともに、金沢にとって重要な二つの川であり、大変興味深い研究発表でした。