犀太郎の歴史浪漫

歴史研究や歴史・時代小説など、気ままに書き綴っています。

新県立図書館に入ってみた

2022-07-04 19:31:57 | 日記
金沢市小立野で建設中の新県立図書館が完成し、7月2日から、新たな利用者カードの事前登録会が始まりました。
金沢市本多町の現図書館で長らくお世話になっていた身としては、新図書館への期待が大きく、さっそく訪問してみました。

新しい図書館は、現在の図書館とは比較にならないくらい、巨大なものです。駐車場も充分あるようです。

入口から入ってみると、まず巨大な吹き抜けの空間!

そこに、無数の書架がびっしりと並んでいます。
7月16日のオープンが楽しみです。

「百万石ビブリオバウム」と、新県立図書館の愛称がデザインされた利用者カードです。

日暮ヶ丘から見た金沢城

2022-06-23 19:17:20 | 日記
先日、卯辰山の花菖蒲園の近くにある愛宕神社に行ったところ、手前に「日暮ヶ丘(ひぐらしがおか)」という所がありました。
今まで何度も花菖蒲園に行きながら、気付かなかった場所です。
そこからは、金沢城を中心に、金沢の街並みが一望のもとに望めます。
「日暮ヶ丘」という名前の由来は、この丘に立って、あたりを眺めていると、兼六園の「日暮橋(ひぐらしばし)」のように、「いくら見ても見あきない。いつしか日が暮れていた」というほど、素晴らしい眺望なのだそうです。特に夕暮れ時が素晴らしい景色とのことです。


金沢城のほうに目をこらすと、右の方、菱櫓から五十間長屋、橋爪門続櫓へと続く建造物、さらに左手には石川門までが見えています。

日暮ヶ丘にある立て札によれば、この丘あたりが安政5年(1858年)に発生した「安政の泣き一揆」ゆかりの地であるというのです。
この当時、冷害で米が不作となったところ、米商人が米を買い占め、米価が高騰、このため飢えた町人が卯辰山のこの地に登り、金沢城に向かって、「米くれまいや~!」と叫んだのです。この結果、藩の貯蔵米が放出され、米価は下がりましたが、藩は首謀者を探し出し、死刑にしたということです。
加賀藩政の歴史に残る悲しい物語と言えるでしょう。

大聖寺の町を歩く

2022-04-29 16:44:16 | 日記
久しぶりにブログを更新します。よろしくです。
石川県加賀市は、江戸時代は加賀藩の支藩、大聖寺藩10万石の城下町でした。
加賀藩の城下町、金沢市と同じく戦災で焼けることもなく、町のあちこちに城下町の風情が残っている貴重な町です。

久しぶりに町の中を歩いてみました。

芭蕉が奥の細道の途中に立ち寄り、宿泊したといわれる全昌寺。


九谷焼美術館の横にある「古九谷の杜公園」を散策しました。
小川の流れ。水の流れを見ると、ほっとします。




藤棚には、ちょうど藤の花が咲きはじめていました。


史跡七尾城跡の本丸にのぼる

2017-05-25 18:44:03 | 日記
史跡七尾城跡の本丸にのぼる

5月24日(水)、石川県の「ふるさとふれあい現地講座」に参加しました。
今回のテーマは、「能登守護畠山氏と長谷川等伯を訪ねて」です。

まず羽咋市にある真言宗正覚院(しょうがくいん)で、長谷川等伯の作品、石川県指定の文化財『絹本著色十二天図』を鑑賞。

次に、石川県七尾美術館で開催中の『長谷川等伯展』を鑑賞したあと、七尾城跡に向かいました。



案内し、解説をして頂いたのは、金沢市文化財保護審議会会長の東四柳史明先生です。


駐車場から徒歩で本丸跡に向かいます。
途中、調度丸跡や遊佐屋敷跡などの表示があり、それぞれCGで作成された画像が掲示されています。
こちらは、本丸のCGです。


まもなく、本丸跡に到着。七尾の市街地が一望できます。


七尾城は、もっとも大規模な戦国期の拠点城郭であるとともに、戦国期と織豊期のもっともすぐれた山城構造の全貌を知ることができる城跡だとのことです。




歴史博物館の秋の特別展

2016-09-21 21:58:19 | 日記
歴史博物館の秋の特別展

台風が近づいて、雨模様の日でしたが、出羽町の県立歴史博物館の秋の特別展に行ってきました。



博物館では、今年が開館30周年。これを記念する特別展です。


タイトルは、「城下町金沢は大にぎわい」。
館内を見てまわりながら、クイズラリーができるというのも、面白い趣向ですね。
クイズに答えて、クリアファイルをもらいました。
帰りに図録を求めました。当日は、品切れで、後日郵送してもらいました。
それが、これ。
これから、じっくり読むとしましょう。




鎌倉河岸跡を歩く

2014-12-02 20:19:11 | 日記
鎌倉河岸跡を歩く

佐伯泰英さんの人気小説『鎌倉河岸捕物控』や『鎌倉河岸捕物控街歩き読本』を読んでいたら、以前に東京で歩いた場所が出てきて、懐かしい思いに浸りました。

今年の春、神田のホテルを出て、皇居(昔の江戸城)に向かっていたところ、見えてきたのがこの場所、鎌倉橋の橋詰めです。





「鎌倉河岸跡」という看板が立っていました。



橋の上から下を見ると、外堀が広がっていますが、その上には高速道路が覆いかぶさって、・・・。



外堀を渡ると、そこは酒井左衛門尉の上屋敷だったようです。





神田紺屋町界隈

2014-06-20 15:08:02 | 日記
JR神田駅から東の方に進むと、神田紺屋町。



その昔は、染物の職人が多く住んでいたそうです。が、今はまったくその面影は見られません。



このあたりの様子を広重『江戸名所百景』は、その名もずばり「神田紺屋町」で描いていますね。


広重「神田紺屋町」

両国橋界隈

2014-06-20 14:54:26 | 日記
久しぶりの東京。
両国橋界隈に行ってみました。



両国橋のあたり、特に両国広小路と呼ばれたところは、江戸の人々で大変なにぎわいを見せたといわれています。

今は、その場所からはるかに、現代の東京名所ともいうべき「東京スカイツリー」が見えています。



広重の『江戸名所百景』には「両国橋大川はた」がありますね。


広重「両国橋大川はた」


油井宏子さんの古文書講座

2013-09-16 22:09:24 | 日記
 
 油井宏子さんの古文書講座

先日、金沢のしいのき迎賓館で開かれた古文書講座に行ってきました。
講師は、NHK学園の講師も務めていらっしゃる油井宏子さん。
金沢での開催は、3年ぶりですが、その人気ぶりは大変なもので、会場はいっぱい。
今回のタイトルは、「鎖国の禁を破った老中の決断」で、鎖国の時代、阿波の船が嵐に遭遇して漂流し、南海の孤島に漂着したところをアメリカの捕鯨船に救助され、浦賀に入港した時の話です。



江戸幕府は、当時、漂流民は長崎のみで、しかもオランダか中国しか相手国として認めていませんでした。ところが、当時の老中首座、阿部伊勢守正弘は、漂流民を浦賀で受け入れるという決断をしたのです。

油井宏子さんのお話は、臨場感にあふれ、ぐいぐいと引きつけられる内容で、古文書を学ぶことへの興味も湧いてきました。

講座が終わって、会場を出ると、古文書学習書の販売コーナーがあり、私はさっそく今回の内容を扱った『絵で学ぶ古文書講座 漂流民と異国船との出会い』を買い求め、油井さんにサインをして頂きました。
今回の講座のいい記念になりました。



その後、広坂通りのなじみの喫茶店で、一緒に古文書を学んでいる仲間二人と楽しい語らいの時間を過ごしました。







「金沢と芭蕉」を聴く

2013-07-21 16:27:52 | 日記
7月14日(日)、泉野図書館で「金沢と芭蕉」という講座があり、行ってきました。


講師は、俳文学研究家の山根公(ただし)さんです。

山根さんは、元禄2年旧暦の7月、芭蕉が曽良とともに「おくのほそ道」の旅で、金沢に滞在した10日間の足跡を中心にお話をされました。
この中で、芭蕉が金沢最初の宿とした「京屋吉兵衛」が浅野川小橋のそばではなく、卯辰観音院のすぐ下にあったということを知り、驚きました。
研究が進むにつれ、300年以上も前のことでも新事実が判明することに新鮮な驚きを覚えます。

山根さんのお話はユーモアにあふれ、あっというまに、2時間が経過していました。
加賀路の芭蕉について、もっともっと詳しく知りたいと思いました。